きょう9月1日は「防災の日」。元日の能登半島地震から244日が経過した。この日の重なりは自衛隊の災害支援の日の重なりでもあった。物資輸送の自衛隊のヘリコプターが航空自衛隊小松基地を飛び立ち、金沢の上空を経由して能登へ頻繁に飛んでいた。救難物資を積んだ海上自衛隊の艦艇「せんだい」や「はやぶさ」が輪島市や珠洲市に港に入った。崩落した土砂の撤去作業や、孤立した集落への物資輸送や住民の移送などを担ったのは陸上自衛隊だった。このほかにも、給水活動や人命救助、診療、患者搬送など多様な支援に当たった。その自衛隊の支援活動がきのう8月31日で終止符が打たれた。
自身が現地に赴いて実際に目にしたのは、珠洲市で行われていた陸上自衛隊による被災地での入浴支援だった。珠洲市では住家3700棟余りが全半壊し、さらに災害を免れた家々でも一時2320戸で断水状態となり、今でも断水が一部で続いている。給水が可能になっても、ガス供給がストップして給湯器が使えなかったりしたケースもあった。そして、現在も177人が避難所生活を余儀なくされている(8月27日時点)。そんな中で被災地の人々にとって、心の安らぎの一つが入浴だったろうと思う。同市では3ヵ所で陸上自衛隊が入浴支援を続けていた。
その一つの宝立小中学校に設置されている仮設風呂に行った。校舎の裏手に「男湯」テントと「女湯」テントがあった=写真、6月24日撮影=。入浴は午後3時から入浴の受付が始まっていた。近くの仮設住宅に住んでいるという男性は「無料でとても助かっている」と話していた。仮設住宅にも小さな浴槽はあるものの、足の膝を痛めていて足を伸ばすことができないので、ここを利用しているとのことだった。
防衛省は地元の要望に基づき、同市での入浴支援を続けてきた。8月末まにで延べ49万4千人が仮設風呂を利用した。市内では2ヵ所に民間の入浴施設があり、このほど営業を再開したことなどを受けて、自衛隊の入浴支援の終了が決まったようだ。
それにしても自衛隊がなぜここまで能登に配慮したのだろうか。石川県には3つの自衛隊の基地がある。石川県の南から加賀地区に航空自衛隊小松基地、金沢地区には陸上自衛隊金沢駐屯地、そして能登地区には半島の先端に航空自衛隊輪島分屯基地がある。輪島市の高洲山(567㍍)の山頂にあるレーダーサイトには航空警戒管制レーダーが配備され、「G空域」と呼ばれる日本海上空に侵入してくる航空機や弾道ミサイルを速く遠方でも発見するため24時間常時監視を行っている。日本海に突き出た能登半島は「守りの要(かなめ)」の地でもある。おそらく自衛隊員ならばこの認識は共有されている。「能登を守る」。地域住民のために丁寧な支援を続けることで自らの任務も自覚したのではないだろうか。
⇒1日(日)午前・金沢の天気 はれ