勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

我、日に三たび我が身を省みる

2018-05-11 21:34:11 | Weblog
総社はここ数日爽やかな好天が続いており、サラッとした空気が心地良い。全天候型のGikoohは晴れも雨も好きなのだが、穏やかな日和には屋外での作務が多くなる。

孔子曰く、「我、日に三たび我が身を省みる」と述べられているが、Gikoohも御教えに肖って、1日のなかで何度か立ち止まって心をフラットにすることを心掛けている。その手段は、このブログでも馴染みの煎茶の時間だ。一煎の茶を淹れるには、まず水を汲みんで湯を沸かし…というように一連の手間がかかるのだが、Gikoohはこの手間に我が身を省みる時間を見出している。古来の伊藤博文等々の文人達は、精神修養にも嗜好品にも相応しい煎茶文化を愛したというが、同じことをしていると理由が分かる。

さて、明日12日からは今年度の勝福寺仏教講話が始まる。平成12年に始めたので開講18周年を迎える。今回は般若心経をテーマに掲げ、全14回でお話する予定だ。
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GWが明けて

2018-05-08 22:01:21 | Weblog
午前中は茶道の稽古があり、午後からは如常の1日。

GWも明けてすっかり日常生活に戻られている人が多いと思うが、Gikoohは逆に久々に檀務がひと段落して、今日は来客はあるものの、まったりした時間を過ごすことが出来た。明日からはまた多用になるが。

さて、WEB勝福寺の方では、仏教講話の案内や、Gikoohの見聞記をupしている。写真が多いので楽しんで頂ければと。この写真は、こどもの日に訪ねた広島県「世羅高原農場」のチューリップ畑から。
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義父の13回忌法要に参列

2018-05-03 22:07:58 | Weblog
今日は午前中に、家内の実家で義父13回忌の法要が営まれた。家内の家系は浄土真宗で、Gikoohは親族として参列。親族が一堂に会す中、厳かで清らかな読経に身も心も委ねた。

義父はいつも周囲への気配りを忘れない、穏やかで温厚な人だった。定年まで、機械製造のエンジニアとして務め、その開発製品の一部は、日本の自動車メーカーの一部品として採用されていると聞いたことがある。エンジン内部の専門的な分野はまったく分からないGikoohだが、仕事に対する情熱や姿勢など誇れる義父だった。

亡くなる10か月程前、精密検査の結果を受けて、病院からの帰りに勝福寺へ立ち寄った時の表情を今でも鮮明に覚えている。その後、最期の瞬間まで病気と闘い頑張ってきたのだが、平成18年に阿弥陀様の待つお浄土へ旅立った。あれから早や12年が経過…。法要の間、Gikoohは義父との生前の思い出や、この12年間をただただ振り返っていた。

Gikoohは浄土真宗の寺院様と親交を頂く機会が何かとあり、今日は「斎の席」で、菩提寺ご住職と色々なお話が出来て貴重だった。
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Gikoohの野菜づくり

2018-05-02 21:32:24 | Weblog
如常の1日。午前中は檀務があって1時間ほど外出したが、その他は近々の法事に備えてお預かりしている多くの塔婆を書いた。筆を持つこともそうだが、墨の香りって何でこんなに清らかで心地良いのだろう…。

さて、写真は4/28の畑の様子。Gikoohは勝福寺に入山以来19年間、毎年、野菜や花の種を植えている。何年同じことを繰り返していても、なかなか思うように上手には作れない。何でも極めることって奥が深いな。
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人生の終始。終わりのけじめは葬儀という儀式。

2018-05-01 22:13:10 | Weblog
午後から茶道の稽古があり、その他は掃除と雑用の1日。

先日、檀家さんの葬儀があった。お寺の近所にお住まいで、平生から何かとお世話になる機会が多々あった。道端で会うといつも笑顔が素敵なジェントルマンだった。

4月早々、境内の花見では、お仲間同士で楽しそうに語らう姿、また、農作業を寡黙にされる姿…、近々まで本当にお元気だったのだが、加齢と体調の急変に伴い永遠不帰の人となられた。Gikoohは気学のお師匠から「寿命は授命。授かった生命を精一杯生きる」ということを教わってきたが、まさしく最期の瞬間まで穏やかで見事なお人柄だった。

久代一帯は昔ながらの名残が色濃く残り、葬儀には株内、講中、そして親族、身内、友人等が一堂に会して葬儀が営まれることがまだ多い。最近は全国的に家族葬が増加傾向にあるけれど、Gikoohは個の考えで物事を進めてしまわずに、古来の考えを重要視して故人を送る方が良いように感じる。

そして何より喪主は、参列者に向かって、故人が生前に各方面から受けた恩に対して感謝の意を申すことは、とても大切なけじめだと思う。家族葬は色々なことが省略されて、精神負担も少なく一見魅力的に映るのだが、喉元を過ぎても後味は良いとは言えない。

この度の昔ながらの葬儀は、今の時代を生きる私達にとって物凄く大切なことを伝えているような気がした。
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