マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

下北沢~トーキョー・センチメートル・ジャーニー 2

2015-09-04 20:11:39 | Weblog

ガラリと変わったと聞いた、下北沢へ。

もう昔の佇まいではなくなってるのだろうか。

駅構内は工事中なのか、ご覧のとらえどころのない有様。








恐る恐る、南口に降りてみれば…。








おいおい…、何にも変わってへんやないけ。

昔のまんま、田舎の商店街みたいなのがあるだけ。

何処が変わったというのか。








しかし、何度、ここいらで酔っぱらっただろう。

右も左も分からぬ、箸にも棒にもつかぬ劇団研究生だった頃から、

飲むのはシモキタと決まっていた。








ただ店は様変わりしている。

当たり前だ、どう見ても20年以上のブランクがあるんだから。

と、懐かしい店を発見、「キッチン南海」。 

東京初心者の頃、この南海ホークスの旗色を思わせる看板につられ、

何度か入った。

ムチャクチャ美味くはない。カツカレーの薄いカツ、ヒラメフライもあった。

そして常に漂っていたカレー粉の匂いが今も変わらず漂っていた。

思わず、ジ~~ンと来た。

代替わりしたのだろうか、変わらずやって行くのは並大抵ではなかろう。




       



ジャズ喫茶「マサコ」はもう閉めたんだったか。「野田岩」はあるのかな。

歩き回るにつれて、まだ変貌を遂げる途上であることを知る。

架線など大規模工事が盛んに行われていた。(2018年完成予定とのこと)

店舗は飲み屋など夜の店が多いので、朝ではほとんど開いてない。

そんな中、路地に10人ほどの行列を発見。 物見高いのでちょっと並んでみると

かき氷だという。朝から、かき氷! 東京の人間の胃袋はどうかしてる。




 

北口。この辺りに闇市のような半分閉まった食品市場があって、

夜は奥にでかい大根食わせるおでん屋があった。 いまはむかし…。

おそらく、このポツンと一軒残るのは、市場の名残りだろう。


        



やけにピーカンになった。 

商店街のオネーチャンに聞くと、シモキタまだ大きくは変わっていないとのこと。

後で調べたら、小田急が地下に潜って使い勝手が悪くなったとのこと。

ナンギな話である。








同期のMとその後、下北沢探訪と題して、

「ま、お疲れさんの一杯だけ…」と小芝居して、

店の雰囲気や値段を見てサッと引きあげ、ハシゴするというのをよくやった。

その頃入ったロックバー「Trouble Peache」なども健在の様子。

そして、シモキタといえば、この一軒・・・中華の「亭」。

          
           
        

         



店は昔からこの程度くたびれていた。

何気に三角形の海苔の入った昔風のラーメンを食ったりして、

特に美味いとも思わなかったが、今になると美味いかもしれないな。

役者やミュージシャンなどがバイトしてて松重豊がいたらしい。

まだ準備中。ちょっと食いたいと思ったが、旅先での誘惑は気をつけねば、

不用意に腹を膨らましてしまうと、肝腎な次が続かなくなる。



ホントに石を投げれば役者に当たったシモキタ、

朝っぱらから、なんとなくそれらしい連中もいるのもおかしい。

まだやってんだな。俺だってスズナリは出てないが、駅前劇場に、

本多の舞台も踏んでんだぜ、加藤健一さんの芝居で。


知らんわな。








しかし…そんなに時間が経ってしまったのかな。

にわかに信じがたい。

シモキタは何かちょっと照れる街。そして、午前中からウロついたって

大して面白い街ではないというのが、よく判った。


センチメートル旅は、まだまだ続くのである。




明大前~トーキョー・センチメートル・ジャーニー1

2015-09-04 15:05:54 | 

さてますます個人的な話になるよ。

当たり前だ、オレのブログなんだもの。 御用とお急ぎの方はパスしておくれ。

小仕事と同窓会かねての今回の東京行き。

行きはまだ体力有り余っているので深夜バスで向かうことにした。







カーテンを引けば個室状態で、快適な筈だった。

だが、寒すぎた。 寒くて寝られない。

不機嫌なまま、朝7時の新宿南口に着く。

喫茶店のモーニングもまだ開かぬ。

 

