空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

超金持ちには超税金をかけろ

2013年05月13日 08時42分20秒 | 思考試行

アベノミクス効果なのか、株高が続いている。外資が入ってきている。これが、いずれ売り時をみて、うりあびせてくるのか、それとも、どこか、株式の乱高下できる材料を見つけて、マネーゲームが展開されるのだろうか。

給料生活者や、年金生活者など普通の人の生活を脅かす事態が起きないようにのぞむばかりだが、小生のビジネスなど、外資のおかげで、手数料を大幅に下げられて、かれらの配当に化けてしまった。

何もしない連中が、企業を支配し、人事権をもち、彼らの配当を上げるために、ビジネススタイルをかえ、銀行手数料を我々に押し付け、我々の手数料をさげ、顧客対応は、我々に押し付ける。事務処理の大半を企業から我々にまわし、押し付け、企業本体の社員は、派遣に切り替える。

そのくせ、顧客からの代金たる保険料は、下げるどころか上げ続けている。あからさまな、金融による支配である。誰がやっているのかの顔は見えない。

これに対応するのは、どうすればいいのだろうか。個人の超金持ちに、税金をかけ、貧困層に移転するほかない。そうしなければ、構造破壊は必至である。


沈思黙考

2013年05月12日 07時16分07秒 | 思考試行

但し、必要な「行動」は継続しながら、考えをまとめるために、時間をとって、沈思黙考する。そうすることで自己との対話が生まれる。

自分をみつめふりかえり、行動を点検し人との関係についても分析してみる。基本を考えてみる。仕事についても、課題を明確にしてみる。できていること、継続していること、したいこと。

堂々めぐりをするから、メモはしたほうがいいかもしれないが、想念のうかぶに任せてみるのもいいように思う。この辺の自己操縦は訓練次第かもしれない。

怒りとか自分の感覚、価値観とは違う事象が生じたときはチャンスである。自己変革の機会である。自分か相手か、どちらが「正当」と判断するか。それは正当だからそうするという選択のみではない。違う観点からの選択もありうる。

考える習慣をつけるということであって、その時間をとらなければ、論語がいうように「真理は悟れない」、だが学ばないと危険であることも忘れてはならない。


自民党の憲法改正への動きの周辺

2013年05月11日 20時10分52秒 | 思考試行

国民から、権力をうばいとり、昔のように、好き放題に国民を振り回すことを考えている本音を、隠そうともしていない。

戦争中の国民にたいする酷い仕打ち。人間の命をなんとも思わない鉄面皮さ。こういう本質は、なにも変わってはいない。

階級的に人をとらえ、差をつけることを肯定する。そこには、理想を追うという姿勢は微塵もない。理想を思わない為政者なんて、政治家の資質はないと言わねばならない。

自分の権力の拡大であるとか、利益誘導とか、この辺のレベルにいる人間なら、政治家になんてなろうとしないで欲しいものだ。

96条の改正なんて、あまりに露骨で笑ってしまう。こういうことを平気で言うのだ。本音丸出し。中国や、北朝鮮、韓国はこういう日本の状況を後押しして、憲法を変える手伝いをしているようにみえる。

日本ももう少し骨のあるところをみせんかいな、ぐらいに考えているのだろうか。そんなはずはないと思うのだが、確信がもてない。


認識の食い違いについて

2013年05月11日 15時29分20秒 | 思考試行

いかにも程度の低い現状があって、それが簡単には是正できない。日本と韓国でも、いままで、どれだけ歴史認識のやりとりをしてきたのか。思いのたけを言い合う機会があってもよさそうなものなのに、それができない。

論議するためには、準備もいるだろうし、資料もいるだろう。それらを徹底的にやるべきだろう。それが不可能と、お互いが認めるならば、今後の問題をどう考えるかである。

不毛の論議、いがみ合いは、百害あって一利なしである。まずは、やれるところから、やるべきである。すれ違いを、狙ったり、問題にすることだけを目的にしているようであれば、自ずと、その本質が誰の目にも明らかになるはずである。

本音で、意思疎通をはからないかぎり、無意味な諍いから脱却することはできない。事情を知らない国民が振り回されて、何か事が生じれば、その食い違いを拡大し、混乱を煽り立てて、なんの意味があるというのだろう。

 


