Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

各務原歴史研究会  (11月)定期公演会

2017年11月18日 23時48分19秒 | 各務原歴史研究会

各務原歴史研究会の11月定期公演会が開催されました。その聴講に行って来ました。講師は尾関 章さんと言う方でした。会長が挨拶し、講師を紹介したのですが、他の事柄を喋ったりして講師のプロフィールをハッキリとは話しませんでした。高校の先生をしていた方のようでした。
参加者には、歴史に興味がある高齢者が多かったです。会場が満員になっていました。
演題が「壬申の乱の美濃と尾張勢」と言う講演会でした。


会長が挨拶。
そして講師の紹介へと続きます。
会場は各務原市産業文化センターでしたが、2階の会議室が満員になりました。




講演会の模様をケーブルテレビが取材に来ています。





尾関 章さんの公演が始まりました。





今日のレジメ。
「壬申の乱の美濃と尾張勢」。




講義が始まって始めの部分。
高校の教科書から引用し、パワーポイントを使ってのお話しです。
壬申の乱の紹介。
天智天皇が亡くなると、翼672年、天智天皇の子の大友皇子と天智天皇の弟大海人皇子の間で皇位継承をめぐって戦い「壬申の乱」が起きた・・・・・、と有ります。




高校歴史の副本で壬申の乱の部分です。
壬申の乱はいわゆる叔父と甥の戦いです。この段階から天皇と呼ばれるようになったそうです。それに「壬申の乱」と言うのは後日、学者が付けた言葉だそうでした。




2011年6月25日に鈴鹿山地の南部。油日岳へ登りました。
その時の登山道が東海自然歩道となっていて、こんな表示プレートを目にしました。
壬申の乱の折、大海人皇子が美濃へ向かった時に通ったと言うモノです。山に登った時はピンと来なくても、振り返ってあの時の道が大海人皇子が通った道だと考察できます。
学習した事と行ってきた場所が結びつく面白さが有ります。平地を通過したと特定するのは難しいですが、峠道を越えた。その確実性は高いと思います。


上手く纏めれませんが、全体の話しは尾関さんの学説でした。



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趣味の作品展

2017年11月17日 22時35分31秒 | 絵画展・写真展等、各種展覧会

各務原市の那加福祉センターで「趣味の作品展」が開かれています。福祉センターの前を通りましたら案内看板が出ていましたので、見せてもらいに覗いました。
この作品展。小学校区の自治会連合会の主催に寄るものです。色々の作品が並んでいました。お婆ちゃんたちがお喋りしながら作品の制作に取り組んでいる。そんな事を想像させる作品も並んでいました。


福祉センター前の案内看板です。
この看板を見て、寄ってみようと思いました。




福祉センターの集会室です。
ここで作品展が行われています。




こちらは受付です。
受付の女性は知っている人でした。




この絵を出品した人。
知っている人の作品でした。




こちらは写真です。
こちらの作品も知っている人の作品でした。


冬ソナストリート。

冬ソナストリートのライトアップの準備です。
高所作業車がLED電球を取り付けています。
その様子を母子が見上げています。




高い場所で作業しています。
ここの樹木。
メタセコイアで、紅葉し落葉します。




冬ソナストリート。
こちらの所はイチヨウが黄葉しています。
落ち葉に戯れる人たちが居ました。

準備が整うと、いよいよ冬のシーズンを迎えます。


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参 鶏 湯

2017年11月16日 22時51分43秒 | グルメ

今年、ロシアに行って来ました。格安ツアーでして直接ロシアに向かうのでなく韓国の仁川空港を経由して向かいました。帰路も同じコースで戻って来ました。その時、仁川空港で乗り換えをしましたが、少々時間が有りました。それで土産として参鶏湯を買ってきました。参鶏湯は夏に食べるもののようですが、鍋物だと思い込み、寒くなる時期まで手を付けていませんでした。
今夜、参鶏湯を食しました。


買って来た参鶏湯です。




ハングル文字で書かれていて、どのような状態なのか判りませんでした。
スープだけだと思い込んだのです。
でも、袋を開けましたら小ぶりな鶏ガ入っていました。
豆腐とカブ、それに長ネギを加えました。
鶏の骨が入ったままなのですが、缶詰の骨のように柔らかく骨までも食べれました。圧力鍋で調理したのでしょう。
この参鶏湯。10,000ウオンでした。日本円にすると1,000円程度です。
初めて参鶏湯を食したのです。美味しかったです。

 

