人間というのは、自分と他者との関係にある。自分だけでは、人生に意味をもたない。相互関係の中にのみ、すべてがある。愛し合ったり、憎みあったり、苦しみも喜びも、嬉しい事も、悲しいことも、その中で生じることである。相対的に有利になりたがってみたり、自分や親族や愛するものだけを、浮かび上がらせるための方策に埋没するかと思えば、自分を捨て、家族をすて、すべての人に救いをなどと考え、行動し、その生涯をささげるという人もいる。そのことを自分の喜びとしているという風に考えると、その人も、自分のために生きたというのかもしれないが、それは、他者のことが、その視野にあるということが重要である。自分の行動が、自分の好みや、欲望だけの場合、他者への視野がなければ、それは、イビツなことになる。大抵は、他者の利益を損なってしまう。そこに、配慮があれば、自分の欲望と、他者との関係についての心地よい状況が生まれる。人生の醍醐味の舞台ができるのである。中に、達人がいて、自分の欲望にのみ沿って、行動しながら、そのことが、他者との関係において、役に立ち、他者を損なわない境地に至っている人がいるとすれば、それこそ、目指すべき理想かもしれないが、すべてが見えていないと、それは、完成とはいえない。自分は自分の欲望にしたがっているにすぎないが、その効果について、意味について、解っていなければ不安がつきまとう。安心するためには、見えていなければいけない。