10月28日に小牧市の市街を歩く計画となっていました。当日一旦は、蓋を開けたのですが雨が激しく開催を断念しました。それで、11月の開催では有りますが、10月例会を実施しました。
今回の例会、Kオジサンがリーダーを努めました。振替え実施の状態となり、既に予定の有る人が多くて参加者が少ないと言う結果となりました。
名鉄小牧駅(スタート) → 駒止庭園 → 江崎氏頌徳碑 → 戒蔵院・道標 → 西林寺 → 西町の稲荷堂 →
小牧神明社 → 小牧山・小牧市歴史館 → アピタ小牧店 → 芋塚 → 土手橋端の辻地蔵 → 織田信長公勤皇碑
→ 津田応助先生顕彰碑 → 西町の道標 → 清須道分岐 → 小牧宿本陣跡 → 小牧御殿跡 →
蟹清水砦跡 → 岸田家 → 啓運寺 高札場跡 → 小牧口駅(ゴール)
今回のコース地図です。右上から左下へ伸びて左に折れ、そして下へ向かっていく青い実線。これが木曽街道です。この街道の一部を歩くとともに小牧宿を散策しました。
最初に計画したコースを歩き、途中でガイドと出合ったので、清須道分岐や本陣跡へ寄る事が出来ました。
駒止庭園
小牧駅の北西の場所です。
駅で下車して最初にこの庭園に向かいました。
園内に駒止の意味を書いた説明板が立っていました。
戒蔵院・道標
真言宗智山派の寺院です。
木造十一面観世音菩薩(火伏せ観音)が安置されています。
戒蔵院の門前には木曽街道の道標があります。
この道標が有る所。丁度、クランク状となっているところです。
西源寺
戒蔵院の西隣。
西源寺に寄りました。
西源寺には立派な鼓楼が有ります。
時間を知らせると言うより、人を集合させるような時に太鼓を叩いたみたいです。
チャレンジ街道
「信長公 夢・チャレンジ街道」。小牧駅から小牧山に掛けての道がチャレンジ街道となっています。
路面に信長の事柄が貼り付けて有ります。
信長の誕生や桶狭間の戦いが記して有ります。
西林寺
寺の山門として徳川家の菩提寺である建中寺の霊廟にあった門が移築されています。
境内には2.26事件で暗殺された教育総監で陸軍大将、渡辺錠太郎の銅像もあります。
明日、晋山式がありますが、準備が整っていました。
西町の稲荷堂
こちらの建物は、建中寺の霊廟を移築したものです。
住民の願いに寄り豊川稲荷を歓請しました。
内装は当時のままでありますが、荒れてきています。
右側の狛キツネの鼻が折れて居ます。痛々しく見えます。
小牧神明社
祭神は天照大神、秋葉社をはじめ至る所に境内社があります。
また、御神馬像や大きな連理木のクスノキなどもあります。
山車庫が見えました。
それに祭りの写真の載った説明板が設置して有ります。
小牧山緑地
小牧山緑地まで来ました。
この辺り。発掘調査が行われ、その記録が解説して有ります。
土塁を輪切りにしたような状態の土塁断面展示施設があります。
小牧山ガイド。
これから歴史館に向かって登って行きます。
登り坂を進みます。
何人も下山して来る人を見かけました。
小牧市民の散歩道になっているのでしょう。
お城が見える所まで上がってきました。
小牧山・小牧市歴史館
永禄6年(1563)織田信長が小牧山に小牧城を築城しました。また、天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦の際、織田信雄・徳川家康軍の主陣地となった場所です。城跡が小牧市歴史館となっています。小牧山の事だけでなく、市の歴史が判る博物館的な施設です。名古屋の篤志家(平松茂)により、昭和43年(1968)に完成しました。
展望の良い場所です。
戦国武将の気分で眼下を見下ろして見ると好いでしょう。
小牧市歴史館のパンフです。
歴史館の1.2階は撮影禁止となっていましたのでパンフを貼りました。
館内に平松茂の遺品が並べられていました。説明に寄るとここへ訪れて城を建設寄贈を思いついたと有りますが、平松は染色業で儲けた人です。儲けた金をみんなのために使おうとしたところが偉いと思います。
4階の展望室まで上がりました。
ここで、城からの眺望を団体の人に説明している男性を見かけました。
右は後で撮らせて貰った名札です。
観光ガイドの人でした。
展望室の外へ出てみました。
低気圧が去った後で、とても風が強かったです。
360度の展望が望めました。
この画像は城から見える南方向です。
