空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

暴挙

2015年07月16日 07時47分01秒 | 思考試行

ついに自民党はやってしまった。憲法9条が邪魔で邪魔で仕方のない連中が、どうしても、軍備を持ち、いっちょ前の国として他国と渡り合いたい、この一念がなしたことである。

少しずつ、少しずつ、彼らは変えてきた。本音に近づいてきた。そして、気付けば、憲法にまともに抵触してきた。もう誰の目もごまかせない。

立憲主義をかくも簡単に破壊したのだから、いくらなんでも、放置するわけにはいかない。マスコミも骨のあるジャーナリストかどうか、はっきりと選別が可能となってきた。

公明党は、池田証人喚問の脅しの前には、平和を標榜していた党是も投げ捨てた。これが、この党の本質である。

誰もが、本当に戦争が嫌なのか、戦争も必要なんだと思っているのか、考えなくてはならなくなっている。

戦争が嫌なら、そのようにしなければならない。いつでも戦争ができるようにしていれば、いつでも暴発が可能となる。

かつて、アフリカの部族どうしの争いは、白人の策略もあって、武器を供与され、挙げ句の果てには、負けた部族は、奴隷として売られた。白人のビジネスとなり、その痕跡は、ありありと今もある。

自民党は、状況が変わったという。中国や韓国、北朝鮮のふるまいが、彼らをして、「立ち上がらせた」とすれば、みんな、何を大事と考えているかである。

利他ではなく、利己をあからさまにし、相互の主張に耳をかさない。これではうまくいくはずもない。安倍サンは、成蹊大学の出身である。かれは、どんなお勉強をしてきたのだろうか。その論理がシンプルで、わかりやすいが、明らかに、杜撰である。

こんな発言の浅い、認識不足の自信家というのはいただけない。そして、こんな人に権力をもたせると、システムとも相まって、誰もものがいえず、気付けばえらいことになっているとなりかねない。

いつでも、道の選択は可能である。新たな、方策を考えなくてはならない。


2015年07月15日 08時49分53秒 | 思考試行

どの道を行くのか。主体的に選んでいくのか。それとも、流れの中で、その流れに沿っていくのか。人は気付けばすでに、何らかの流れの中にいて、それが、出発である。なまなかのことでは、この流れから抜け出すことはできない。

周囲から与えられる「養分」を摂取しながら、生きて行くわけで、すべては、周囲の許容する範囲での活動となるし、そこから、生きる術を学ぶしかないのだから、ほとんど、そこから抜け出すことは、不可能といってもいいのだろう。

だが、そのなかで、我慢ならない事象に出会い、あるいは、気づき、改革の意欲が沸き起こってくる。その意欲こそが、人類文化を進展させてきた。急速な進展は、さらなる進展を呼び、今や、原始時代からみるならば、途方もない変化を遂げている。

そして、日本政治も戦後70年続いた平和憲法の下の平和が、いよいよ危ない状況が生まれようとしている。議席をかすめとった自民党は、本音をむき出し、昔の日本を取り戻したいと、なりふりかまわず、今日、戦争への道への法案の委員会決議を、強行採決をしようとしている。公明党も脅迫にまけて、協力態勢に入っている。

戦争をしない国から、戦争のできる国へと、憲法を無視する法律を作って、すすもうとしている。マスコミは、すべてが、この事態を正しく伝えているとは言い難い。頑張っているところもあるが、不十分であり、彼らの道は、とてもリーダーの歩む道ではなく、与えられた道をダラダラ歩きをしているかのようである。


伊藤真さんの「考え抜く力」に学ぶ

2015年07月14日 09時50分54秒 | 思考試行

伊藤さんは、弁護士等を育成する塾の塾長である。PHP文庫で「考え抜く力」という本がでている。そのなかに、憲法の本質を知るための手法が出ていて、興味深かったので、ご紹介したい。

難しい問題は、図解すればわかりやすいとして、伊藤さんは、法律と憲法の関係を考えていく。

1.まず、憲法が最高法規としてある・・・憲法に制限されて法律がくる・・・そして国民となる。

2.ここへ、国家をいれると、憲法・・・国家・・・法律・・・国民となる。    だが、国民が国家を決める。これは憲法が規定していることである。

3.そこで、国民をトップにもってくる。 国民・・・憲法・・・国家・・・法律・・・国民となる。

4.最終的には、次のように図示できる。

            国家                                                                                  

       憲法       法律     

            国民

     