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三世代ふれあいフェスタ

2017年11月12日 23時11分57秒 | 町内会・地域の行事

私の住む町内会。約100戸の戸数が有ります。毎年、11月に「三世代ふれあいフェスタ」という行事を行っています。爺ちゃん、婆アちゃん。お父さん、お母さん。それに子供達を合わせて三世代です。同じ町内で有っても知らない人が居たりします。お互いのふれあいを深めようという趣旨です。
これまではゲームなどをやっていました。今年は岐阜県レクリエーション協会に講師派遣を依頼し、指導者に来て貰ってふれあいフェスタを開催しました。

受付

那加第3小学校の体育館が会場です。
この入口で受付をします。





受付です。
受付で、名前が書かれたシールを渡します。
そして、胸などに貼り付けて貰います。
こう言うイベント。普段、顔は判っていても、名前が判らない。同じ町内会のひと同士です。こう言う機会であり、ネームシールを貼り、互いの名前を知り合ってはどうかと言う意見が出て、今回から始まりました。




岐阜県レクリエーション協会へレクリエーションインストラクターの派遣を依頼しました。そして、派遣要請に応えて来てくれたのが大垣市レクリエーション協会の日比さんと寺境さん北村さんたちでした。

開始して、日比さんの指導です。
右手と左手。胸の位置でグーとかパーを構え上に手を挙げた時はグーからパーへとか、パーからグーへの動作をします。頭で考えても手が違う反応をしてしまったりします。




こちらは、これからに合わせ、体と気持ちをほぐしています。



キャッチング・ワンハンド・スティック

1人が1本のステックを持ち、全員がタイミングを合わせてステックを床面に着かせます。そして右に移動します。
リズム的に、ポン、ポン、パッ。
スティックの下の端を2回床に打ちつけ、右隣のスティックにを掴まえます。
その行為。円形サークルの人ですが、円の全員が行い右へ右へと移って行きます。
全員の息が合わないと上手く行きません。



老いも若きも・・・・・。
呼吸を合わせて、ポンポンパッ。
上手く行くと嬉しいものです。
笑い声が出て来ていました。


ラダー・ゲッター

ラダーとは梯子の事です。2個のボールが紐で結ばれています。
梯子にめがけてボールを投げます。梯子段にボールの紐が絡まるとOK。




下段は1点。中段は2点。上段は3点で、ワンバウンドしたボールが下段だろうが上段だろうが、とにかく横の棒に絡まると5点です。
チームで得点を競います。


卓球バレーボール

バレーボールを卓球台で行う形です。
両チームとも、同人数とします。
蒲鉾板の親分みたいなラケットです。
卓球のボールに鈴が入って居ますので、視覚障害者でも出来ます。
ボールを相手方に返すのはバレーボールと同じルールで1回で返しても良いですし、3回バスして返しても好いのです。そして、スコアを競いました。




ネットの下を転がって行くボール。
この卓球バレーボールもオトナと子供が一緒に楽しめました。


ジャグリング・ほうきあやつり

2本のスティックを持ち、2本の間をホウキの柄を右左にやります。
カタ、カタ、カタ、と音がします。
そして、ホウキを持ち上げるようにします。
このスティック。棒なのですが、透明のホースの中にスティックを通した感じがしました。
それで、適度に摩擦が係り上に持ち上げるのにホウキの柄が引っ掛かりました。





子供さんにやり方を指導しています。





こちらはホウキの先を持っていて、カタ、カタ、カタ、と打つタイミングを教えています。




缶つみ

空き缶を何個積めるかな。
折角、積んでも倒れてしまう事が有ります。





子供より、お父さんの方が真剣です。
インストラクターの話しでは、20個ほど積んだ事が有るそうです。


大垣市レクレーション協会のインストラクターに指導して貰う時間は、この時まででした。この後はランチタイムとなります。大垣市から足を運んでくれたのですが、これらのゲームに使用した機材の他にケン玉やお手玉を持参してくれました。
それぞれのコーナーごとに親子で楽しむ事が出来ました。




お昼休みのランチタイム

昼食の時間になりました。
体育館の中での食事は禁止です。
それで、体育館の外に出て助六寿司の昼食です。
敷物を広げて屋外での食事。
この日は風も無く快適でした。


お楽しみ抽選会

午後の部の開始です。
全員の名前の用紙が入った箱から1枚取り出します。
最初はこの担当者が名前が書かれた籤を引きました。その次からは当たった人が、次の人が当たる景品を指定して、籤を引いたのです。そして、次から次えとリレーで繋がっていきました。



