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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

多数と少数の存在

2009年05月06日 06時37分26秒 | 思考試行
人間の営みというのは、それぞれ個性があるというけれども、さほどの差が、ないのかもしれない。自分に聞いてみて、自分の欲望について、考えてみて、他者に思いをはせてみれば、それは、ほとんど正解ではないのだろうか。

生まれた以上は、死を迎えるのが必定であり、同じような仕組みなのだから、おおむね共通しているとみればよい。

ただ、その中でも、違いの存在がある。たとえば、大多数は異性にひかれるのだが、同姓にひかれる人もいる。それは、多数の側の人間にとって、考えられないかもしれないが、厳然として事実であり、実態なのである。

そして、自分の性意識と一致しないという人もいる。物理的には、なんの違いもないのに、そういう人もいる。従来は、あまり、知られていないこともあって、正常とは見られず、人知れず悩みをかかえてきたという。

この問題は、結局のところ、人間理解の不十分さということになる。人間の多様性の表れであり、そのことは、人間関係の豊富な世界を作り出しているともいえる。

多様な価値観の存在は、人を謙虚にし、そのことによって、豊かな関係、ある種の化学変化をもたらしている。深い悩みの存在、そこからの、悩みを脱却するにいたるプロセスのなかで、生み出される事象は、人間社会に、何事かをもたらしているはずである。スパイスかもしれないし、欠くことのできない栄養素なのかもしれない。

すべてが意味のあることか、ないことか、と検討することは、意味のないことかもしれないが、理解する、味わう対象、事実であることは間違いないであろう。そこから、相互理解、他者への思いやり、真の人間社会の進歩へと進む道筋がみえる。