今日のヒストリー各務野会は蘇原地区で現地学習でした。
まず、最初に蘇我石川麻呂の墓に集合しました。次に行ったのが加佐見神社です。そして無染寺、山田寺、平蔵寺、最後は安積家へと蘇原の北部を歩きました。
蘇我石川麻呂の墓
集合場所が蘇我石川麻呂の墓となっていました。
蘇我石川麻呂の墓は小高い丘となっています。
墓の頭頂部に上がります。
真実だと確証が有りませんので、伝と付いています。
正式には伝曽我倉山田石川麻呂の墓です。
Mさんが説明してくれました。
石川麻呂の墓から南方を望みました。
各務原市埋蔵文化財調査センターの資料から引用しました。
こちらは南側から石川麻呂の墓を眺めたものです。
発掘調査が行われました。
石川麻呂に結びつかないにしても、この地に弥生時代の環濠集落が有ったのは間違いないようです。
加佐見神社
伝曽我倉山田石川麻呂の墓から加佐見神社へ移って来ました。
これから加佐見神社を見学します。
境内に「雷の落ちた井戸」と言う民話の看板が設けて有りました。
その井戸は看板の前に有りました。
本殿の横へ回り込みました。
大きな岩。
ご神体に関係が有るのか注連縄が結んで有ります。
こちらの説明板は東山道を解説しています。
東山道の説明板です。
加佐見神社から「そらーら」の駐車場に移動しました。
ここから山田寺の方へ歩きます。
無染寺
まず、無染寺まで歩いてきました。
ここには古代山田寺の塔心礎が有ります。
古代寺院山田寺の塔心礎です。
五重の塔か三重の塔か、塔の中心の土台石の部分となるところです。
山田寺の塔心礎の説明板です。
塔心礎が国指定の文化財となっていると書いて有ります。
旧山田寺跡
旧山田寺の石柱が立っています。
山田寺の伽藍を示す写真です。
かつては広大な場所でした。
この場所から無染寺へ行く道を表しています。
平蔵寺
蘇原熊田町の平蔵寺に来ました。
平蔵寺の塔心礎です。
この塔心礎、真っ二つに割れています。
割れているのなら、片割れは何処へ行ったのだろう。
安積家
安積家まで歩いてきました。
この場所は安積家の南側で門がある位置です。
門が有りましたが、門を移転しています。
両側には、シッカリした土塁が築かれています。
左側と右側。
高くなった土塁です。
安積家の平面図です。
周囲に土塁がめぐらせて有ります。
安積家の外側を歩いていてツバキのような花を見かけました。
この花。ワビスケと言うのだそうです。
安積家の西横を歩きます。
安積家の北側へ来ました。
堀のようになっています。
堀の土を掘り、土塁にしたのだろうか。
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