マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

酒場のあるじ

2008-10-20 13:05:39 | 




再開発でどんどん変わって行く阿倍野界隈。
近鉄ひとり力瘤が入っているが、私らにとってはますます味気のない、
潤いのない街になっている。
ここ「明治屋」もひょっとしたらひょっとする…と思いながら、久々に
訪ねる。 安心した、やっている。



本来ならばここに主人、松本光司さんが立っているはず。
昨年11月にお話しする機会があり、体調を崩されている旨を聞いた。
そして今年の4月に亡くなった。享年65。
私に訃報が届いたのは、この夏も過ぎようという頃だった。



主が不在でも、酒場は同じようにまわり、同じ酒と肴で迎えてくれる。
丼鉢で出される湯どうふには一片の柚子の微かな香り。
そして、きずし。〆鯖を大阪ではきずしと呼ぶ。
割り醤油が染みた大根のつまが、ちょいと甘口の上方の燗酒には合う。



これも名物の焼売。元々はお客が作っていたものを受け継いで
ここの肴に加えたという。敷かれたキャベツも辛子醤油をからませば
おつなアテになる。色取りなどで添えられているのではない。

家庭料理の延長というアテばかり。
世の中が酒に厳しくなり、、酒のみのスケールが小さくなったと、主が
語っていた。
2升ぐらい軽いという客がなんぼもいたと言う。

決してこうでなければならぬ、という小うるさい人ではなかった。
全てなるようになる、という気負いのないところに好感が持てた。
三代目として40年立ち続け、もう疲れました・・・と、本音も聴いた。




主の立ち位置には娘さんが立っていた。
どっかと鎮座するちろりは、この店のトレードマーク。
前を行くちんちん電車が最高のBGM・・・いけねぇいけねぇ、
どうも近年、ここの酒は胸の辺りに滲みてくるようになった。
ず~っと未来永劫続けてなどとは申しません。せめて俺が呑めなくなる
までは続けてほしい。勝手モンか!
がんばれお嬢…一杯傾けながら、小声でエールを送った。



折角こっちまで来たので、返す刀でもう一軒。
大国町の「エノキ屋酒店」。おなじみ酒屋の角打ち。
こんな温かい雰囲気の立ち呑みも珍しい気がする。
主、寺岡盛之助さんは昨年9月に亡くなった。
大酒呑みの豪快な土佐っぽだったので、酒を売りながら
酒にとられた感もある。



鰹のたたきで有名な高知では、鯛もこうしてたたきにして食べると
教わった。この特製ニンニク味噌がよくできている。
料理自慢のお母ちゃんを中心に若夫婦で店を切りまわす。
初めて来た頃、赤ん坊だった孫娘たちもすくすく育ち、愛想よく、大人顔負けの口をきけるようになった。
ときは確実に過ぎていく。




      明治屋  大阪市阿倍野区阿倍野筋2

      エノキ屋  大阪市浪速区大国1



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2 コメント

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明治屋 (二日酔次郎)
2008-10-21 20:51:14
燗酒がボチボチおいしくなってきた今日この頃ですが、明治屋のご主人、亡くなったんですか?
周りが再開発とやらで騒がしい環境の中、おっしゃるとおり昔ながらの静かな佇まいを保っているこの店に一際静かにお燗番をこなし、飲兵衛の注文を淡々とさばいていたあの大将が・・・。
お嬢に末永く頑張っていただくとともに、この店は登録文化財にでもしてもらいたいですなあ。
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ご冥福を祈るばかり (管理人)
2008-10-22 01:40:58
ご自分の病気を悟っていらっしゃいました。
娘に継がすのは可哀想だ、息子は継がないと言ってる…と洩らしてらっしゃいました。
この先、どうなるのでしょうね。強制代執行でもあったなら大の字に寝てやろうと思っているのですが、でも主人なら店の運命も淡々と受け入れなさるのかもしれないな。なんの権利があってそんなことするのだ、たかだか珠に来て酒飲んでるだけの一介の客にそんなこと出過ぎた真似とも思うし、この店の最期を思うと心乱れます。どうぞお運びになって追悼の一杯を
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