御存知、札幌のシンボルとも言える「札幌時計台」。
緊急事態宣言も解除され、観覧が再開されました。
この大きな時計ですが、ちょっと興味深い話を知りました。
当初は「札幌農学校演武場」と言われていた現在の時計台は、明治11年(1878年)10月16日、現在地よりおそよ130m北東に建設され、三年後の明治14年(1881年)8月12日に時計が設置されて運転が開始されたそうです。
何ゆえ建設当初ではなく三年後なのかというと、竣工当時、式典に参加していた当時の開拓使長官黒田清隆が、建物の塔屋、鐘楼部分に時計を設置するよう指示を出し、それを受けて、アメリカの「ハワード商会」という業者に、大きな時計を発注したということなのですが、何と、建築当時の鐘楼部分は、現在のような大きさではなく、せっかく発注してアメリカから送られてきた時計を取り付けることができないという事態になってしまいました。
これには、設置を指示した黒田も激怒したそうで、種々検討した結果、送られてきた時計に合わせる形で新たに時計塔を設置することが決定され、先述のとおり、明治14年8月に、時計の運転が開始されたということだそうです。
2階にある大きな時計。
時計塔に設置されているのと同じサイズだそうで、直径167㎝、短針63㎝、長針85㎝あるそうです。
とまあ、建築から時計の設置まで紆余曲折があった時計台でしたが、今年の6月、その歴史に関する一つのニュースが飛び込んできました。
WEB特集「日本最古じゃなかった」正直に言うべきか、どうしよう1・・・(NHK NEWS WEB)
私は行ったことはありませんが、兵庫県の豊岡市に、「辰鼓楼」(しんころう)という、同じく時計台として活用されている建物があり、こちらも、札幌と同じく明治14年から時計台としての歴史がスタートしているのですが、札幌と違い、明治14年というだけで、肝心の何月何日かということが明確になっていなかったため、どちらが日本最古なのかということについて、これまで決着がついていませんでした。
しかし、ニュース記事にもあるとおり、地元の小学校に残されていた日誌の記述から、時計台として動き出したのが9月8日であったことが判明。つまり、札幌よりも27日遅いということで、これにより、「日本最古の時計台」は札幌であることが証明されることとなりました。
リンク記事にもあるとおり、「辰鼓楼」は、これからは堂々と「日本で二番目」と名乗っていくことを宣言したそうですが、これに当たり、実は双方の代表が電話で会談を行い、「これからもお互い頑張って運営を続けていこう」という趣旨のエールを交換し合ったのだそうです。
長年の論争があと腐れなく決着し、新しい一歩を踏み出したということで、私も、二つの時計台の今後には、この場を借りてエールを送りたいと思います。
「辰鼓楼」。ぜひ一度観に行きたいものです。