mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

日常を引き摺る子どもの勢い

2015-06-09 15:18:36 | 日記

 梅雨の晴れ間というには、恥ずかしいほど雨が降っていないが、昨日はまさにそういう日和であった。奥日光の案内があった。団体は小学6年生の修学旅行。光徳や戦場ヶ原、中禅寺湖畔の森や谷、沢を、ガイドする。私がKさんと担当したのは、そのうちの「健脚コース」。39名を2グループに分けて、湯元から光徳まで刈込湖、切込湖を経て歩かせる。ガイドは、Kさんと私。それぞれに教師が2名ずつ付く。

 

 どういうグループ編成の仕方をしたのか、日ごろどんな学校の気配のなかで過ごしているのかで、グループの動きはすっかり違う。この学校は、毎年ガイドを引き受けているが、結構良質な集団性をもっていると思っていた。ことに「健脚向き」と表示されたこのコースは、例年、集中力が高い。なにしろ、大人をガイドしても4時間半のコース。途中の昼食休憩時間も含めて、6時間を予定している。6時間も歩いたことがないという彼らの緊張感が、ガイドへの集中力に転化する。

 

 ところが今年、私の担当するグループは、ちょっと気配が違う。グループのかたちがひとつにまとまらない。バスを降りて動き始めるが、後ろの方が少し離れて、心ここにあらずというような感じだ。教員は一人が真ん中に、もう一人が後ろについてもらっている。その部分は、それとして戯れている。つまり、子どもたちのグルーピングが三分割されているようで、集中するのは私についている1/3。全体としては、散漫な感触。まあ、いいか。「健脚」ということで、このコースを歩けばいいと思っているのかもしれない。例年の「自然観察」的な要素は無用なのかもしれない。立ち止まって話をするも、耳を傾けるのは2/3、一番後ろのグループは、教師もまったく気を向けていない。

 

 そういうわけで、ペースを制御することに気を傾けて、道々の観察は前の方の子どもたちだけに語り掛ける。彼らもときどき、鳥のことや樹木のこと、あるいは大岩が道を阻んでいることに、なに? なぜ? いつから? と話しかけてくる。だが大半は、歌を歌ったり、クイズをしたり、おちゃらけてふざけ合ったりしている。お腹が空いたとか、あと何キロくらいですか? と尋ねる子はいるが、くたびれてしまう子がいないのは、まあ幸運であった。

 

 刈込湖で昼食となっていたが、まだ10時半。さすがに教師たちも早すぎると考えたか、つぎの涸れ沼まで先送りする。刈込湖に着くとすぐに彼らは、ほんとうに三々五々、散らばってしまった。オタマジャクシを手のひらに掬い上げて、見せて回る子もいる。湖のずうっと端の方へ行っている子たちもいる。教師も一緒になって湖に石を投げて遊びはじめる。15分ほどで出発すると教師に伝えると、子どもたちを集め始めた。遠方の方へ行っていた子も、それを呼びに行った教師がずいぶん離れたところから声をかけると、すぐに集まってくる。素直。

 

 湖の脇を歩いているとき、ミソサザイがすぐ近くに来て木の枝にとまり囀る。ほらっ、ご覧というと、おしゃべりをやめ息を凝らしてみつめる。後ろの人たちにそれを伝える。三分された後ろの方の人たちは離れているから、知らないまま。刈込湖にひとつがいのマガモがいた。私が双眼鏡を出して覗くと、次々と貸して貸してと手が出て、双眼鏡を手渡っていく。ひとりが「あの、地味なのがオスだろ」と声をあげる。「いやいや、人間と違って、鳥はオスが派手。ウグイスのように囀るのもオスだけだよ」というと「メスは鳴かないの?」と傍らから声が上がる。「鳴くよ。地鳴きといってさえずりとは違うこえだけどね」とやり取りをする。ここへ来るまでに、コマドリやヒガラ、メボソムシクイやキビタキの声を聞いている。山王峠を越えたあたりでは、ジュウイチが鳴いていた。

 

 枯れ沼に着いたのは11時40分。ここのズミも、もう花を散らしている。戦場ヶ原のズミが今年は2週間早いと、他のガイドが話していたが、どうしたことだろう。今年は雪が多かったのだが、それがこんな形で影響しているのだろうか。年配のご婦人たち4人がすでにベンチに座ってお昼をとっている。「ごめんなさい、うるさくして」と先頭の私が詫びる。

