20年、いや30年ぶりかもしれない浅草1-1-1、日本最古のバー「神谷バー」。
初めて訪れた頃には、客席に灰色のジイサンバアサンが多かった。
最初に食品サンプルの棚を眺め、食券を買うスタイルも以前のまま。
今みたいな観光用の車引きではなく、人力が主流だった時代、この右側に位置する吾妻橋には
人力車がたむろし、神谷バーで数杯のデンキブランを飲んだ車夫たちは、フラフラになり、吾妻橋行くまでに
何度も転んだという。それを神谷バーの窓から眺めてたという客のジイサンに聞いた。
中ジョッキと冷えたデンキブラン。
デンキブランはここのオリジナル・リキュール。
ジイサンたちは大ジョッキをチェイサーに、デンキブランのグラスを3つほど並べ、
ビールをグビリ、デンキをチビリ…とやっていた。
若いのはそういう飲み方を見て学習する。
「俺はエノケン劇団の帽子作ってたんだ」と職人風のジイサンが言うと、
とたんに俺たち芝居屋崩れには、尊敬の眼差しに変わった。
そんな今と昔が交錯する街でもある。
以前、仕事で一緒になったイベントプロデューサーの立川直樹さんは浅草っ子で、
初めてココで大ジョッキを頼もうとして、隣り合った年寄に
「大ジョッキたのむより、ここは中ジョッキにして何杯もお代わりするもんだ」
と諭されたという。 偉そうにするでもない、そういう年寄にならねばならない。
カニクリームコロッケ。洋食メニューもちゃんとしてる。
黒蝶ネクタイのホール係が、片手に銀盆持ちながら、
器用に片手で食券の半分をちぎって行く。
何処かで見たと思ったら、子供の頃の百貨店の大食堂だ。
気取った洋食メニューの間に挟まって、煮込みなんかがあるところに、いかにも浅草を
感じたものである。 やっぱり頼まざるを得ない。
いつしかジイサンたちは飲めなくなって、もはやこの世には居ちゃいまい。
客も代替わりして、なんだかホワイトカラーが目立ち、ニューミュンヘンの客みたいだ。
浅草も変わったかと思ったら、隣の隣りに何処で買ったのかというような派手なシャツを着た
ブルーカラーのオッサンがいて、若いのを捕まえて説教しながら飲んでて、ニンマリしてしまった。
さすが、浅草健在!
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