小牧城を後にします。
城の南へ下って行きます。
前方に小牧市役所。
小牧市役所が見える所まで降りて来ました。
足元に小牧城下町の説明板が設置して有ります。
アピタ小牧店
アピタ小牧店が見えます。
アソコで昼食にします。
アピタ小牧店でお会いしたガイドボランティアの鵜飼さん。
先ほど、お城で団体のガイドをしていた方です。
偶然、アピタのフードコートでお会いしました。
午後からは予定が入っていないという事で、私達のガイドをお願いしました。
手にしているのは小牧中学校の航空写真です。小牧中学校を別の場所に移しそこを発掘調査したら信長の居宅跡が出て来たのだそうです。右側は今に近い時代で芝生の広場になっています。
合瀬川の橋の上で説明してくれました。
芋塚
かつて西行法師が南外山の春日寺に立ち寄ったいう伝承があり、そのゆかりによって、建てられました。
鵜飼さんに案内され歩いています。
この道の横に細い道が有りました。
その道が清須道だと説明していました。
もともとは細い清須道だけだったのが、街の発展のため、家屋を立ち退かせて車道と歩道が有る大きな道にしたのでしょう。
清須道起点
清須道起点。
木曽街道との接点となる場所です。
信長は清須から小牧へ城下町を移しました。
この街道。信長が通ったのでしょう。
本陣跡
小牧宿の本陣跡。
この場所の広さを鵜飼さんが説明してくれました。
道路を挟んで北と南に分かれています。
もともとの敷地に道を通してしまったのでしょう。その跡からは本陣が広かったと想像できました。
屋根神様
屋根神様。
もともとは屋根の上に有りました。
そして、もとの家屋は取り壊しとなりました。
家が無くなっても、屋根神様を地面に下ろす訳には行きません。
それで、足元に鉄骨を入れ、以前のような状態にしています。
他の場所では、鉄骨の足元では有りませんが、屋根神様を地ベタに置かないようにしている所を見かけました。
小牧御殿跡
小牧御殿は、江崎善左衛門の蟹清水屋敷を御殿として設けたのが始まりです。藩祖、徳川義直が鷹狩りをした際、小牧山の景観と湧き水の「蟹清水」を施した庭園が大変気に入り、御殿にしたといわれています。天明2年(1782)4月御殿の一角に代官所(陣屋)が設けられました。
蟹清水砦跡
天正12年(1584)小牧・長久手の合戦の時、徳川方の砦が有った場所です。
鵜飼さんに寄ると、この蟹清水砦跡。実際は、もつと北の方だそうでした。
岸田家
岸田家は、名古屋と中山道を結ぶ上街道の小牧宿の下之町に有り、江戸時代には名字帯刀を許された旧家で、脇本陣としての役割を果たし、幕末には庄屋を努めました。建物は近世中頃(1700年代)のものと推定されています。荒目の平格子や親子付の出格子、堂々とした屋根神の祠を残した外観も貴重な資料です。
写真は小牧宿について説明する鵜飼さんです。
岸田家の横に設置してあった小牧宿の説明板です。
小牧宿の町並みの地図。
南北が逆になっていて、上が南です。下から上之町、横町、本町、中町、下町へと続いて行きます。
街道が戒蔵院前でクランク状となっているのが良く判ります。
アソコに道標が有りました。
啓運寺 高札場跡
日蓮宗の寺です。
本殿には開運北辰尊妙見大菩薩が祀られています。
門内には高札場跡の碑があります。
木戸高札場跡と刻まれているように、ここに木戸が有り小牧宿の入口でした。
木戸高札場旧蹟の石碑。
鵜飼さんの説明で、この場所に木戸が有ったので、木戸高札場と言われる様になったのが判りました。
街道が広くなった場所。
ここに高札場が設けられていたと言う説明でした。
小牧口駅(ゴール)
ゴールで有る小牧口駅まで歩いてきました。
この場所までガイドしてくれた鵜飼さんとは、ここでお別れしました。
感想
今日の開催についても、雨模様の天候でヤキモキしましたが、前夜の雨が上がり何とか実施する事が出来ました。
名鉄小牧駅をスタートして小牧口駅にゴールするコースでした。週間天気予報で土曜日は雨の予報をしていました。そのため依頼してあった小牧市のボランティアガイドをキャンセルしました。それでも、偶然アピタ小牧店でボランティアガイドに出合い、午後からのコースをガイドして貰う事が出来ました。
コース的には西町の道標から小牧御殿跡へ来る予定でしたが、鵜飼さんの案内で清須道分岐や小牧宿本陣跡を訪ねる事が出来て良かったです。