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史跡巡りとウオーキング   (第4回)  村国神社から歩く

2017年11月07日 23時44分37秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

午後は史蹟巡りとウオーキングに参加しました。
今回は第4回で村国神社からスタートし、村国神社へ戻ってくると言うコースを歩きます。


今日の資料です。
村国神社に集合して各務地区を歩きます。



村国神社の駐車場に集合して、歩き出しました。





最初に来たのが村国神社のお旅所です。




村国神社御旅所でムクノキが有りました。
ご神木で注連縄が着いています。




教福寺の石柱。
達筆な字で刻まれていて読めません。




クロガネモチの大木。
市の天然記念物に指定されていますが、指定標柱が根元で折れて倒して有ります。文化財を守ると言うことからもシッカリと管理してもらいたいものです。




おがせ町5丁目の道標です。
コンクリート壁に塗りこめられてしまっています。この状態なら破壊されるということは無いでしよう。でも、ここを通行しても道標が有る事が分かりません。文化財として標識を設置して貰いたいものです。
先生が判読して、左は「せきみち」右は、読み難いのですがこの奥に洞と言う地区が有りますので「洞みち」だろうと言っていました。
自然遺産の森に向かう時、この道標の横を通りますが、こんな場所にこの道標が有る事に気付きませんでした。


苧ヶ瀬池の北側です。
先に見えるのが薬王院です。
裏手に小高い山が見えますが、アノ山の中腹に中国人殉難の碑が有ると言う説明でした。
先の大戦末期に連れて来られた中国人が飛行場の掩待壕の工事に従事させられました。そして亡くなった人たちの碑です。





苧ヶ瀬池の横を歩きます。




苧ヶ瀬池の説明の石碑。
大堀先生が解説しています。




八大竜王の本殿の横。
苧ヶ瀬池の説明が有りました。





苧ヶ瀬池の岐阜県新八景第一位の石柱です。
岐阜新聞の前身である岐阜タイムス時代に募集し、1位と成りました。




五島医院前の道標です。
正面には奉献 村国神社と刻まれ、右側はうぬま犬山道と有りますが左側は読み難くくなっています。





苧ヶ瀬池です。
あの山の上にお城が有ったようです。
お城と言うよりも砦みたいなものなのでしょう





お茶の木の花です。
花の少ない時期。歩いていて目にしました。






石柱に各務氏一族居城地と刻まれています。
この辺りの字名が城之屋敷と言う字でした。




村国神社の参道を歩きます。
ズラーと燈籠が並んでいます。





境川の北側。
村国座です。





村国座の説明板です。
29年9月の設置です。まだ、設置されて間が有りません。





村国座の正面。
祭りに子供歌舞伎が上演されますが、この木戸を開けて上演されます。




村国座の内部に入りました。






「松」の幕が下がっています。





明治の時代。上演した役者の鳥屋の落書きが有ります。
この場所は義太夫を語る場所です。
落書きと言うより、記帳と言った方が好いのかも知れません。ここで芝居をヤツタと記録を残して言ったのです。




奈落に下りました。
この奈落。皿回し式周り舞台で4人ほどで舞台を回転できます。





花道の下の通路です。






外に出て先生の解説です。
先生が手にしている本は子供歌舞伎の台本です。
小学生の子供達が夏休みの終わり頃から練習を始め、10月の祭りの時に上演します。
右の標柱。普通には村国座とばれていますが、文化財の言い方で「各務の舞台」と言われています。



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