どの道を行くのか。主体的に選んでいくのか。それとも、流れの中で、その流れに沿っていくのか。人は気付けばすでに、何らかの流れの中にいて、それが、出発である。なまなかのことでは、この流れから抜け出すことはできない。
周囲から与えられる「養分」を摂取しながら、生きて行くわけで、すべては、周囲の許容する範囲での活動となるし、そこから、生きる術を学ぶしかないのだから、ほとんど、そこから抜け出すことは、不可能といってもいいのだろう。
だが、そのなかで、我慢ならない事象に出会い、あるいは、気づき、改革の意欲が沸き起こってくる。その意欲こそが、人類文化を進展させてきた。急速な進展は、さらなる進展を呼び、今や、原始時代からみるならば、途方もない変化を遂げている。
そして、日本政治も戦後70年続いた平和憲法の下の平和が、いよいよ危ない状況が生まれようとしている。議席をかすめとった自民党は、本音をむき出し、昔の日本を取り戻したいと、なりふりかまわず、今日、戦争への道への法案の委員会決議を、強行採決をしようとしている。公明党も脅迫にまけて、協力態勢に入っている。
戦争をしない国から、戦争のできる国へと、憲法を無視する法律を作って、すすもうとしている。マスコミは、すべてが、この事態を正しく伝えているとは言い難い。頑張っているところもあるが、不十分であり、彼らの道は、とてもリーダーの歩む道ではなく、与えられた道をダラダラ歩きをしているかのようである。