空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

憲法をめぐって

2013年05月05日 15時16分11秒 | 思考試行

人の世を良くしようとして、憲法96条を変えようというのだろうか。改憲論者の人は、そうではないだろう。かれらの本音は、他国になめられて悔しい、戦争できないなんて普通の国ではない、自前の国防力をもたなければ、国とはいえない、などなどの他、国民のわがままぶりをなんとかしたい、権利ばかりを主張している、国に奉仕する気持ちがない、などにもあるようだ。すなわち、国民の権利を縮小したい、の本音がある。

中国、韓国、北朝鮮、ロシア、そしてアメリカも、日本が憲法9条をもっていることから、一人前の国とはみていないフシがある。各国が、日本をなめているのは事実だろう。どれだけ侮辱しようが、馬鹿にしようが、逆上して武力を行使してくる心配は皆無であるから、どれだけ侮辱しようが、恐くはないと考えている。

中国の暴動騒ぎなどは、その最たる例である。すべての中国人がそうではないとしても、政府公認であれだけのことをするのは半端ではないなめぶりである。尖閣へは、恒常的に領海侵犯をするようになった。そして、今だに、日本企業は、撤退できないでいる。仲良くやる他ないからである。しかし、我慢の限界というものがある。

なかよくなんてできないし、話し合う相手でもない。警戒すべき対象であり、本音で付き合える相手ではない。営業マンのように、お客相手に、愛想笑いをしなければならない相手であって、油断なんてできないのである。こんな調子が続くなら、憲法9条を守ることができるかどうか、本当に危険な状態になっている。

ちょっと煽られれば、火がついてしまいそうな状況になってしまっている。周辺諸国の程度の低さが、無視しえない怒りを呼び始めている。ガラの悪い周辺国が、日本を追い込み始めたようにも見える。そのことが、どれだけの災禍をもたらす可能性があるか、危険極まりないのにである。

そうしたなかで、どうやって、憲法を守りきれるのか、人類の水準が試されている。世のため、人のためを思うならば、憲法9条をかえてはならない。周辺国の侮りや、程度の低さに、絶望してはならない。ただ、低いモノは低いと言わざるをえない。事実を直視しながら、効果的な戦略・戦術を行使しなければならない。