勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

禅定と正思惟

2010-11-14 15:11:30 | Weblog
先週も多用な1週間になった。今週は今のところ平素の生活に戻れそうなので、火鉢で餅や芋を焼いて煎茶を飲みながら落ち着ければと思っている。

昨日は10年来お世話になっている恩人とそのご家族とご兄弟が来山され、ご尊父の追善供養を務めさせて頂いた。Gikoohはお父様のお顔を存じないのだけれども、二十七年の回忌本尊と菩提を念じると同時に、お母様やご家族の福寿増長を祈念させて頂いた。

近頃では、恩人とはまた別の方々からも「自分が死んだら拝んで欲しい」と依頼されることが増えている。実際にはそれぞれのお宅には菩提寺がある場合が殆どで、務めることは叶わないことが予想されるが、そう感じてくださることは非常に有難い。各界のエキスパートといわれる人達、或いは各人の中には、多忙に活躍する僧侶を敬遠する傾向がありGikoohにもそれを望んでおられない。住職と言われるならば、和尚らしく禅定と正思惟の生活を心がけねばならないし、そうでなければならない。先日の日替わりで「パワーポイント」(PCソフト)を使って各地で法話をと書きながら何だが、基本は在寺だと思っている。

意に反して多忙を強いられる立場に置かれている人にはGikoohはあることを進めている。心に余裕のあることが、いかに大切なことか。誤解を避けるため、ここでは触れない。

今日も午前中は法事があった。修法の内容は基本的に同じだけれども、その時、その場に合ったように拝ませて頂いている。すべてかけがえのない一期一会の空間である。Gikoohが住職になって11年、伝法灌頂を授かってから13年、得度をしてからは21年、自身の気持ちが当時のままでいられることも有難い。

二間続きの座敷には数十人ものご親族が参席されていた。時の流れの中で節目を迎えるたびに、故人も心が平穏に戻りつつあるのではと感じた。

明日は、先日9日の日替わりで書いた輪袈裟を紹介出来ればと思う。
コメント
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