人間関係

2013年05月10日 14時56分56秒 | 思考試行

アメリカでの、長期にわたる監禁事件は、何を語っているだろうか。近所の人も気づかない。犯人の母親も知らなかった。お互いの無関心、異常を察知できない警察組織。

表面的には普通の人に見える人間が、実はびっくりするような犯罪者だった。しかし、考えてみれば、少しずつへんな行動がつみかさなって、起こった事件のようだ。

異常な行動は、次の異常行動をよぶ。いったん歯車が狂ってしまえば、元には簡単にもどせない。

事件がばれたあと、犯人はなんでそうなったかの供述をしているようで、罪は認めているという。暴行、妊娠、流産と、被害者の心境を知るべくもないが、英雄扱いされているシーンもみられる。この辺は、国民性を感じるが、陽気さが表面にでている。

警察は何をしていたのかとか、近所の人はきづかなかったのかとか、結局は人間関係ということが事件の背景にあって、起こったものであることがわかる。

背景には、脅迫、暴力、と健康ではない人間関係がある。いま、憲法改正をいう連中は、合法的に国民から権利を奪い、かれら為政者の権力の行使を容易にしようと画策している。

これで、戦争できる国家となるなら、自国民のみならず、他国までもその影響がでてくる。健康な人間関係というのは、簡単にはできないのである。


準備がすべて

2013年05月09日 20時56分49秒 | 思考試行

準備がきちんとしていれば、仕事ははかどる。それははっきりしているのだが、どうも実行できないとうことが多い。

それでも、なんとかやれているとすれば、それでもいいわけで、あえて無理をすることもないのかもしれない。無理は、結果的にうまくいかないから、スムースにことをすすめるためには、合理的で意味あるものとしたいものだ。

どうも、地球上では、なんで、なかよくできないのだろうか。歴史認識がどうのこうのと、いつまでやっているのだろうか。ただちに、会合を開いて、いろいろ実行すればいいではないか。

思いのたけを、話し合えばいいではないか。お互いの嫌なところを、ズバリと指摘しあえばいいではないか。結論として、この地球上に一緒には存在したくないというのであれば、それはたいへんなことであるが、はなしあえば、そんなこともあるまいと思うのだが、甘いかな。

それも準備だろう。話し合うための準備がいるだろう。いがみあっていることが、お互いにいいことがないと思っているのなら、そういう準備をすべきなので、そうしなければ、何事も始まらない。


主権は誰の手に

2013年05月09日 09時45分11秒 | 思考試行

中国や北朝鮮の場合は、報道によれば限られた権力層があって、国全体が牛耳られている。日本の場合はどうだろうか。選挙によって政治家が選出され、政治家の属する党が多数を占めれば、その政党の指導者が権勢をふるうこととなる。

だが、実際は、細部にわたる実力を持つのは、専門家としての官僚組織であって、この聖域を簡単には壊せない。積み重ねと体系があって、彼らの承諾と支援がなければ、政治家は大した力は出せないのである。

そして、その目線はどこへ向いているかといえば、彼らと彼らのの仲間に向かう。弱者の方には、関心もないし単に食い物にする対象であって、仲間ではないのである。ところが、選挙となれば彼らの票も必要だから、教育がいる。

価値観を反抗的なものにしないために、工夫をこらさなければならない。国民が真の主人公となるためには、相当な国民自身のレベルアップが必要である。戦争にひっぱられ、ひどい目にあっても、時間がたてば忘れてしまう。そんなことでは、憲法をかえられ、戦争できる国になり、徴兵制ができれば、また兵隊にひっぱられることとなる。危ないな、今の状況。


「人は変われる」・・・高橋和巳著・・・を読む

2013年05月08日 14時54分56秒 | 思考試行

本の帯の言葉を引用する。

「境遇を変えたいと思うと、人は変わる。」

「私たちが自分の人生が後半部分に入ったことを自覚させられるもっとも大きな変化は、私たちの人生全体の時間に対する感覚がかわってくることである。自分の人生の時間は無限にあると思っていたが、後半を自覚したとき私たちは自分の時間が死という事実で制限されていることに気づく。そして、その時間は毎日の日常生活の刻一刻の時間と連続しているのである。この単純な事実を自覚したとき、私たちのこころは死を見つめ始める。こころが死を見つめ始めたとき、こころは自然に、その事実を正確に理解し、解釈しようと働き始める。」

