なんだか事の本質の外側を、ウロウロしてきたようで、重要なポイントを逃しているのではないかという危惧をもちつつ、このブログを書いてきた。
いつも、この本質を追求してきたつもりであるが、迫れてはいないという感覚である。人間の精神構造は、勿論すべてが解明されているわけではない。
それでも、科学技術の発展により、一つひとつは、意志をもたない細胞が1000億個も集まって、連携すると全体を統括するかのような意思行動が展開されることが解ってきた。
思えば、すべての動物は、意思的な行動をする。危険が迫れば、逃げるし、腹がへったら、狩をするべく、考える。そして、行動する。
体力勝負だったり、知恵比べであったりする。人間は、その中で、ついに、頂点を極めたといえる。人間が思うとおりの状況を作り、コントロールできる部分がでてきた。
しかし、宇宙のサイズからみれば、水溜りのボウフラにすぎない。地球環境、太陽なかりせば生存不可能であり、いずれは、この環境を捨てない限りは、種としての人間は滅びるしかない存在である。なぜなら、この環境自体が、有限であり、無限ではないからである。
人間は宇宙へ出なければ、無限を手にいれることはできない。それは、当面のことであって、もっと先をみるならば、宇宙全体もまた、収縮して、次のビッグバンを迎えるのだとすると、これもある宇宙期に存在したことになるだけかもしれない。それもいってみれば、有限である。
すべては、ゴワサンとなり、また繰り返す、と考えれば、その全体は無限ということになる。
人間の計りでは、途方もない先の話であるが、そこまで、見通すことができるようになった。証明可能のもの、不可能なものを含めて、仮説といいながら、それなりに、考えることができるようになっているのである。
つまらないことで、日常生活に、アクセクしながらも、こういう認識に庶民が到達できるようになった。
それは、人類共通の常識となったとき、現下の状況はかわるだろうか。多くのことが解決されるような気がする。どうでもイイことには、拘らないだろうし、人が人をどのように扱うのか、他の生命や環境にどう対応するのか、自ずからその選択が、できると思う。
このてのことを、アチコチで聞くようになった。これは、自分の独創的な考えだと思っていたこともあったが、小生が思うぐらいのことは、みんなが気付くという感じで、ときどき散見する。
これが、庶民の常識となると、世間は相当変わると思う。明らかに、こういう考えを知らない、生活と結びつけない人が圧倒的に大多数なので、これらの人が、変わると、それこそ、タイヘンなことである。
今、世界で紛争の種になっている、宗教や、人種や、その他の価値観に基づく諸問題はほとんど解決可能であり、独裁者達は退場願うことになるし、多くの「文化」は、それなりの役割のもとに、整理されるであろう。
いつも、この本質を追求してきたつもりであるが、迫れてはいないという感覚である。人間の精神構造は、勿論すべてが解明されているわけではない。
それでも、科学技術の発展により、一つひとつは、意志をもたない細胞が1000億個も集まって、連携すると全体を統括するかのような意思行動が展開されることが解ってきた。
思えば、すべての動物は、意思的な行動をする。危険が迫れば、逃げるし、腹がへったら、狩をするべく、考える。そして、行動する。
体力勝負だったり、知恵比べであったりする。人間は、その中で、ついに、頂点を極めたといえる。人間が思うとおりの状況を作り、コントロールできる部分がでてきた。
しかし、宇宙のサイズからみれば、水溜りのボウフラにすぎない。地球環境、太陽なかりせば生存不可能であり、いずれは、この環境を捨てない限りは、種としての人間は滅びるしかない存在である。なぜなら、この環境自体が、有限であり、無限ではないからである。
人間は宇宙へ出なければ、無限を手にいれることはできない。それは、当面のことであって、もっと先をみるならば、宇宙全体もまた、収縮して、次のビッグバンを迎えるのだとすると、これもある宇宙期に存在したことになるだけかもしれない。それもいってみれば、有限である。
すべては、ゴワサンとなり、また繰り返す、と考えれば、その全体は無限ということになる。
人間の計りでは、途方もない先の話であるが、そこまで、見通すことができるようになった。証明可能のもの、不可能なものを含めて、仮説といいながら、それなりに、考えることができるようになっているのである。
つまらないことで、日常生活に、アクセクしながらも、こういう認識に庶民が到達できるようになった。
それは、人類共通の常識となったとき、現下の状況はかわるだろうか。多くのことが解決されるような気がする。どうでもイイことには、拘らないだろうし、人が人をどのように扱うのか、他の生命や環境にどう対応するのか、自ずからその選択が、できると思う。
このてのことを、アチコチで聞くようになった。これは、自分の独創的な考えだと思っていたこともあったが、小生が思うぐらいのことは、みんなが気付くという感じで、ときどき散見する。
これが、庶民の常識となると、世間は相当変わると思う。明らかに、こういう考えを知らない、生活と結びつけない人が圧倒的に大多数なので、これらの人が、変わると、それこそ、タイヘンなことである。
今、世界で紛争の種になっている、宗教や、人種や、その他の価値観に基づく諸問題はほとんど解決可能であり、独裁者達は退場願うことになるし、多くの「文化」は、それなりの役割のもとに、整理されるであろう。