    右回りに、矢印が入る。 国家が法律で、国民をしばる。国民は憲法を作る。憲法は国家を規定する。

    こうして見ると、憲法と法律は、逆向きとなる。これをみると、「憲法の本質」はあらためて理解できる、と伊藤さんはいうのである。

今、戦争法案が問題となっている。何が問題かといって、法律で憲法をかえようというのだから、それは、筋が悪い。反対の世論がたかまるのは当然だろう。

戦争をやらないと決心した国が、戦争をやるぞというのだから、真逆である。安倍政権は、たいへんなことをやろうとしているのである。

   


古い車でも調子よし

2015年07月13日 15時30分25秒 | 思考試行

街を走っても、郊外へ出かけても、もう小生の車より「年上」をみることがなくなった。まだまだ調子よくバックミラーの片方が、手動となっていることぐらいで、他に支障なく、元気よく走ってくれる。もう20年近くなる。

燃費も格別悪くなっているわけではなく、若干の部品交換があったが、特別不具合もない。冷房関係もチャント機能している。

新車を購入してそのままずっときたから、そんなに長い付き合いであるのに、経過はすべて解っている。駐車の際に右側のバックミラーを壊したことや、縁石に乗り上げて、後部の内部が凹んでいることなど、言わなければわからないキズも知っている。

もう地球のまわりを、何回も周回している。人間の歴史も結構長くなってきたが、これが、最後の車になるのか、あるいは、経済事情が変化するなら、新しい車を迎えることになるのか、もうすぐ、岐路を迎えることとなる。

昨日から今日と、一泊旅行をしてきたが、たまには、こういう行事をいれると、気分が変わり、新たなエネルギーを注入できたような気がする。

それも、いつでも機嫌よく対応してくれる愛車のおかげである。


アメリカのスタイル

2015年07月12日 07時48分41秒 | 思考試行

貧富の格差を無視すれば、自由で機会均等で、いいと思えるのだが、国家として動く場合には、資本の意思が濃厚であって、庶民の意思が問題になることはない。

そもそも、庶民の意思が語られる場はないのではと思われる。

銃が持てるということで、悲劇的な事件が起きているが、自らの身を守るためには、必要ということで、それが、なくなるとは思えない。

政治権力は、庶民から武器を奪い、その支配体制を維持してきたのであるから、民主主義をいい、それぞれの自由な競争を是認する以上、武器を奪うことは、アメリカのスタイルの根幹をつぶすことになるということだろう。

政治権力が、選挙によって、移動しそれが官僚組織まで変更となるから、その意味では、政治と官僚の継続性にメリハリがある。

それが民主主義ということだろう。日本の場合は、官僚支配からなかなか政治権力が切り込めない側面があった。  

ただ、今回の憲法9条を実質的に無効とするような法律が成立すれば、どうなるのか。このあたりから、事情が変わってくるのだろうか。アメリカのスタイルに近づいていくのだろうか。

そうなれば、もっと貧富の格差はひろがり、いつかこの矛盾が解消されない限り、人類の平安は訪れないこととなる。


中村哲さんの「戦争法案に反対する意見」

2015年07月11日 19時01分59秒 | 思考試行

中村さんは、アフガニスタンで、長年、人道支援を続けている医師ですが、安倍政権の戦争法案に、反対している意見の記事がでていました。これは、是非広く読まれるべきだと思います。全文を、転載します。

(以下記事内容)

 安保法案が成立すれば日本の一つの時代が終わると感じています。アフガニスタンから一時帰国して安倍さんの熱にうかされたような演説を聞き、はっきり言って正気なんだろうかと思いました。

 自衛隊が国際NGOを救出できるようにする、駆けつけ警護するという想定があり得ないことだし、そんなことをすると、助かる命も助からない。支援は、その国の人たちの願いと保護を受けてやれることです。地域の住民や行政と信頼関係を築いて、自分たちの安全を保ってきました。それを無視することです。