21年前の本である。環境が同じでも、悲観的になって、希望がもてないという人があれば、生き生きと、前向きに生きている人もいる。

著者は、その人の「解釈」にその違いのもとがあると喝破する。精神科医としての経験から、人が変わる瞬間にも立ち会っている。人間の仕組みに触れて、説得力がある。この当時にすでに、ガンの自然退縮の話もでてくる。

人間のもつ、自然治癒力は、気と大きな関係がある。たしかに、考え方を変えると、状況が変わる。この解釈をかえることで、人生が変わることを知ることは、まことに有益である。昔に購入した古本の中から、偶然見つけたものである。本を持っていても、読まなければ活かせない。間に合った感が強い。ラッキー!である。


パスワードの変更をした。

2013年05月07日 16時15分25秒 | 思考試行

今までは、比較的に簡単なものにしていたが、セキュリティの問題がやかましく言われ始めてきており、変えたのである。変え方が簡単でなく、その画面が見当たらない。検索などしているうちに、いつのまにか、変更画面がでてきた。そこで変更。

いままでより、長く、記憶しやすく、しかもこれは、誰にも不可能だろうという「作品」になった。人生の経験をいれ、暗号が介在し、ある種の特技を必須としながら、その技術を知っていたとしても、なおかつ、このパスワードは破れないだろう。自慢の作品となった。

とはいえ、要は大したことがないモノを守るだけにすぎないから、自己満足以外の何者でもないのだが、それなりに、自分の「モノ」を土台にして作ってあるから、誰がなんと言おうと関係ない。自信作なのである。

今日は、空気が少し冷たくて、さわやかで、気持ちがいい。鳥がさえずっているのが聞こえる。さきほどまで、長いあいだ放置していた小さな「ZEN」で、音楽を聞いていた。電池が切れていたのを、購入してきて、いれかえたので、聞けるようになったのである。

音質がすばらしい。浮き立つような気分になる。音楽は、素晴らしい。忘れていた。すばらしい技術。メイドインチャイナとあった。


村上春樹氏よりも・・・

2013年05月07日 08時51分30秒 | 思考試行

彼より、すごい人はいると思う。だが、その人の作品は、出版すれば、必ずベストセラーになることはない。

彼は、得難い人物なのだ。出版業界のみならず、その影響は大きい。多くの人に、関係する。

もと、客商売も経験している。その時、客と一生分の会話をしたという。

オオモノになった今は、マスコミにも登場しないし、彼の肉声を聞くのは大変である。

講演会には、多くの人があつまり、取材は断られている。それでも、周辺情報がながされる。講演会で何がはなされたかも 報道されている。

アウトラインはわかった気になる。それほど、明確な主張がない様子である。見えない部分を書くという。見えない部分であるから、これは、見えないのである。

見えないから見たくなる。そんな心理なのだろうか。

人は、いろんな方法で、ひきつけられる。


憲法をめぐって

2013年05月05日 15時16分11秒 | 思考試行

人の世を良くしようとして、憲法96条を変えようというのだろうか。改憲論者の人は、そうではないだろう。かれらの本音は、他国になめられて悔しい、戦争できないなんて普通の国ではない、自前の国防力をもたなければ、国とはいえない、などなどの他、国民のわがままぶりをなんとかしたい、権利ばかりを主張している、国に奉仕する気持ちがない、などにもあるようだ。すなわち、国民の権利を縮小したい、の本音がある。

中国、韓国、北朝鮮、ロシア、そしてアメリカも、日本が憲法9条をもっていることから、一人前の国とはみていないフシがある。各国が、日本をなめているのは事実だろう。どれだけ侮辱しようが、馬鹿にしようが、逆上して武力を行使してくる心配は皆無であるから、どれだけ侮辱しようが、恐くはないと考えている。

中国の暴動騒ぎなどは、その最たる例である。すべての中国人がそうではないとしても、政府公認であれだけのことをするのは半端ではないなめぶりである。尖閣へは、恒常的に領海侵犯をするようになった。そして、今だに、日本企業は、撤退できないでいる。仲良くやる他ないからである。しかし、我慢の限界というものがある。

