やまぼうし理事長・伊藤勲さんから、
東京の日野、八王子での40年にわたる歩みの報告をいただいた。
入所施設から街へ出て地域で生きるために街道沿いに開いた自然食の店。
そこを拠点とした手探りの24時間支援体制。
その2年後にわらじの会でも越谷に
重度障害者職業自立協会の店・吐夢亭を開いたことを思い出しつつ聞いた。
その後の制度利用や今世紀に入っての法人化そして障害福祉サービスの利用も、
両者は二本の縄をなうように、地域で共に生き抜くためのやむを得ない策だった。
共に生きるとはさまざまに異なる他者と格闘するリングを維持する営みとも言える。
「埼玉流」と自称するアプローチは幼いころからの「共に学ぶ」に始まり、
「職場参加」へと展開してきた。さまざまな支援制度が人を分け隔て続ける中で、
流れに掉さしつつあちこちで出会いぶつかる。
その「職場参加」の取り組みの現在は、町工場や地元事業所に加え、
ここ数年つきあいを重ねてきたワーカーズコレクティブやワーカーズコープ、
そして生協等の市民事業が徐々に焦点となりつつある状況
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恒例の自治体への提言案読み上げを、
でくらしセンターべしみにも通所しつつ、
入れて独り暮らししている友野さんが。
三井絹子さんからのメッセージ。
指で書いた文字を介助者がメモし読み上げる。
「『共に働く街を創るつどい2016-共に働いて地域を耕す』
とてもすばらしいと思います。
10数年前、
この志で長崎で障害者と共に生きることをやってた園長先生がいました。
また2,3年たってその人を訪ねていきました。
しかしその場所には一人も姿はいなく、建物もなくなってしまってました。
周りの人にたずねると、園長さんが年を取って畑も出来なくなり、
障害者もみんな施設や病院に入ってしまってました。
私は聞いたとき愕然としました。
地域で生きることをどこまでできるか挑戦してください。死ぬまで逃げないで。」