 法案をまっすぐに見ると結局は、アメリカをはじめとする連合軍に日本も参加するということです。「”平和”安全法制」「積極的”平和”主義」 ・・・平和が泣いています。

 2001年の米軍による空爆から始まったアフガニスタンへの軍事介入の際、日本は憲法の制約から自衛隊を出せませんでした。だが、殺りくと残虐を平気で行ったあの仲間にだけは、死んでもなりたくない。

 アフガニスタンでは、いまだに国民の半数が栄養失調状態です。人口増加に加えて、気候変動による干ばつで農業生産が著しく低下しています。

 各家庭にライフルが1丁ずつあるような”兵農未分化”の社会ですから、住民は兵士にも農家にもなります。食べるものがなく、それでやむなく傭兵(ようへい)になるという人が、圧倒的に多いのです。

 武力より食料

 ペシャワール会が支援する平和医療団・日本(PMS)では、「緑の大地計画に取り組み、アフガン東部の一角に安定的に農業用水を供給しようとしています。

 すでにクナール河からのマルワリード用水路27キロをはじめ、建設した取水設備で、耕作地1万数千ヘクタールを潤しています。水さえあれば日差しが強いので野菜がよく育ちます。いまの季節はスイカやトマト、キュウリなどがとれます。20年までにこの地域周辺の65万人が安心して生きていけるようにしたいと思っています。

 この地域の治安は他の地域よりも非常によくなっています。みんな、三度のご飯を家族に食べさせ、故郷で暮らせさえすれば、銃は握りたくないのです。武力ではなく、食料がアフガニスタンの平和には必要だということです。

 私たちの事業そのものは本来、テロ対策でも平和運動でもありません。タリバン政権下で00年に計画を開始した当時、餓死線上100万人という中でさえ、治安は良好でした。アメリカが「テロとのたたかい」といって軍事介入し、連合軍が国をぐちゃぐちゃにしました。

 米軍が使ったクラスター(集束)爆弾は、人間の殺傷だけを目的に、子爆弾をばらまく非人道的な兵器です。ひとの国土をなんだと思っているのかという戦争でした。タリバンの幹部を殺すのに、建物を丸ごと爆撃して関係のない人もで殺しました。米兵2千人以上が亡くなり、地元では何十万人もが殺され、謀略と分裂工作が日常化しました。地元民を助けるはずの「治安維持活動」が、治安を破壊したのです。

 ドイツの禍根

 日本は空爆を支持しインド洋で米艦船への給油をしましたが、その活動はアフガン人にはあまり知られず、私たちの活動に幸いしました。軍服を着た自衛隊が目の前で歩き回ることがなかったので、信頼関係を辛うじて維持できたのです。

 日本と似た立場だったドイツは、国際治安支援部隊(ISAF)に参加して兵士50人以上が亡くなったうえ、敵をつくりました。事実上、米軍の”助っ人”となっただけでした。ドイツ国内でのイスラム系移民への差別問題も重なり、取り返しのつかない禍根を残しています。

 「米軍などの後方支援をする」といいますが、それは昔「輜重(しちょう)隊」と言い、権力そのものになるということです。自衛隊は当然攻撃され、日本国内でも破壊工作が行われるでしょう。私が敵なら、そうします。米軍と同様、現代戦の常とう手段だからです。その覚悟があるのでしょうか。つくらなくてもいい敵をつくり、イスラム教徒に対する偏見を共有し、危険な火遊びに運命を託すようです。

 憲法9条は自衛隊の武力行使を制限してきました。これまでは、「ともかく戦争だけは嫌だ」という国民的な合意が、自民党だろうと、共産党だろうとあったと思います。今回の法案でその枠が外れてしまいますから、確実に破局を共にします。

 法案に反対して声をあげる若い人たちが、「アメリカみたいになりたくない」と拒否するのは、事態を正確に見抜いているからです。日本ほど治安がいい国はないのに、なぜそれを自ら投げ捨てるのでしょうか。国益と称して何でもやる。武器を売り、国を売り、誇りを捨て、生命を軽んずる。欧米に迎合する卑屈な動きは、日本人として、とうてい耐え難いものがあります。多少の豊かさか命の安全か、どちらも選ぶかの岐路だと思っています。

