官僚を使いこなすといったり、省益より国益、野党が資料請求をした場合、事前に検閲してみたり、そこには、姑息な権力にしがみつくものの、醜いそして、安直な姿が現れている。
政治家が、官僚を使いこなすといっても、明治以来、積み重ねてきた官僚の力量をこえることは、不可能である。その仕組みを根本から変えない限り、複雑に入り組んだ辻褄を、解きほぐすことは、もはや、政治家の手にあまることになっている。官僚の支配する土俵では、政治家は、官僚の術策の前になす術がない。
変革をするには、違う土俵を作って、今までのものは、すべてを打ち壊すぐらいのやり方しかないように思える。価値観の大転換が必要である。
アメリカの金融危機も、リスクを他者にまわしあうことにより、信用創造を膨大なものにした。モンスターになってしまっていた。困難は、まだ、入り口だといわれている。この解決をどのように計られていくのか不明だが、恐らく、経済の仕組みの根本に関わって考えられなければならないだろう。
本質的には、衣食住の適当な量があれば、いいだけなのに、不当な実態経済と離れたところで、金融の変化が始まっていたに発する。それが、実態経済に、影響を与えてきた。ものごとの順序が狂ってしまったのである。
やはり、原点にもどって、健康な人間の暮らしとは何かを考え直す時期がきたのではないか。環境問題、人間関係、どうしても、根本的な変革をやらなければいけない状況を認識して、その方策を打ちたてる時期がきた。