遅いことは猫でもやる

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林の中の追悼碑

2015-06-05 00:01:54 | 行ってきました
 快晴の焼岳
 明神橋から仰ぐ明神岳前穂高岳

上高地泊の翌日は快晴に恵まれた。峰々は岩の黒さと残雪の白戸のコントラストをくっきりと見せ、本日のイベントを後押ししてくれるかのようだ。

朝8時に西糸屋を出発。穂高連峰に見守られながら左岸の道を明神に向かう。明神手前で動向の石山夫人の携帯に電話が入り、もうみんな待っているとのこと。打ち合わせ時間を間違えたらしい。手前まで池内さんが出迎えに来てくれた。徳本小屋の支配人が追悼碑近辺まで来るまで送ってくれるとのこと。少し急いで明神館に到着したら、我々のほうが少しだけ、徳本峠越えの学士山岳会(OB)本隊より早く着いた。早速明神橋を渡り車まで歩く。支配人は上高地旅館組合の世話役を兼ねているところから、この辺りでは顔役みたいだ。信大の山岳研究所(元は民営の養魚場だったらしい)の清冽な水を味わい、3台の車に分譲して総勢20数名の一行は慰霊碑へと向かう。

 元気な現役山岳部員と一緒に

奥又の出合いは、川のデブリが広く起伏もあって、がらがら崩れる石を踏みながら向こう岸に渡る。そこにも20名以上の若者が待っていた。現役の寝台山岳部の学生が春の合宿を終え追悼碑に参拝しての帰りだという。
見れば男前の男子学生に混じって、可愛い女性部員も真っ黒に日焼けをして数人元気に笑っている。一時部員が総勢でたった4人になり、存亡の危機になったのが信じられないくらいだ。これも亡くなった友人の尽力に負うところが多い。皆で記念撮影をして別れる。我々の時代とは打って変わって、ウエアーもザックも至ってカラフルだ。

 追悼碑 田辺君の碑
 松尾君の写真を載せて

追悼碑は林の入口にあり背の低いケルンに銘板をはめ込んだ地味なものである。7つほどか。山で逝った山岳部員の名前が刻まれている。アンナプルナで亡くなった佐藤君、ダウラギリで雪崩にあった田辺君、富士山でスキー滑降中事故にあった人など、奥又白で遭難した人だけでなく15名ほどの名前が刻まれている。

みんなで黙祷を捧げたあと、参加者全員で肩を組んだ。参加者中最も若いOBの江川くんが音頭を取って、現役山岳会、学士山岳会にエールを送り、「春寂寥」を歌った。青空のもと、みんなの歌声が林の中に響いた。

 新村橋
 新村橋からの霞沢岳方面