共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す
このブログでは、
近年ますます膨張し複雑化している「障害」や「病気」のイメージ、
そのイメージによって人と人が分け隔てられる社会のありようを問い直してゆきます。
ただし、まだブログ初心者なので、当分はこの趣旨に沿ったイベントの案内を中心にします。
(案内人・山下 浩志)
このブログの関連ホームページ等
わらじの会HP:http://warajinokai.at.infoseek.co.jp/
黄色い部屋HP:http://members.at.infoseek.co.jp/TOKOnews/
障害者の職場参加をすすめる会HP:http://www5b.biglobe.ne.jp/~yellow/
社団法人埼玉障害者自立生活協会HP:http://www.sail.or.jp/
「障害」・「病気」と人
「障害」や「病気」は正しい科学的根拠があることとされ、
「障害者」や「病人」は専門的な処遇の下に置かれるべきという神話が広まっています。
地域社会に参加する場合は専門的配慮とセットでなければ、「ダンピング」だと言われたり、
時には「迷惑」や「反社会的」存在にもなりうるものとして遠ざけられたりします。
でもそのことによって、人は自分を自分から遠ざけているのではないでしょうか。
しがらみと縁
しがらみは「柵」と書きます。
この字のつくりの形の通り、川の流れを調節するために杭に枝や柴をからませ川の中に立てたもの。
そこから派生して人と人の関係の意味合いも。
でも、一般に「縁」が「縁結び」といった形で歓迎されることが多いのにくらべ、
- 「しがらみ」のほうは「しがらみを断つ」という表現に示されるようにどちらかといえば歓迎されません。
「縁」も「しがらみ」も、人間の社会関係の一面であり、「縁」をとって「しがらみ」を捨てようというこのごろの社会の傾向は、 - けっきょく人と人の「縁」を切り離してゆくことにもつながるのではないでしょうか。
しがらみを編む
世界に向き合い、世界をきりひらこうとしつつも、時に挫折したりおじけづいたりしたとき、 - そしてしかたなく、しがらみに身をゆだねてみたとき、思いがけず浮かぶ瀬もあることを、
- 「障害」や「病気」とのつきあいの中で発見しています。
このブログの管理者・山下へのお便りは
e-mail: waraji@muf.biglobe.ne.jp へどうぞ。
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- 福祉農園の会員「わらじの会」の山下浩志さんの好きな言葉
「同床異夢」
「人は自己の友のうちに最上の敵を有せねばならぬ」(ニーチェ)
「いじめっ子も友達」(白倉保子)
「位置づけだか、お茶漬けだか」(八木下浩)
「おれらもかぞくのせやになんねえでまちのなかでいきてえ。
知事さん考えてくんろ」(新坂光子)
「あたりまえに差別されること」(猪瀬良一)
「一緒がいいならなぜ分けた」(北村小夜…特殊学級の教え子の言葉)
「がっこうにいれろ。いちねんいかなかった。そうだよ。
ほんとよ。
おおぶくろしょうがっこう、こしがやし。ほんとうにいきたかったよ。」(新坂きみ子)
「自立の思想は共生共育の思想とぶつかりあう」(篠原睦冶)
- 見沼田んぼ福祉農園通信