四世代同居世帯の表彰

感謝状の贈呈です。
町内の世帯で、四世代同居と言う世帯が有ります。
その世帯の表彰です。
副賞にお米が贈られました。



四世代同居世帯の表彰状です。
この表彰状を贈呈しました。



最後に
三世代が一緒にゲームを楽しむ「三世代ふれあいフェスタ」。三世代だけでなく隣近所との交流を深め、初期の目的を達成する事が出来ました。

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歴史街道を歩く会 10月例会  小牧宿を歩く  そして小牧城を訪ねる

2017年11月11日 23時27分45秒 | 歴史街道を歩く会

10月28日に小牧市の市街を歩く計画となっていました。当日一旦は、蓋を開けたのですが雨が激しく開催を断念しました。それで、11月の開催では有りますが、10月例会を実施しました。
今回の例会、Kオジサンがリーダーを努めました。振替え実施の状態となり、既に予定の有る人が多くて参加者が少ないと言う結果となりました。

名鉄小牧駅(スタート) → 駒止庭園 → 江崎氏頌徳碑 → 戒蔵院・道標 → 西林寺 → 西町の稲荷堂 → 
小牧神明社 → 小牧山・小牧市歴史館 → アピタ小牧店 → 芋塚 → 土手橋端の辻地蔵 → 織田信長公勤皇碑
 → 津田応助先生顕彰碑 → 西町の道標 → 清須道分岐 → 小牧宿本陣跡 → 小牧御殿跡 → 
蟹清水砦跡 → 岸田家 → 啓運寺 高札場跡 → 小牧口駅(ゴール)

 

今回のコース地図です。右上から左下へ伸びて左に折れ、そして下へ向かっていく青い実線。これが木曽街道です。この街道の一部を歩くとともに小牧宿を散策しました。
最初に計画したコースを歩き、途中でガイドと出合ったので、清須道分岐や本陣跡へ寄る事が出来ました。


駒止庭園

小牧駅の北西の場所です。
駅で下車して最初にこの庭園に向かいました。
園内に駒止の意味を書いた説明板が立っていました。


戒蔵院・道標

真言宗智山派の寺院です。
木造十一面観世音菩薩(火伏せ観音)が安置されています。




戒蔵院の門前には木曽街道の道標があります。
この道標が有る所。丁度、クランク状となっているところです。


西源寺

戒蔵院の西隣。
西源寺に寄りました。




西源寺には立派な鼓楼が有ります。
時間を知らせると言うより、人を集合させるような時に太鼓を叩いたみたいです。


チャレンジ街道

「信長公 夢・チャレンジ街道」。小牧駅から小牧山に掛けての道がチャレンジ街道となっています。
路面に信長の事柄が貼り付けて有ります。




信長の誕生や桶狭間の戦いが記して有ります。


西林寺

寺の山門として徳川家の菩提寺である建中寺の霊廟にあった門が移築されています。
境内には2.26事件で暗殺された教育総監で陸軍大将、渡辺錠太郎の銅像もあります。
明日、晋山式がありますが、準備が整っていました。


西町の稲荷堂

こちらの建物は、建中寺の霊廟を移築したものです。
住民の願いに寄り豊川稲荷を歓請しました。
内装は当時のままでありますが、荒れてきています。
右側の狛キツネの鼻が折れて居ます。痛々しく見えます。

小牧神明社

祭神は天照大神、秋葉社をはじめ至る所に境内社があります。
また、御神馬像や大きな連理木のクスノキなどもあります。



山車庫が見えました。
それに祭りの写真の載った説明板が設置して有ります。


小牧山緑地

小牧山緑地まで来ました。
この辺り。発掘調査が行われ、その記録が解説して有ります。




土塁を輪切りにしたような状態の土塁断面展示施設があります。




小牧山ガイド。
これから歴史館に向かって登って行きます。




登り坂を進みます。
何人も下山して来る人を見かけました。
小牧市民の散歩道になっているのでしょう。




お城が見える所まで上がってきました。


小牧山・小牧市歴史館

永禄6年(1563)織田信長が小牧山に小牧城を築城しました。また、天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦の際、織田信雄・徳川家康軍の主陣地となった場所です。城跡が小牧市歴史館となっています。小牧山の事だけでなく、市の歴史が判る博物館的な施設です。名古屋の篤志家(平松茂)により、昭和43年(1968)に完成しました。
展望の良い場所です。
戦国武将の気分で眼下を見下ろして見ると好いでしょう。



