自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆地震損壊の共同墓地や墓石を行政が支援 この際「一村一墓」の発想を

2024年09月05日 | ⇒ドキュメント回廊

  旧盆には間に合わなかったが、秋の彼岸までにはなんとかならないかと思っている人たちは多いのではないか。元日の能登半島地震で倒壊した墓石のことだ。いまもブルーシートで包まれた墓石を各地でみかける。この光景を見かねたのか、被害が大きかった奥能登の穴水町では、倒壊した墓石の修復費用の半額を補助する制度を創設することにし、2024年度の補正予算案に8000万円を計上した(4日付・新聞メディア各社の報道)。

  補助金額は1世帯当たり最大で10万円で、宗教や宗派は問わない。ただ、修復に当たる石材業者の数が限られ、年度内に作業が終わらないことも考えられ、町では来年度も継続することを検討しているという。墓石の地震被害では、2018年の北海道地震で被災した自治体が見舞金を支給したケースはあったものの、墓石の復旧費用を自治体が住民に助成する制度は全国的にも珍しいようだ。

        一方、石川県は県予算で被災した集落が管理する共同墓地の復旧を支援するとし、9月補正予算に8800万円を計上した。補助はたとえば、共同墓地で共有の通路に倒れた墓石の移動や壊れたフェンス、共同墓地の敷地内の水道の普及費用など。ただ、集落の共同墓地のみが対象で、宗教法人や市町などの公共団体などが運営する墓地、個人管理の墓石などは対象にならない。  

  8月13日付のこのブログでも述べたが、能登には「一村一墓」という言葉がある。半島の尖端・珠洲市三崎町の大屋地区での言い伝えだ。江戸時代の「天保の飢饉」で人口が急減した。能登も例外ではなく、食い扶持(ぶち)を探して、大勢の若者が離村し人口が著しく減少した。大屋村のまとめ役が「この集落はもはやこれまで」と一村一墓、つまり集落の墓をすべて集め一つにした。そして、ムラの最後の一人が墓参りをすることで「村じまい」とした。その後、村は残った。江戸時代に造られた共同墓は今もあり、共同納骨堂とともに一村一墓は地域の絆(きずな)として今も続いている。(※写真は、珠洲市三崎町大屋地区の共同納骨堂。20年ほど前に建て替えられ、地域を出た人でも死後この納骨堂に入ることが多いという)

  いまは珍しくないが、共同墓の原点のような話ではある。この際、「令和の一村一墓」という構成を描いてはどうだろうか。「墓じまい」という言葉を最近よく聞くようになった。子孫が東京や大阪などで暮らし、墓だけが能登にある。菩提寺に依頼して「墓じまい」を行う。その墓じまいを知らずに親戚や縁者の人たちが新盆や旧盆、彼岸の墓参りにきて戸惑うことがある。この際、能登の集落で共同墓と共同納骨堂を広めてはどうか。そうした一村一墓に行政は補助金を出せないものだろうか。地域コミュニティの維持に必要と思うのだが。

⇒5日(木)午後・金沢の天気    はれ 

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