勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

人生の終始。終わりのけじめは葬儀という儀式。

2018-05-01 22:13:10 | Weblog
午後から茶道の稽古があり、その他は掃除と雑用の1日。

先日、檀家さんの葬儀があった。お寺の近所にお住まいで、平生から何かとお世話になる機会が多々あった。道端で会うといつも笑顔が素敵なジェントルマンだった。

4月早々、境内の花見では、お仲間同士で楽しそうに語らう姿、また、農作業を寡黙にされる姿…、近々まで本当にお元気だったのだが、加齢と体調の急変に伴い永遠不帰の人となられた。Gikoohは気学のお師匠から「寿命は授命。授かった生命を精一杯生きる」ということを教わってきたが、まさしく最期の瞬間まで穏やかで見事なお人柄だった。

久代一帯は昔ながらの名残が色濃く残り、葬儀には株内、講中、そして親族、身内、友人等が一堂に会して葬儀が営まれることがまだ多い。最近は全国的に家族葬が増加傾向にあるけれど、Gikoohは個の考えで物事を進めてしまわずに、古来の考えを重要視して故人を送る方が良いように感じる。

そして何より喪主は、参列者に向かって、故人が生前に各方面から受けた恩に対して感謝の意を申すことは、とても大切なけじめだと思う。家族葬は色々なことが省略されて、精神負担も少なく一見魅力的に映るのだが、喉元を過ぎても後味は良いとは言えない。

この度の昔ながらの葬儀は、今の時代を生きる私達にとって物凄く大切なことを伝えているような気がした。
コメント
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