小牧市歴史館のパンフです。
歴史館の1.2階は撮影禁止となっていましたのでパンフを貼りました。
館内に平松茂の遺品が並べられていました。説明に寄るとここへ訪れて城を建設寄贈を思いついたと有りますが、平松は染色業で儲けた人です。儲けた金をみんなのために使おうとしたところが偉いと思います。



4階の展望室まで上がりました。
ここで、城からの眺望を団体の人に説明している男性を見かけました。
右は後で撮らせて貰った名札です。
観光ガイドの人でした。




展望室の外へ出てみました。
低気圧が去った後で、とても風が強かったです。
360度の展望が望めました。
この画像は城から見える南方向です。




小牧城を後にします。




城の南へ下って行きます。




前方に小牧市役所。
小牧市役所が見える所まで降りて来ました。




足元に小牧城下町の説明板が設置して有ります。


アピタ小牧店

アピタ小牧店が見えます。
アソコで昼食にします。




アピタ小牧店でお会いしたガイドボランティアの鵜飼さん。
先ほど、お城で団体のガイドをしていた方です。
偶然、アピタのフードコートでお会いしました。
午後からは予定が入っていないという事で、私達のガイドをお願いしました。

手にしているのは小牧中学校の航空写真です。小牧中学校を別の場所に移しそこを発掘調査したら信長の居宅跡が出て来たのだそうです。右側は今に近い時代で芝生の広場になっています。
合瀬川の橋の上で説明してくれました。

芋塚

かつて西行法師が南外山の春日寺に立ち寄ったいう伝承があり、そのゆかりによって、建てられました。




鵜飼さんに案内され歩いています。
この道の横に細い道が有りました。
その道が清須道だと説明していました。
もともとは細い清須道だけだったのが、街の発展のため、家屋を立ち退かせて車道と歩道が有る大きな道にしたのでしょう。

清須道起点

清須道起点。
木曽街道との接点となる場所です。
信長は清須から小牧へ城下町を移しました。
この街道。信長が通ったのでしょう。


本陣跡

小牧宿の本陣跡。
この場所の広さを鵜飼さんが説明してくれました。
道路を挟んで北と南に分かれています。
もともとの敷地に道を通してしまったのでしょう。その跡からは本陣が広かったと想像できました。



屋根神様

屋根神様。
もともとは屋根の上に有りました。
そして、もとの家屋は取り壊しとなりました。
家が無くなっても、屋根神様を地面に下ろす訳には行きません。
それで、足元に鉄骨を入れ、以前のような状態にしています。
他の場所では、鉄骨の足元では有りませんが、屋根神様を地ベタに置かないようにしている所を見かけました。


小牧御殿跡

小牧御殿は、江崎善左衛門の蟹清水屋敷を御殿として設けたのが始まりです。藩祖、徳川義直が鷹狩りをした際、小牧山の景観と湧き水の「蟹清水」を施した庭園が大変気に入り、御殿にしたといわれています。天明2年(1782)4月御殿の一角に代官所(陣屋)が設けられました。


蟹清水砦跡

天正12年(1584)小牧・長久手の合戦の時、徳川方の砦が有った場所です。
鵜飼さんに寄ると、この蟹清水砦跡。実際は、もつと北の方だそうでした。



岸田家

岸田家は、名古屋と中山道を結ぶ上街道の小牧宿の下之町に有り、江戸時代には名字帯刀を許された旧家で、脇本陣としての役割を果たし、幕末には庄屋を努めました。建物は近世中頃(1700年代)のものと推定されています。荒目の平格子や親子付の出格子、堂々とした屋根神の祠を残した外観も貴重な資料です。
写真は小牧宿について説明する鵜飼さんです。




岸田家の横に設置してあった小牧宿の説明板です。
小牧宿の町並みの地図。
南北が逆になっていて、上が南です。下から上之町、横町、本町、中町、下町へと続いて行きます。
街道が戒蔵院前でクランク状となっているのが良く判ります。
アソコに道標が有りました。


啓運寺 高札場跡

日蓮宗の寺です。
本殿には開運北辰尊妙見大菩薩が祀られています。
門内には高札場跡の碑があります。
木戸高札場跡と刻まれているように、ここに木戸が有り小牧宿の入口でした。




木戸高札場旧蹟の石碑。
鵜飼さんの説明で、この場所に木戸が有ったので、木戸高札場と言われる様になったのが判りました。





街道が広くなった場所。
ここに高札場が設けられていたと言う説明でした。


小牧口駅(ゴール)