                                                (本田祐典記者)

                        しんぶん 赤旗 日曜版 2015年7月12日号掲載

       

 


「よしもと文化」のすごさ

2015年07月10日 07時58分09秒 | 思考試行

吉本のタレントは、大勢いて、それぞれが、切磋琢磨しながら、ベタベタではなく、先輩後輩助け合って、活躍している姿は、まことに素晴らしい。

無理をしていない、自然である。肩に力が入っていない。だが、努力をしている。傲慢になることがない。(なかには、傲慢な者がいるはすだが、少なくとも人前では、なかなか見られない。)

人間関係の達人集団である。お互いを、すべて生かし合う文化がある。これは、間違いなく、日本の誇る文化のひとつである。

そんなことを言ってはわるいが、能力的に問題を持っている人でも、それを武器にしてしまう。揶揄する表面的な言葉の乱暴さの背景には、やさしさがある。我慢ではなく、人間としての本質を外さない、実力とでもいうのだろうか、そういうものを、お互いで、高め合っている。

そこには、哲学がある。かまえたり、傲慢であったり、カッコつけたり、では長続きしないことを知っている。そして、そのタレント報酬が、安いことでも有名である。そこで、先輩連の援助がある。すごい文化である。

儲けているタレントは、すごいのだろうけれど、彼らが、その金を、今後どう使っていくかである。ピケさんのやり方とは違う新境地を開いてほしいものである。


英語

2015年07月10日 07時32分59秒 | 思考試行

文章で書いたものや、スペルをみれば意味は、すぐに解る。明治日本は、翻訳に苦労したが、日本で作られた漢字がけっこうあって、そのおかげで、教育を日本語で行ってきた。英語をまるごと取り入れなかった。

だが、発音がスペルどおりではなく、どうにもつかめない。聞こえない。何を言っているのか、書いたものならすぐにわかるのだが、慣れるしかないのだろうが。

ホンダが企業内の公用語として、英語を採用したらしい。三橋氏のブログでみた。彼は、それを嘆き、危惧している。

たしかにそうだ。英語が普通の日本人には、ペラペラというわけにはいかない。なんせ、相手が何を言ってるのか聞き取れないのだから、不安なことこの上ない。

その点日本語は、発音がはっきりしているから、意思疎通はやりやすいのではないだろうか。外人が日本語を喋っていて、通じないということが少ないのでないか。

こうなれば、日本語を勉強しないと、人生損するよ、てな具合の小説なり、哲学なり、そういうモノをどんどん作って、こちらに寄せたいものだ。

ノーベル賞の益川氏は、英語が不得意だと公言し、日本語で終始した。あれでいいのだ、と思う。読めるのだから、それでいいのだ。


人間社会

2015年07月09日 07時59分16秒 | 思考試行

全体としては、人口は増え続けているが、日本の場合は、人口がどんどん減り続けている。遠い先のことは、もちろんわからないが、周辺をみても、「繁殖」の気配はなく、明らかに、全て消えてしまうメンツばかりである。

気付けば、当方も高齢者の仲間入りをして、久しくなる。気分は、若い時とそれほど変わってはいないが、日帰り温泉に行っても、動作物腰は、明らかに高齢者のそれで、てすりをもたないと不安である。事実バランスがわるく、よほど、注意していないと、滑ってころりんの現実感がある。

まわりの壮年期の連中は、手すりを持つこともなく、スイスイと湯船に出入りしている。自分もかつてはそうだったと思い知らされる。

だが、転倒して、骨折なんてことになると大変だから、注意に注意を重ねている。少し、長く湯船にいると、すぐにのぼせかげんになるし、結構、緊張してのんびりしているのである。

ところで、この人間社会は、どうなっていくのだろうか。中国、韓国、北朝鮮は、信用できないとして、ヘイト本が話題になっているが、それぞれの国には、独特の習慣、感性があり、簡単には相容れない。日本の場合も、難民受け入れなんてしないし、外部の人間を許容する度量にかけるところもある。

