mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

投げやりに放置する悪い癖

2015-06-29 20:05:58 | 日記

 湿度が高いせいか、木々の緑の元気がいい。我が家のムクゲも、白い花をつけて、楚々とした風情を醸している。気温もほどほどだから、過ごしやすい。見沼田んぼの東縁も歩いている人がそう多くない。夏場はやはり、外出を敬遠するのだろうか。明後日から向こう一週間雨になる。山を歩くなら明日。そうだ、何週か前に圏央道の通行止めで行けなかった富士見山に行こうと、準備をする。車のガソリンをいっぱいにしておく。片道170kmくらい。20リッターちょっとで間に合う。目的地の住所がnaviにはない。その近くへ行って探せということか。前回準備した国土地理院地図で、確認する。まあ、現地へ行けば何とかなるだろうと、いつもながらのケセラセラ。

 

 司馬遼太郎の『韃靼風雲録(上)』を読みはじめる。どこへ向かうともわからない風情の語り口が、旅の風情に似ている。急がないで、あれこれしながら、ぼちぼちと読みすすむ。ところが主人公が、韃靼に人を送り届け、世情を偵察して戻って来いと命を受けるところから、俄然、文章が引き締まる。著者自身が何を「旅」していたか、急に分かったという気分が湧き起る。うまいなあと思う。それだけ「資料」を読み込んでいて、世界を構築していてなお結論に向けて急ぎ走らず、主人公とともに物語の世界を歩いているからなのだろう。短兵急に結論付けた浮薄な物言いをして「あれは冗談だった」とか「そもそもマスメディアは盗み聞きしていた」などと戯けるのとは、おおよそ格が違うわいと、読み手の思いも旅をして道に迷う。

 

 その合間に、8月初めの幌尻岳登山の予約faxを送り「山荘」への料金振込をする。郵便局のATMから送るときに「振替用紙」を記入するのかと思って書きこんでATMに向かったら、全部打ち込みでしかも振込通知を「郵送」に(指定)すると、料金が無料ということも分かった。やっぱり全国ネットは違うなあ。ついでに、「幌尻岳・十勝岳登山計画書」を作成する。これは「道内どこの警察署でも受け付け」とあるから、到着したときに新千歳空港の警察署に投げ込んで、帰るときに「下山報告」をすればいいかなと思う。ついでに同行者に「山行計画決定版」をつくりあげ、装備品、留意点などを記して、一人はメールで送りもう一人は会うことにする。この後者は、タブレットなどと使っているのに、メールはやらないというお人。なぜ? 「メールをやるとたくさん来て、煩わしい」という。そうかなあ。メールは、相手の都合に割り込まないから、とても品のいい通信手段だと思う。たくさん来るのはたいていコマーシャルメールだから、「迷惑メール」に入るようにしておくと気にならないよと何度か口説いたが、彼は断固としてメールをやろうとしない。仕方ないから、彼には「郵送」したり、会って手渡ししたりするしかない。今どき、と私は思うが、まあそういう人がいてもおかしくはない。でも、彼の方が私より一回り若いんだよ。ヘンだよなと思う。明後日朝、会う約束を電話でする。

 

 5月末のSeminarの音源を起こす。今まで放っておいた。どうしてかわからない。興が乗らなかったからと言えばそうも言えるし、この夏に向けて作成中の母親の祈念誌の作成にかかりっきりであったと言えば気持ちはそうであったと言えなくもない。だが実態は、まったくそうではない。ところが昨日、「1年前のあなたの投稿記事」というメールが届いてみてみたら、「ゴミ屋敷」の人のことを書いている。簡略に言えば、目前の一つひとつのことを、その都度「完結」させていくことによって、かろうじて私の生活は保たれている。それができなくなって、始末をつけずに放りだしたまんまにするようになったら、そろそろ私も自立生活が難しくなってきたということだ、というふうなことを書いている。それを読んで反省した。「完結」させないで放置するには、まだ早い。興が乗らないのなら、なぜ興が乗らないのか問い詰めてみるのが私の流儀ではなかったか。そこまでやって放置するならいいけど、それもしないで放り出しておくのは投げやりってもんだと、朝から取り組んでいる。1時間分、起こした。起こしながらまた、あれこれ考え込んでいるから、それはそれで面白いのだが、でもなぜ放り出しておいたのだろう。

 

 おや、もう夕方の6時だ。早いなあ、時の経つのは。まあそれでも、まだ生きているのに飽きは来ないから、ダイジョウブ。集団的自衛権の世の中の騒ぎが、ほんとうにばかばかしく思えてしかたがないが、これも、放置しておいていいのかどうか考えなければならんのかね。