ゴールで有る小牧口駅まで歩いてきました。
この場所までガイドしてくれた鵜飼さんとは、ここでお別れしました。




感想
今日の開催についても、雨模様の天候でヤキモキしましたが、前夜の雨が上がり何とか実施する事が出来ました。
名鉄小牧駅をスタートして小牧口駅にゴールするコースでした。週間天気予報で土曜日は雨の予報をしていました。そのため依頼してあった小牧市のボランティアガイドをキャンセルしました。それでも、偶然アピタ小牧店でボランティアガイドに出合い、午後からのコースをガイドして貰う事が出来ました。
コース的には西町の道標から小牧御殿跡へ来る予定でしたが、鵜飼さんの案内で清須道分岐や小牧宿本陣跡を訪ねる事が出来て良かったです。

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岳友タンネの会 11月定例会

2017年11月10日 23時23分36秒 | アウトドア

今夜、11月の第2金曜ですが第1金曜日の代わりで、岳友タンネの会の定例会が蘇原コミニティセンターで有りました。
9月と10月に実施した山行の報告会です。それに12月から3月にかけての山行計画についてでした。



実施報告です。
パソコンから投影しています。




こちらは上平寺から伊吹山に登った山行報告です。




今日は、午前中はスケッチ。午後はヒストリーの現地見学。そして5時からは歯医者でした。そして夜は岳友タンネの会の定例会でした。多忙な一日でしたが、何とかやっています。

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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  現地学習  石川麻呂の墓、加佐見神社、そして山田寺、安積家へ

2017年11月10日 23時14分44秒 | ヒストリー各務野会

今日のヒストリー各務野会は蘇原地区で現地学習でした。
まず、最初に蘇我石川麻呂の墓に集合しました。次に行ったのが加佐見神社です。そして無染寺、山田寺、平蔵寺、最後は安積家へと蘇原の北部を歩きました。

蘇我石川麻呂の墓

集合場所が蘇我石川麻呂の墓となっていました。




蘇我石川麻呂の墓は小高い丘となっています。
墓の頭頂部に上がります。





真実だと確証が有りませんので、伝と付いています。
正式には伝曽我倉山田石川麻呂の墓です。
Mさんが説明してくれました。




石川麻呂の墓から南方を望みました。






各務原市埋蔵文化財調査センターの資料から引用しました。
こちらは南側から石川麻呂の墓を眺めたものです。
発掘調査が行われました。
石川麻呂に結びつかないにしても、この地に弥生時代の環濠集落が有ったのは間違いないようです。

加佐見神社

伝曽我倉山田石川麻呂の墓から加佐見神社へ移って来ました。
これから加佐見神社を見学します。




境内に「雷の落ちた井戸」と言う民話の看板が設けて有りました。
その井戸は看板の前に有りました。



本殿の横へ回り込みました。
大きな岩。
ご神体に関係が有るのか注連縄が結んで有ります。



こちらの説明板は東山道を解説しています。




東山道の説明板です。





加佐見神社から「そらーら」の駐車場に移動しました。
ここから山田寺の方へ歩きます。


無染寺

まず、無染寺まで歩いてきました。
ここには古代山田寺の塔心礎が有ります。





古代寺院山田寺の塔心礎です。
五重の塔か三重の塔か、塔の中心の土台石の部分となるところです。





山田寺の塔心礎の説明板です。
塔心礎が国指定の文化財となっていると書いて有ります。


旧山田寺跡

旧山田寺の石柱が立っています。




山田寺の伽藍を示す写真です。
かつては広大な場所でした。




この場所から無染寺へ行く道を表しています。


平蔵寺

蘇原熊田町の平蔵寺に来ました。




平蔵寺の塔心礎です。
この塔心礎、真っ二つに割れています。
割れているのなら、片割れは何処へ行ったのだろう。


安積家

安積家まで歩いてきました。
この場所は安積家の南側で門がある位置です。
門が有りましたが、門を移転しています。
両側には、シッカリした土塁が築かれています。




左側と右側。
高くなった土塁です。




安積家の平面図です。
周囲に土塁がめぐらせて有ります。




安積家の外側を歩いていてツバキのような花を見かけました。
この花。ワビスケと言うのだそうです。




安積家の西横を歩きます。




安積家の北側へ来ました。
堀のようになっています。
堀の土を掘り、土塁にしたのだろうか。


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彩美会  今日は三井池公園でスケッチでした。

2017年11月10日 23時06分52秒 | 彩美会

今日は彩美会のスケッチの日でした。通常ですと、第1第3金曜日が彩美会がある日なのですが、3日が文化の日で祭日だったので今日の日に変更となっていました。
スケッチをやった場所は各務原市三井町の三井池公園です。