日本国内をみても、助け合いといいつつ、結構それどころではない現状がある。株や、資本のルールで大儲けしたり、若者達を劣悪な労働条件で雇ったり、えげつない。こんな状態では、イカンと誰もが思うはずなのに、案外平気であたりまえと思っている低レベルである。


マスコミが報じないこと

2015年07月08日 00時00分10秒 | 思考試行

どの分野でも、インターネットの世界は、自由に情報がでてくる。池田大作といれれば、正しいかどうかは、わからないにしろ、彼の「仕事」ぶりがでてくる。すべてが、真っ赤なウソとみるか、あるいは一部正しいか、おおむね正しいか、それは、見る人の判断である。

雅子妃をめぐっても、マスコミでは絶対にでない情報が流れている。とんでもない頭のいい人だと思っていても、どうやら真実は、そうではないかもしれない。そして、創価学会との関係が登場する。外務省には、多くの創価学会員がいるという。はたして、本当だろうか。

だが、国民すべてが、戦争できないはずの日本が、場合によっては、地球の裏側であろうと、集団的自衛権の名のもと、普通の国のように、武器をもって、殺し凝らされる事態をむかえて、これにまきこまれようとしている。平和を売り物にしてきた公明党も、是認した。

自民党は、そにことで、従来とはほとんどかわりないような説明をして、この集団的自衛権をみとめさせようとする。集団的自衛権の限定版と言い出した。一旦みとめれば、範囲の拡大は、見えている。

かくて、憲法を無視して、戦争ができるようにしている。中国や、北朝鮮のふるまい、韓国の反日姿勢など、「有利な条件」を活かそうとしている。

これが通れば、憲法をかえるまでもなく、ほぼ制約なく、アメリカの子分として働けると考えているのだろう。アメリカの議会でやんやの喝采をうけた手前、安部首相は、いよいよ強行採決に向かうだろう。

国民の反対があろうが、疑念があろうが、この道しかないと思い定めている。いろんな事情が相まって、事が進んでいる。いよいよ地球人類が滅びへの道をたどるかもしれない一歩が始まろうとしている。


戦争をどうしてもしたいのだろうか

2015年07月07日 07時52分30秒 | 思考試行

確かに中国の進出ぶりは、激しくなってきている。もともとの支配地域がこうだったから、そのようにならなければと思っているようだ。

力がついてくれば、在りし日の状態に戻したい。沖縄だって、自分の支配地域だった、東南アジアの領海宣言は、ただ事では済まない感じがする。

人間の歴史は、勢力争いの連続であり、力の強いものが、弱い者をコケにし、クイモノにし、自分たちの利益を追究してきた。今も、基本にそれがある。

学歴、資産、権力、武力、支配ルール、・・・弱い者同士の間でも、強弱があって、何らかの力学が働いているようにみえる。

人類が、もうひと皮むけて、進化するならば、かなり違う社会形態ができるかもしれないが、今は、人類社会が存続できるかどうかの瀬戸際に来ている雰囲気がある。

武力には武力しかないと思えば、際限なく争うしかない。戦える条件を積み重ねていくならば、いつか必ず戦争になるし、戦えない条件があるときは、戦えないのである。

今、戦える条件づくりを、自民党は突き進んでいる。公明党は、もはやこれを押しとどめることはできない。「池田証人喚問の脅し」にしばられている。国民が戦争にまきこまれようと、彼らにとっては、池田大明神が大事なのである。


待遇改善

2015年07月06日 09時59分58秒 | 思考試行

支払いは、できるだけ安く、とすると若者達への給料をけちったりして、そのため、若者達の消費行動は抑制されてしまう。本来、欲しいと思っているはずなのに、消費行動にはむかわない。

となれば、当然ながら、モノがうれず、経済は回らない。結局は、消費できるだけの経済力をつけなければ、全体としての経済もまわらない。

待遇改善こそ、消費行動を促す前提条件であり、しめつけてはいけない、でいいのだろうか。ギリシャの場合は、公務員をふやし、年金も高く設定していて、国家財政の破綻と招いた。