 

 1人子どもが教師に背負われてきている。どうしたと聞くと、ちょっとくたびれたようだ、でも大丈夫ですと教師が応える。時間もちょうど良い。お昼にする。40分ほど時間をとることを教師に伝える。教師がそれを子どもたちに伝える。子どもたちはそれぞれ、ホテルで用意の箱弁を取り出し、あ、これいやだあ、そっちのを頂戴などとしゃべりながら、食事にする。叫んだり走り回ったり大声を立てて冷やかしたり、はしゃいでいる。一人、お弁当も出さずにうろうろしているのがいる。何だか眼がとんがっている。先ほど負ぶわれていた子だ。何かあったようだ。教師が近づいて何やら話し、少しはなれたところで一緒に座り込んでお弁当を広げる。

 

 空に雲が出てきた。風が冷たい。子どもたちに身体を冷やさないように着込みなさい、出かけるときにまたリュックに仕舞えばいいからというと、ウィンドブレーカーを出す子もいる。そのままの子もいる。聞くと、上に着るものを持っていないという。寒いから歩き回る子もいる。教師が少し早いが出発しませんか、という。はなれたところの子は、まだ食事をしている。それを指さして、そちらが落ち着いたら、出ましょうと応える。

 

  出る前に、ここから30分、今日最後の急坂を登る、峠まで標高差100m余あるが、休まずにゆっくり歩くからついてお出で、という。毎年こうやって気合を入れないと、へばって歩けなくなる子が出来する。ところが今年は違う。ついてくるだけではない。大声で歌を歌う子もいる、おしゃべりをしてふざけ合っている子もいる。そのうち黙るようになると思っていたら、ついに峠に出るまで、声が絶えることはなかった。

 

 山王峠に出ると、ズミが開花したばかりであった。1本のズミは、赤い蕾をつけ、1,2輪白い花を開いている。それを話すが、気に留める子はいない。教師がチョコレートを出して一人一人に配る。光徳牧場に下る、道には大きな段差があるが、飛んで降りないようにと注意をする。さすがに草臥れてきたか、黙って話は聞く。標識の「光徳2.1km→」を目に止めて、どこからどこまでだと、自分の学校の近所のめぼしい場所を言い合っている。「どのくらいかかりますか?」と聞く子がいたから、1時間くらいかなと、応じる。

 

 下りの彼らは、身が軽く、弾むように飛び降りる。さすがに私のすぐ脇の子たちは、飛んだりしないが、離れたところをついてくる子は、ポンポンと飛ぶ。膝を傷めると近くの子には言うが、声を出して注意したりはしない。後ろのグループは、走ったりとまったり、疲れる歩き方を止めない。列の間がはなれるから、後ろを見ては、止まって、近づくのを待つ。脇の子たちは「あとどのくらい?」と何度も尋ねる。「どうして? くたびれたの? 何かあるの?」と聞くと、光徳牧場でソフトクリームを食べることになっているという。そうか、それが楽しみで今は歩いているのか。

 

 「光徳0.5km」の標識をみたときには、もう我慢がならなかったのだろう。広い道の広がり、ついには私の脇を抜けて先行する子が何人も出てくる。見晴らしが利くから、放っておくと、分岐のところに来て、どちらに行けばいいのかと立ち止って待っている。枯れ沼でお昼を食べていた年配者たちが笑いながら、右へ向かう。左の方には明るい光徳牧場の草原が見えているから、彼らは左だと思っていたようだ。右だよと言うと、わあっと歓声をあげて、走っていってしまった。

 

 教師も降ってきて、一足先に牧場の方へ足を運ぶ。私は全員がそろうまでそこにとどめて、最後の教師が降りてきてから、一緒に牧場の販売所に向かう。子どもたちを届けて、教師たちに挨拶し、出迎えた校長さんにもガイドが終了したと告げて、別れてきた。

 

 「自然観察」としては、あまり話をしなかったが、まあ、こんなものか。でも、自然に浸るというよりも、子どもたちの日常を引き摺る勢いに圧倒された1日であったなあと、思った。