Kオジサンの後ろ姿です。




この池。
三井(ミイ)池と言う池で、三井山の下にあります。
この池、かつては木曽川だったのだそうです。
木曽川は天正の大洪水など、大きな洪水が有るたびに流域が変わったのだそうです。
かつて、ここを流れていたのだそうです。



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富有柿を買いに糸貫へ行ってきました。

2017年11月09日 23時47分32秒 | お買い物

毎年、今の時期の恒例行事で柿を買いに行っています。
親戚や息子達に柿を送るためです。



農産物販売所の反対側。
道を隔てた柿畑です。




JAぎふ糸貫農産物販売所です。




柿がダンボール箱に入れられ積まれています。



Bランクで13個入りです。

今年も柿を買いに来ました。




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史跡巡りとウオーキング   (第4回)  村国神社から歩く

2017年11月07日 23時44分37秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

午後は史蹟巡りとウオーキングに参加しました。
今回は第4回で村国神社からスタートし、村国神社へ戻ってくると言うコースを歩きます。


今日の資料です。
村国神社に集合して各務地区を歩きます。



村国神社の駐車場に集合して、歩き出しました。





最初に来たのが村国神社のお旅所です。




村国神社御旅所でムクノキが有りました。
ご神木で注連縄が着いています。




教福寺の石柱。
達筆な字で刻まれていて読めません。




クロガネモチの大木。
市の天然記念物に指定されていますが、指定標柱が根元で折れて倒して有ります。文化財を守ると言うことからもシッカリと管理してもらいたいものです。




おがせ町5丁目の道標です。
コンクリート壁に塗りこめられてしまっています。この状態なら破壊されるということは無いでしよう。でも、ここを通行しても道標が有る事が分かりません。文化財として標識を設置して貰いたいものです。
先生が判読して、左は「せきみち」右は、読み難いのですがこの奥に洞と言う地区が有りますので「洞みち」だろうと言っていました。
自然遺産の森に向かう時、この道標の横を通りますが、こんな場所にこの道標が有る事に気付きませんでした。


苧ヶ瀬池の北側です。
先に見えるのが薬王院です。
裏手に小高い山が見えますが、アノ山の中腹に中国人殉難の碑が有ると言う説明でした。
先の大戦末期に連れて来られた中国人が飛行場の掩待壕の工事に従事させられました。そして亡くなった人たちの碑です。





苧ヶ瀬池の横を歩きます。




苧ヶ瀬池の説明の石碑。
大堀先生が解説しています。




八大竜王の本殿の横。
苧ヶ瀬池の説明が有りました。





苧ヶ瀬池の岐阜県新八景第一位の石柱です。
岐阜新聞の前身である岐阜タイムス時代に募集し、1位と成りました。




五島医院前の道標です。
正面には奉献 村国神社と刻まれ、右側はうぬま犬山道と有りますが左側は読み難くくなっています。





苧ヶ瀬池です。
あの山の上にお城が有ったようです。
お城と言うよりも砦みたいなものなのでしょう





お茶の木の花です。
花の少ない時期。歩いていて目にしました。






石柱に各務氏一族居城地と刻まれています。
この辺りの字名が城之屋敷と言う字でした。




村国神社の参道を歩きます。
ズラーと燈籠が並んでいます。





境川の北側。
村国座です。





村国座の説明板です。
29年9月の設置です。まだ、設置されて間が有りません。





村国座の正面。
祭りに子供歌舞伎が上演されますが、この木戸を開けて上演されます。




村国座の内部に入りました。






「松」の幕が下がっています。





明治の時代。上演した役者の鳥屋の落書きが有ります。
この場所は義太夫を語る場所です。
落書きと言うより、記帳と言った方が好いのかも知れません。ここで芝居をヤツタと記録を残して言ったのです。




奈落に下りました。
この奈落。皿回し式周り舞台で4人ほどで舞台を回転できます。





花道の下の通路です。






外に出て先生の解説です。
先生が手にしている本は子供歌舞伎の台本です。
小学生の子供達が夏休みの終わり頃から練習を始め、10月の祭りの時に上演します。
右の標柱。普通には村国座とばれていますが、文化財の言い方で「各務の舞台」と言われています。



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