北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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功労者を称える場所

2018-06-24 09:23:13 | 釧路&釧根地方



橋南地区をブラブラ歩いていると、何やら気になる場所が。
木製の鳥居(そもそもそんな物があるのかどうかわからないけど)のようですが、神社とか寺院ではありません。








先日の厳島神社の記事で、「佐野家」という一族の存在についてさらっと触れましたが、この佐野家は、越後国三島(さんとう)郡寺泊(現在の新潟県長岡市)に本拠を置いていた、米や麹を扱う商家で、屋号を「米屋」といいました。
廻船業者として発展した米屋は松前藩に進出し、1822年、二代目の米屋孫右衛門が、運上金450両で、現在の釧路市にあった「クスリ場所」の責任者として赴任してきます。
1866年に「佐野」の姓を授かった後、四代目の佐野孫右衛門(以下「四代目」。)は、「場所請負制」(運上金を取って、商場の経営を商人に委ねる制度)の廃止後、「漁場持」という役職で釧路場所の経営に当たり、1872年には、釧路、白糠、川上、阿寒、足寄の五郡の戸長となりました。
そうした立場にあって、四代目は、方々より寄付を募り、私費を投じて学校や病院の建設、道路の開削を行いました。こうした経緯で開拓された地域は、現在、佐野家の屋号をとって、「米町」と呼ばれています。


「釧路市米町」の範囲はこちら








この碑には、(当然ながら)四代目の功績のみ触れられていますが、調べてみて、「へぇ~」と興味深く感じた話を一つ。

当時釧路国を支配していた佐賀藩のもとで漁場持に任ぜられていた四代目は、自営を志す昆布漁民や出稼ぎ漁夫を重用して場所の発展を図ろうとしましたが、折からの流水害による昆布の不漁や、箱館在住の英国商人A・ハウルを相手に輸出昆布の取引を通じて資金融通を受けていたものの、日本や支那への資本輸出を企てる外国商人に対抗できず、債務負担が増大したなどの事情が重なったことから、やがて経営破たんに陥り、漁場持を辞退して函館へ退去しました。
そう、釧路の歴史を語る上で欠かせない人物が、やまれぬ事情とはいえ、函館にいたことがあるという事実に大変興味深いものを感じたのですが、実際四代目が函館でどのような暮らしをしていたかは定かではなく、これといった功績も残していなかったようです。(どうりで函館の歴史に関する本でも名前が出てこないはずです)

開拓使時代となった1872年、佐賀藩時代の直営による支配方式を改め、生活物資や資材の仕入れ、販売などの一切を漁場持に一任する制度が取られ、地元の有力商人たちが漁場持を打診されましたが、彼等は何故かその引き受けを辞退。困り果てた時の根室出張開拓支庁判官松本十郎は、外国からの借財禁止をはじめとする八ヶ条の達しのもと、再び四代目を漁場持に任ずる辞令を交付します。
1876年、大きな経済的特権と保護が与えられる「漁場持」という制度が、漁業発展の妨げになると考えた開拓使は、同年9月21日にこの制度を廃止しますが、この流れを予期していた四代目は、これに先立つ3月13日に漁場返上を願い出ていました。
その後の四代目は、川湯の硫黄山の硫黄試掘の権利を獲得し、産業資本家としての転身を図りましたが上手くいかず、やがて釧路を引き上げ、1889年に亡くなりました。





ということで、ここからは、園内の紹介をザザーッと。
「あはれかの国のはてにて酒のみき かなしみの滓を啜るごとくに」という啄木の歌碑です。





ここにあったとされる「喜望楼」という料亭は、当時としては珍しい洋食屋で、ビリヤードやバルコニーなども設置されていたそうです。








釧路の児童教育のはじまりの地があったのですね。
解説文にある「日進学校」については、追って別の記事で触れたいと思います。








園内にある碑などで一番興味深いのは、やはりこれでしょうか。
東蝦夷地が幕府直轄となった際、「久寿里(クスリ)場所」には、交易を行うための「会所」が設置されました。
現在に至る釧路の発展はここから始まったと言ってもよいということなのでしょう。








函館もそうでしたけど、釧路も、東北海道の拠点ということで、「発祥」や「創業」にまつわる場所が沢山あるのですね。








最後は、碑や解説文ではなく、この可愛らしいベンチをご紹介して、締めます。


「佐野碑園」の場所はこちら
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