自在コラム

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★「場」立ち考~中

2012年05月05日 | ⇒トピック往来
 4日午後はJR高知駅から土讃線で香川県琴平町に移動した。JR特急南風18、この列車は「アンパンマン列車」だった。高知県出身の漫画家やなせたかし氏が原作のアンパンマンを車体に描いた特急列車で、1号車には「アンパンマンシート」(普通車指定席)があり、子どもたちと家族で埋まっていた。琴平町と言えば、「金毘羅(こんぴら)さん」だ。

      ~ 香川・金毘羅さんとアフリカ象 ~

 「一生に一度は、こんぴらさんへ」と金毘羅参りが盛んになったのは江戸中期以後のこと。金刀比羅宮は、昔から海の安全、五穀豊穰、大漁祈願、商売繁盛など様々なご利益のある神様として年間300万人もの参拝客(観光客)を集めている。参道沿いには茶店・土産物店が並び、歴史を感じさせる。それにしても、参道口から本宮=写真=までは785段、奥社までは1368段の石段があり、相当な覚悟が必要だ。今回は時間の都合もあり、本宮まで登った。

 最初の100段ほどは、石段の高さも低く準備運動と言った感じ。一之坂鳥居を越えると坂の角度がきつくなる。参拝者にとってここが最初の難関のようだ。参道の店のおばさんが「杖を持って行きんさい」と声をかけてくれる。周囲を見ると、結構若そうな人でも杖を持っている。ここは自分を叱咤激励して杖に頼らず登ることに。

 一ノ坂から急な石段を250段ほど上がると大門が見えてくる。造られたのは慶安2年(1649)ごろで、讃岐の初代藩主が奉納したと説明書きにある。ここからが金刀比羅宮の境内となる。セミの鳴き声が響く。気合いを入れて石段をのぼると、右手に「こんぴら狛」と書かれた犬の像があった。昔は飼い主の代わりに犬が金毘羅詣りをするということがあったらしい。その犬のことを「こんぴら狛」と呼ぶようになったとか。そういえば、犬を連れた参拝客も何組かいて、売店にはドッグフードを置く店もある。

 石段の参道で目立つのは左右にずらりと並ぶ石柱だ。神社への寄進者の名前が彫られている。「金壱百萬圓」などとあるから大口だ。寄進者の住所も九州から北海道までまさに津々浦々から。ほとんど個人名だ。石段をのぼるにつれ、さらに大きな石柱が見えてきた。今度は「金壱封」と書いてあるだけで金額の明示はない。石柱の大きさからして「金壱千萬圓」ではないかと想像力をかきたてる。寄進者名は個人より漁業関連会社が多い。

 旭社(重要文化財指定)が見えてきた。ここで500段以上のぼったことになる。さらに本宮を目指すが、前に立ちはだかる絶壁のような急な階段。御前四段坂という難所だ。ここを何とか登り切り、本宮の拝殿までたどり着く。爽快感が体中に広がる。汗をかき、自分の足で参拝することに値打ちがあるのだと、金毘羅さんが教えてくれかのようだ。ここから一望する讃岐平野は絶景だ。

 帰りはむしろゆっくりと「下山の心」で石段を降りる。途中、面白いオブジェがあるのに気がついた。立札には「アフリカ象」と書いてあり、東京の男性が昭和30年(1955)5月に奉納となっている。なぜアフリカ像なのか気になっていた。

 それはホテルに入って、夕食のとき気がついた。箸袋を開くと、「金毘羅船々」の歌詞が書いてあった。「金毘羅船々 追手に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば四国讃州那珂の郡 象頭山金毘羅大権現 一度廻れば」。金毘羅さんがある山は、讃岐平野からはゾウの頭と鼻に似ていることから象頭山(ぞうずさん、538㍍)と呼ばれるのだ。山の真ん中あたり、ちょうどゾウの目の部分が本宮が位置する場所と古来よりいわれているらしい。そうか、象の頭のような山に金毘羅さんがあるから象の像を寄進した。

 では、なぜインド象でなくてアフリカ象なのかと詮索もしたくなるが、話はここまで。

⇒5日(こどもの日)朝・香川県琴平町の天気   はれ

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