国家的な粉飾財政が行われていたともいわれているが、生産的な稼ぐ能力がなければ、ダメなのだろうか。観光も立派な産業であり、外貨を稼ぐ手段はないはずはないと思える。

稼ぐ能力と、使える能力、との兼ね合いが必要なのだが、通常は、収入以上の消費を続けていれば、いつかは、借りることができなくなり、そこで、循環はとぎれて、生活の破綻となるのだが、いつまでも、貸してくれる相手があるならば、この循環がとぎれることはない。

日本政府の場合は、外資から借りているわけではないから、何ら問題がない、といいたいところだが、それは、国民の本当に必要なものに支出しているかどうかである。国民の待遇改善に使わなければならない。無駄遣いをさせてはいけない。


みんな真面目だ

2015年07月05日 07時33分15秒 | 思考試行

ささやかな土地があって、老朽家屋が放置されたままになっている。取り壊すとなって、業者に見積もりを依頼した。

全部で5社ほどの対応があった。インターネットで流したもの、こちらが依頼して応じてくれた業者の方々。

いずれもが、皆さん真面目であることだった。仕事に一生懸命で、見積もり金額には、相当開きがあるが、それには、それぞれの考え方が反映されていて、どなたも真面目に検討している。

どこか一社に決めなければならないが、結局、金額の差はあっても、見積もりの中味の正確さを感じさせてくれるところになるのではないだろうか。

あと一社の回答がまだなので、そこから回答があり次第、決定しようと思っているが、できれば、皆さんに発注したいぐらいである。仕事をしている方々の、真面目さに感動を覚える。

 


ギリシャ問題

2015年07月03日 10時40分06秒 | 思考試行

携帯、交通費、無料にして、その場しのぎに走っている。公務員が多く、仕事もしない。定時に出勤すれば、手当がもらえる。裏金が横行している。遅刻しても、言い訳をするのみ。働くのは大嫌い。ギリシャの評判は悪い。

とても返しきれない借金をしてしまい、返すあてどころか、返す気はない。結局は、貸した側が泣き寝入りするほかないようだ。無い袖は振れない、これからギリシャ国民はどうなっていくのだろうか。国民投票の結果がすべてのようだが、どうやら、予想では、緊縮策を受け入れる可能性が多いようだ。

あたりまえといえば、あたりまえだが、どの程度緊縮することになるのか、観光産業しかないと言われる国がどうなっていくのか、心配である。

で、日本も桁がちがう国の借金がある。といっても、それは、主に、国民からの借金であり、ギリシャとは事情がちがう。他国から借りて、その金を返さないとなれば、他国は当然文句をいう。もっと、節約しなよ、となる。

ギリシャの場合、国民投票で、反対となれば、緊縮方策をうけいれないとなれば、混乱は避けられないが、政権側が、むしろ反対と投票することをすすめようとしているのは、単純に混乱することを武器に開き直っているのかもしれない。

混乱を恐れるのならば、借金を棒引きすればいいではないか、ぐらいに考えているのかもしれない。それもありうる。


大資本を抑えるのは誰か

2015年07月02日 10時15分27秒 | 思考試行

政府のあり方を決めるのは、選挙民たる国民である。選挙をやらないところは、まさに権力者であるが、少し前なら選挙なんてやっていなかったし、やったとしても、本当に民意を反映したものでなければ、実態は、権力者である。

選挙でキチント民意を反映しているとは思えないし、民意自身が関心がなければ、形骸化してしまう。しかし、そこで得た「権力」は、しかしながら、絶大である。

政治権力は、国民の暮らしを良くすることはもちろん、苦しい思いをさせることもできてしまう。世界のあらゆる困難の背景に、この政治があることは確かであるが、それに、大資本が政府を抑えに掛かって来ている。

大資本は、さらに、その力を強め、そこの実力者は、世界の富を集めまくり、溜め込んできている。そして、そのうえに、自分達の行先を邪魔する「政府」を裁判に引き出し、税金を横取りする手法を考え出した。

政治家でも内容を知らないような協定を準備して、これの締結を目指している。中味が何なのかを知らされないままきているが、協定締結のねらいの背景に、大資本がいるのである。

これを抑えるのは誰か。ここに人民が登場する。世界の平和を愛する国民が連帯して、それぞれの国の税制を変えなくてはならない。富裕層から、その富を税として、支払わせる仕組を作る。富裕層がよろこんで納税できる仕組を作るのである。