なかよくなんてできないし、話し合う相手でもない。警戒すべき対象であり、本音で付き合える相手ではない。営業マンのように、お客相手に、愛想笑いをしなければならない相手であって、油断なんてできないのである。こんな調子が続くなら、憲法9条を守ることができるかどうか、本当に危険な状態になっている。

ちょっと煽られれば、火がついてしまいそうな状況になってしまっている。周辺諸国の程度の低さが、無視しえない怒りを呼び始めている。ガラの悪い周辺国が、日本を追い込み始めたようにも見える。そのことが、どれだけの災禍をもたらす可能性があるか、危険極まりないのにである。

そうしたなかで、どうやって、憲法を守りきれるのか、人類の水準が試されている。世のため、人のためを思うならば、憲法9条をかえてはならない。周辺国の侮りや、程度の低さに、絶望してはならない。ただ、低いモノは低いと言わざるをえない。事実を直視しながら、効果的な戦略・戦術を行使しなければならない。


落ち着いて平常心で臨むために

2013年05月04日 16時43分48秒 | 思考試行

何事かなすとき、あわてていては、失敗する。また、平常心で、常に行動できることは、すばらしいと思う。時には、適度な緊張があった方がいい場合もあるかもしれないが、平常心で事にあたれないというのは、ストレスを感じるということであって、できれば、そんなストレッサーはない方がいい。

どうして、平常心でおれないかといえば、余計な功名心であったり、計算があったり、精神的に余裕がない状態にあるからで、余裕を持つためには、準備は必要だし、日頃から、さまざまな状況に対応できる心構えがあるかどうか、対処をしてきているかどうかにある。

人生に向かう心構えは、簡単にはできないことかもしれない。ただ、そのときどきにおいて、経験を積み、考えを深め、努力を積み重ねるなかで、そうした心構えを作っていくということではないだろうか。

いずれは、最後を迎える身であれば、命を、大切にしながらも、そうした、平常心をもちつつ、人生を終えたいと思うし、それなりの仕事をしていきたいものである。


人はどうして集うのか

2013年05月02日 08時38分43秒 | 思考試行

それは、そうしないと生きてはいけないから。生きるノウハウを得られないから。ひとりでは、効率が悪い。寂しい。とにかく、そうしたい。・・・

そういいながら、集うことに抵抗があり、ひとりになりたいこともある。それは、静かに考えたいときかもしれない。あるいは、人に疲れて、生理的に一人になりたい・・・、となるときもある。

そうしたなかで、人の気持ちのバランスを保ち、得体の知れない、不安を払拭しようとするのが、文学だったり、音楽だったり、ダンス、話芸、マジック、囲碁、将棋、だったりするのではないだろうか。

NHKのテレビ対局を、ラジオ風にして、米長、谷川、橋本の3棋士と村上アナとの4人で、羽生対渡辺戦を材料にして、いろいろ分析したり、感想をのべあったりしているのを、インターネットでみた。

これは、非常に面白かった。米長は、すでに現役を退いているが、「この手は、プロみたいだ」と言ったり、銀の頭にうった歩をみて、「これは銀をとろうとしている」、などと言って、笑わせる。

人が集って、面白いという現場ができている。ひとりではできない雰囲気、楽しみである。楽しく集うことを、研究したい。


考えること

2013年05月01日 14時18分43秒 | 思考試行

考えるということは、自分との対話である。意外にも、自分とのつきあいは、充分でないことに気付く。真剣にものごとを考える機会は、その簡単には、もてないのかもしれない。

自分から、目をそらしてきたのではないか。しっかりとむきあって、しかも、等身大の自分をとらえることができるかどうかは、大事なことである。

思うほど、オオモノではなかったり、それほど卑屈になることはない、こともあるのではないだろうか。自己評価というのは、他者からみると、「タカメ」らしく、そうであるから、他者とつきあっていけてる面があるらしい。

自分を低くみていると、憂鬱になりかねないから、タカメにみる仕組みになっているのだろう。これは、自己評価が低くて、それを他者が引き上げてくれた、なんてことは、かなり僥倖だということになる。

自信をもって、自己を売り込むには、それなりの納得がいる。自己評価できる内容を自らのものとし、実行しうる人生に対する態度ができれば、無理な虚勢をはることも必要ない。

自分は自分として、それなりに力を出していけばいいのである。いいカッコをしようなんて、思う必要はないのである。のびのびと、素直に生きていけばいいのである。