mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

宗教的なものによって満たされるべき心的な部分

2015-06-06 14:21:40 | 日記

 笠井潔×白井聡『日本劣化論』(ちくま新書、2014年)の対談に、面白いところがあった。戦後左翼の「劣化」を論じているところでの笠井の発言。

 

 《福本イズムの20世紀的な倒錯的倫理主義が、明治社会主義に潜在した草の匂いのする宗教的感情を押しつぶしてしまった。それに追い打ちをかけたのが、ロシア・マルクス主義の機械的な唯物論主義です。……(若いコミュニストたちは)20世紀青年として小馬鹿にしていた天皇という宗教的権威に、獄中で否応なく直面し、それに対抗できる思想的根拠が自分の中に皆無であることを自覚したわけです。宗教的なものによって満たされるべき心的な部分が、空虚なガランドウになっていた。》

 

 ドイツ留学でルカーチから影響を受けた福本和夫が、帰国して山川均や河上肇などを批判し、日本マルクス主義の転換を図った潮流を指している。私は福本イズムを知らないし、60年安保が終わった後に東京に出てきて「左翼」の運動を傍らで眺めながらマルクス経済学を学んでいたから、ほぼ門外漢ではある。だが、この「若いコミュニストたち」の心裡の径庭には、少しばかり身に覚えがある。

 

 以前にも少し記したことがあるが、私の学んだ宇野経済学は、マルクス主義経済学(当時隆盛をきわめていたのは社会主義協会の向坂逸郎や日本共産党のそれであった)を科学的に再構築する試みであった。そのため「方法論」が論議され、その過程で私は哲学することへ導かれた。学生当時の私は、「科学的」ということを「イデオロギー的な傾きから自由になること」と考えていたが、宇野弘蔵は、人がイデオロギーから自由ではないことを前提として、「対象を対象として客観的にとらえる」ために「三段階の方法論」を講じていた。つまり、自己批評性を担保して方法を論じていたのである。

 

 お蔭で私は、「ロシア・マルクス主義の機械的な唯物論主義」に向かわなかったし、「草の匂いのする宗教的感情」を心裡に懐胎したまま、棚上げしておくことになった。それは、仕事に就いて暮らしていた1960年代後半から1970年代前半にかけて、全共闘運動や市民運動の潮流の影響を受けて触発されたいくつかのアクチュアルな思想的論題において、(いま思えば、画期的な)啓示をうけていたことになる。


    
 笠井の言葉を借りれば、「宗教的なものによって満たされるべき心的な部分」が保たれたことによって、「わかりやすい」ことにすぐに飛びつかないで、心裡に保持することをしたことであった。もちろんそれが、「宗教的なものによって満たされるべき」ものとは思いもしなかった。

 

 たとえば、今自分がついている仕事の現場でできないことは、場所が変わっても(たぶん)できないという「啓示」を受けた。大学を卒業して以来ぼんやりとではあるが、社会システムや社会構造の改変を考えていた私にとって「現場」というのは、たまたま与えられた「場」であって、そこの改変に取り組むことは社会変革に取り組むことにつながらないと、どこかで考えていた(と、今なら言える)。つまり社会変革のカギは、いつも、別の場所にあった。「(自分が今立ち会っている)現場」は、入口ですらなかったから、「現場」の外へ出かけて、友人たちと「変革」について思案し、語り合うという期間を5年ほど過ごした。

 

 だがその「啓示」を受けてから、私の日々の振舞いや言説の一つひとつが問われている、それに向き合うことが「変革」だ、と気づくことになった。「変革(の契機)」は外部にあるのではなく、自分の内部にあるのだと。それこそが、「草の匂いのする宗教感情」ではないかと、今なら言える。それは、生まれ落ちてからそのときまで、「環境」に影響を受けていつ知らずかたちづくってきた己の輪郭を、あらためてとらえ返す作業でもあった。それは同時に、自分以外の「世界」を我が身を通してとらえることであり、我が身がとらえきれないことを、とらえきれないこととして見極め、棚上げしておくことでもあった。あまりにも多くの「棚上げ」に驚嘆したことは言うまでもない。それはちょうど、山の高みに登れば登るほど、その先の遠方に未踏の地が開けるような感懐であった。

 

 わからないことを「わからない」と(棚上げ)すること、分別のつかないことはつかないこととして保留することは、逆に言うと、あるがままの己の自己承認でもあった。[棚上げ]したり「保留」することは、また、ときどきに「あっこれはこうだ」と思い当たることであり、それは場合によっては、前言と齟齬することも出来する。そのとき、なぜ前言と齟齬するのかをまた、「保留」しておくことによって、己自身の一貫性を担保しておくことになった。しかもほかの人たちにそれを隠さないことが、私自身のメンタルな安定に結びついた。あいつはああいうやつだと、あらかじめ提示しておく。むろん「誤解」する人もいる。だが「誤解するのは人の常」と考えれば、そのことに憤るよりも、なぜ誤解を招いたかを己自身の言動において吟味する方が、意味多いことになった。それは「他者」の恒常的所在を前提することにもつながった。

 

 それに対してたとえば、世の初めから権謀術数の海に放り出されて懸命に泳ぎ渡ってきたような人物にも出逢った。その人物(の剣呑さ)を指して、用心して付き合った方がいいと忠告してくれる人もいた。だが、その当の人も忠告してくれた人も、ともに「権謀術数」がいかに世の中に合理性をもって流通しているかを教えてくれた。「すべて存在するものは合理的である」というマルクスの言葉も、演繹的ではなく帰納的な思考法のスタート地点として我が心中にあらためて組み込むことができるようになった。

 

 発言者の笠井潔が何をもって「宗教的なものによって満たされるべき心的な部分」と言っているのかは別として、どなたの胸中にもそれにあたる心的な部分がある、そしてそれは必要でもあると私には思える。それを「ガランドウ」にさせてしまった人が、外へ向けて攻撃的に振る舞うのではないかと、やはりあまたの出来事を想いうかべて思う。何がガランドウを埋め合わせるか。「かんけい」であろう。己自身を「かんけい」的にとらえてこそ、その心的な部分は満たされてくるように思う。