よくいわれることだが、建築で考えるならば、基礎がしっかりしていないと、どんなに立派な細工をしたとしても、そんなものは、すぐに壊れてしまう。砂上の楼閣である。
基礎からしっかりと、建てられたものは、信頼感がちがう。大学入試だって、基礎がチャントしているかどうかで、志望の大学に合格できるかどうかが決まるのではないだろうか。
灘高校の有名な国語の先生で、橋本武という方が書かれた「橋本式国語勉強法」という本を軽く斜め読みをしたことがあるが、ユニークな指導と言われている。本当に基礎からキチントした学力をつけるための勉強法になっている。
これを実行するならば、しっかりした学力が身につくだろうことは、すぐわかる。まさに、学問の世界に近回りはないのである。
小生などは、この基礎がない。放送大学を何回も卒業しているのだが、この基礎をキチントしていないから、随所で「問題」が発生する。
ただ、自覚していれば、姿勢として学ぶ姿勢はあるので、機会の応じて、その都度必要に応じて遅まきながら、基礎に注目するのである。順序が効率に影響するのだろうが、気付いたときからスタートするしかない、悔やんでも過去はもどらない。今からである。
当然ながら、発見の連続であり、先人の偉大な業績を学び、さらに付け加えることができないかと、虎視眈々の気分で生きているわけである。
そうすると、やることがないどころではない。やらなければと思うことが、次々登場してくる。友人が俳句に凝っていて、ついに、小生もこれに関与することとなった。俳句の世界も広そうである。まさに、基礎なしであるから、日々発見の毎日であり、おかげで、楽しみが広がったのである。