mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

日ごろの具体性を通して掘り返すこと

2015-06-01 09:12:25 | 日記

 昨日、私の住む集合住宅の年次総会があった。全部で130戸に満たない小さな団地。ほぼ半数の出席とそれよりすこし少ない数の委任状で成立し、開催。築後25年を越え、第2回目の大規模修繕を控えて、おおむね3年越しで遂行するので、もっぱらそれに取り組んでいる。ひとつ気になることがあった。

 

 一人の参加者が「(契約している)コンサルタントが信頼できない」という。彼が「大規模修繕ののための(居宅現況)アンケート」を作成するときにアドバイスを求めたが、「業務の範囲ではない」と断られたと、コンサルタントの不実を指摘する。このコンサルタントは築後10年の大規模修繕の前に契約をして以来、毎月の修繕委員会に出席してアドバイスをし、「大規模修繕」の実施過程においては毎日進捗状況をチェック。もちろんそれはそれで、別途契約をして支払いをしてきた。私は、前々回の理事を務めたときにこのコンサルタントと仕事をしているが、関わり方も仕事の中身もクリアだと感じて好感を持っている。だから、この不実指摘発言が何を意図しているのか、読み取ろうと思った。

 

 「業務の範囲ではない」というのは、断り方としては率直である。この発言者は「アンケート作成をしたのは自分だ」と言いたかったのであろうか。なるほど「アンケート」の項目は多岐にわたってはいるが、特筆すべき何かがあったわけではない。そう思っていたら、「このコンサルタントは漏水に関しては実績があるが、集合住宅の修繕に携わったことはなく……云々」と、彼が「調査」したことを付け加える。ほほう、そこまで調べるというのなら、単なる「自己顕示」ではなさそうだ。では、何があるというのかと聞き耳を立てたが、新たな「事実」の提示はない。

 

 かつて修繕委員会の委員長を務めた一人の出席者が発言を求め、ゼネコン仕事の現役であることを明かしたうえで、コンサルタントの仕事はきっちり行われてきたこと、年間の契約における支払額は妥当なものだという説明をする。この人は私も一緒に仕事をしたことがある。彼の発言内容も、私の体験的に感じていることと重なる。

 

 と、先の「不実」提起者が、自らの仕事が司法書士であるとあかし、次のように発言した。

 

 《(この集合住宅の日常的な管理を託されている)住宅管理会社は長年にわたって全国に手広く展開しており、信頼性も高い。大規模修繕などに関するコンサルタント業務も行っている。それと別個に(専門的でもない)コンサルタントを委託するのは、「ねじれ」を生み、好ましくない。しかも、このコンサルタントには、「コンサル業務」の支払いだけでなく、補修修繕業務の施工監理など、もっと多額の追加業務を委託して支払いをしている。》

 

 と。「司法書士」という仕事を明かしたのは、たぶん自らの権威づけであろう。それよりも、住宅管理会社の回し者か、というのが私の第一感想。「補修修繕業務の施工監理」というのは、10年目の大規模修繕の時がそうだが、素人の理事には手に余ることだから専門家に委託した方がよい、と取りまとめたことも、思い出した。それが、大規模修繕に関する将来見通しなどを作成したコンサルタントであっても、不思議はない。弱小コンサルタントよりは大手の住宅管理会社というのは、この「司法書士」の身勝手な傾きだよなあ、と。

 

 すると先のゼネコン現役が「この大手管理会社は、かつて見積もりを出した時に驚くほど多額の経費を想定し、別の業者に見積もりを出してもらったら、その半額ほどになったことがあった。それに、日常の管理業務と大規模修繕のコンサルタントの仕事の担当会社が異なったからといってネジレがあるとは思わないが、異なった立場の会社がかかわった方が、委託する側からすると、透明性が確保できて良い」と付け加え、この論議に始末をつけた。

 

 この最後の指摘が、おそらく「司法書士」の職業的傾きを表しているのかもしれない。

 

 司法書士には、多様性がバラツキにみえるのだ。一体性がないことは、すなわち不具合を生む、と思い込んでいるにちがいない。法的な統一性が社会的な完結性をもたらす、それを作り出すのが東大法学部だというのが、日本の法曹界のトップに立つ権威の考え方であると、仲正昌樹がどこかで東大法学部の特異性を解説していた。日本の知的エリートの頂点が、そのように考えて世論をリードすることによって、ずいぶん長い間、日本の社会は翻弄されてきたともいえる。それを日ごろの一つひとつの出来事を通じて、掘り返していくことが、世の中を作り変えていくことになるんだなと、考えるともなく思っていた日曜日でした。