ここ2週間のGikoohは過密な日程続きながら、まだ当面は檀務も所用も多いので身体を労わりながら勤しんでいる。
去る3月30日、尾道市瀬戸田町(しまなみ海道の生口島)にある地蔵院様の名誉住職、古賀秀彦大僧正のご葬儀があり、参列させて頂いた。地蔵院様は、Gikoohの兄の奥さんの生家で名誉住職は御尊父にあたる。Gikoohは瀬戸田を訪ねるたびに、お寺へ寄せて頂いているが、ご夫妻共に温かく情感深いお人柄で、御尊父にも懇意に接して頂いた。いつも仏様の光背を感じさせるオーラのようなものがあり、それは生来具わっていた慈悲の心が内面から滲み出ておられたのだと思う。また、檀信徒への応対はGikoohもお手本としていた部分も少なからずあり、住職として、或いは地域の名士として模範的な存在だったのではと推察している。近年は、療養されておられたことは存じていたが、先日の訃報を受けて、大きな緞帳が下されたような一抹の寂しさを感じた。
上等な沈香の香煙がくゆる中で、ご葬儀の進行は地域の特徴も垣間見ることが出来、島ならではの温かい人情味溢れる立派な内容だった。特に、結集寺院様達によって御棺に手が掛けられ、出棺の時、一斉に光明真言を唱えながら式場から満開の桜が花開く境内、参道を通って霊柩車まで運ばれるのだが、境内に集う多くの檀信徒の皆様方、同寺運営の保育園の園児達、そしてご親族や諸関係者の方々が次々と手を合わされた瞬間、Gikoohは目頭が熱くなり、何とも言えぬ感情が込み上げた。
葬儀は人生最期の重要な儀式だと思う。喪主様が故人様になり替わり謝辞を申されるのは深い意味がある。葬儀の形態は、その人の人生の結論を物語っているような気がする。この度のご葬儀を通して、名誉住職が御遷化されたことは本当に寂しいが、Gikoohの心に残る温かくて見事な儀式だった。御冥福を心からお祈り申し上げます。
さて、次回の日替わりは、いつup出来るか分からないかれど、花祭りの出来事か、ご本尊様について書きたいと思う。
去る3月30日、尾道市瀬戸田町(しまなみ海道の生口島)にある地蔵院様の名誉住職、古賀秀彦大僧正のご葬儀があり、参列させて頂いた。地蔵院様は、Gikoohの兄の奥さんの生家で名誉住職は御尊父にあたる。Gikoohは瀬戸田を訪ねるたびに、お寺へ寄せて頂いているが、ご夫妻共に温かく情感深いお人柄で、御尊父にも懇意に接して頂いた。いつも仏様の光背を感じさせるオーラのようなものがあり、それは生来具わっていた慈悲の心が内面から滲み出ておられたのだと思う。また、檀信徒への応対はGikoohもお手本としていた部分も少なからずあり、住職として、或いは地域の名士として模範的な存在だったのではと推察している。近年は、療養されておられたことは存じていたが、先日の訃報を受けて、大きな緞帳が下されたような一抹の寂しさを感じた。
上等な沈香の香煙がくゆる中で、ご葬儀の進行は地域の特徴も垣間見ることが出来、島ならではの温かい人情味溢れる立派な内容だった。特に、結集寺院様達によって御棺に手が掛けられ、出棺の時、一斉に光明真言を唱えながら式場から満開の桜が花開く境内、参道を通って霊柩車まで運ばれるのだが、境内に集う多くの檀信徒の皆様方、同寺運営の保育園の園児達、そしてご親族や諸関係者の方々が次々と手を合わされた瞬間、Gikoohは目頭が熱くなり、何とも言えぬ感情が込み上げた。
葬儀は人生最期の重要な儀式だと思う。喪主様が故人様になり替わり謝辞を申されるのは深い意味がある。葬儀の形態は、その人の人生の結論を物語っているような気がする。この度のご葬儀を通して、名誉住職が御遷化されたことは本当に寂しいが、Gikoohの心に残る温かくて見事な儀式だった。御冥福を心からお祈り申し上げます。
さて、次回の日替わりは、いつup出来るか分からないかれど、花祭りの出来事か、ご本尊様について書きたいと思う。