    



新宿南口、黄色い看板の「老辺餃子館」の上にあったバーでバイトしていた。

カクテルの注文が来たら、そっとカクテルブックを盗み見て作った。

合間にゃカラオケの司会もしてご機嫌うかがう、インチキバーテンダーだった。








京王線の改札は想像よりちんまりした感じ。 

かつてしたたかに酔って鞄パクられ無一文になり、最低一区間分見知らぬ人にもらい、

とにかく眠ったのがこの場所、朝のラッシュの大雑踏に叩き起こされた。

そこから小田急に乗り、新宿~箱根、箱根~新宿、 新宿~藤沢、藤沢~新宿…と

めざす向ケ丘遊園までちっとも帰れず、着いたら夕方。三日酔いになったことがある。

あの頃はなんだかとても時間の余裕があった。

ともかくも、30数年前、東京生活の足跡を辿ってみたいと思う。







京王線「明大前」。 初めての一人暮らしはこの街から始まった。

ここで他人の家の二階に間借りした。


駅前に出てみると、田舎の風情はどこかへ消えていて、

すぐそこまでマンションが迫っていた。

ローカルなパン屋があったが、それも消失していた。







背中側、井の頭線の頭上渡り、明大の方に行くと、小林書店という古本屋あり、

そこで買った「芸のこころ~三津五郎・安藤鶴夫」はまだ手元にある。

牛丼とカレーの合い掛けの店があり、福神漬け山盛りにしてよく食った。

2軒とももう無い。



    
     




すずらん通りの喫茶店にいると、旧正月だったのか、三河漫才の太夫才蔵が入って来て、

訳のわからぬ店員に追い返されていたのを見た。

もうそんな街の余裕も残ってやしないだろう。

芝居してた頃には、よく明大和泉校舎に潜り込んで、舞台装置作ったりしたもんだ。

今ならセキュリティー問題になるだろうが、それぐらい世の中ゆったりしてた。

駅へと戻り、京王の高架くぐって反対側へ。








こちらはなつかしい風景が広がっている。 ちっとも変わらない。

駅からスグの割に拓けないのは、地権者が頑固なのだろう。

見た覚えのある古いアパートがあった。






この辺だ。






松原2丁目…そう、この路地に間違いない。



 




ここだ。Iさん宅。なつかし~

この二階の右側の部屋に下宿していた。

3人が間借りし、風呂なし、共同便所で当時2万円だったと思う。


変わらね~、まだサッシ窓ぢゃないよ。

よく女の子を連れこんで、大家さんに

「独身の男の子もいるんだから、困ります!」と叱られた。

靴を持って上がらせ、出て行く時も大家の部屋の気配をぬすんで、

サッと出させるのだが、こっちの行状はたいがいお見通しだったろう。

高齢だったからもう生きちゃいまいが、今は誰が住んでるのだろうか。







近所に松原カトリック教会があって、そこの学生寮でめしを食わせてもらってた。

渡辺さんという賄いのおばさん、親切にしてもらった。

敷地内に「オリエンス宗教研究所」という立派な建物あり、なんか怪しいが、

そこに潜り込んでは時々知り合いの神父にシャワー浴びさせてもらい、

出てきたら、コーラの瓶を差し出し飲ませてくれた。 有難かった。



朝の掃除してた事務員さんに、学生寮のことを聞くと、

もう10年も前になくなったとのことだった。

高槻から来た…と言うと、「あの、高槻?」と言われた。

小学生2名殺人事件がさかんに報道されていたので。








お、こんな昭和の門構えもなつかしすぎる。

いじわる婆さんが出てきそうでショ?


バイトした大衆洋食屋も、影も形もなかった。

そこでバイト中、クリスマス前にジョンレノンが撃たれたと記憶する。

ラジオから「Happy Christmas」が何度も何度も流れていた。









この高架下、こんなに暗かったかなー。

早朝というのもあって、学生の姿が少なく、なんとなく覇気のない

寂しい気持ちになった。 店という店が開く前だったからかな。



駅へと戻って、次なる思い出の地、「下北沢」へと向かおう。


ほんのちょっとの追憶・・・センチメートル・ジャーニーは始まったばかり。