昨日の記事で紹介した「弁天ヶ浜」の踏切は、JRではなく、釧路市内にある現在国内唯一の炭鉱となっている「太平洋炭礦」、現在の「釧路コールマイン」の石炭運搬のための鉄道です。
その石炭運搬鉄道の二つある起終点の一つ、選炭工場については以前紹介しましたが、もう一つの起終点の方はどうなってるのだろうと思い、地図で調べて行ってみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/bf/2023ac5464905066a8f488194c5ccdf6.jpg)
「米町公園」から割と近い所にある、高台の住宅街から。
鉄橋のようなものが見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/04/59f90e7c1191fa43cab1424bcaacfc5e.jpg)
途切れてますね。
あそこが起終点なのでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/59/234db2cea957942a018d93bd344cb2e8.jpg)
ということで、今度は下から。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/31/32e7b3a5c15606088c78c0e30f30db8e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/e9/1863649f662fc0b4650927c7a6d03e6c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/3d/857840472858195a73b0326e361e2b5a.jpg)
地上ではなく橋の上で終わっているんですね。
調べてみると、旅客ではなく貨物専用の路線でありながら、実はちゃんと駅名があるのだそうで、まず、写真のこちらの方は、所在地である「釧路市知人(しりと)町」の名前から「知人」駅といい、選炭工場の方も、同じく所在地名を取って「春採(はるとり)」駅といいます。
現在は貨物専用ですが、元々は、1925年に「釧路臨港鉄道」という会社によって開業され、1963年までは旅客営業もされており、路線も市内をほぼ循環する形で、駅の数も、一番多いときで13あったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/74/f6f780bbc950500ddacb46916d50b999.jpg)
太平洋炭礦の最盛期は、操業に合わせて定期運行されていましたが、現在は、採炭の都度不定期での運行となり、何日の何時にこうして貨物列車が見られるか分からなくなっていますが、逆にそれを魅力に感じてやってくる鉄道ファンも多いのかもしれませんね。
私は前回釧路にいた三年間、一度だけこの鉄道の踏切に引っかかったことがあり、何だか自慢したい気持ちになったのを覚えています。
この鉄道の位置関係はこちら。(印のついているのが「知人駅」)
その石炭運搬鉄道の二つある起終点の一つ、選炭工場については以前紹介しましたが、もう一つの起終点の方はどうなってるのだろうと思い、地図で調べて行ってみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/bf/2023ac5464905066a8f488194c5ccdf6.jpg)
「米町公園」から割と近い所にある、高台の住宅街から。
鉄橋のようなものが見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/04/59f90e7c1191fa43cab1424bcaacfc5e.jpg)
途切れてますね。
あそこが起終点なのでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/59/234db2cea957942a018d93bd344cb2e8.jpg)
ということで、今度は下から。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/31/32e7b3a5c15606088c78c0e30f30db8e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/e9/1863649f662fc0b4650927c7a6d03e6c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/3d/857840472858195a73b0326e361e2b5a.jpg)
地上ではなく橋の上で終わっているんですね。
調べてみると、旅客ではなく貨物専用の路線でありながら、実はちゃんと駅名があるのだそうで、まず、写真のこちらの方は、所在地である「釧路市知人(しりと)町」の名前から「知人」駅といい、選炭工場の方も、同じく所在地名を取って「春採(はるとり)」駅といいます。
現在は貨物専用ですが、元々は、1925年に「釧路臨港鉄道」という会社によって開業され、1963年までは旅客営業もされており、路線も市内をほぼ循環する形で、駅の数も、一番多いときで13あったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/74/f6f780bbc950500ddacb46916d50b999.jpg)
太平洋炭礦の最盛期は、操業に合わせて定期運行されていましたが、現在は、採炭の都度不定期での運行となり、何日の何時にこうして貨物列車が見られるか分からなくなっていますが、逆にそれを魅力に感じてやってくる鉄道ファンも多いのかもしれませんね。
私は前回釧路にいた三年間、一度だけこの鉄道の踏切に引っかかったことがあり、何だか自慢したい気持ちになったのを覚えています。
この鉄道の位置関係はこちら。(印のついているのが「知人駅」)