我が家のネコは、すべて去勢してある。従って、ネコの欲望は、かなり大きな部分で欠損があるから、いまや、本当のネコの生態にふれることがない。
その結果、ネコとの関係は、良好であり、矛盾も少ない。だが、その一方では、あの激しい生物としての欲望をカットして得られたこの平安が正しいかどうかといえば、正しいとは言い切れない。
しかし、あの渦中にいたときには、とても共生できるような状況ではなかった。どんどんと、彼らは増える。闘争、喧騒、そして誕生。狭い生活空間のなかで、容赦のない欲望の連鎖が続く。
動物病院に連れて行くことに、選択の余地はなかった。そうしなければ、ネコとの共生は不可能であった。
ただ、平安を得てみると、これでいいのかという疑問が出てくる。かつての喧騒がなつかしくもある。
広い世界で、オモウサマ彼らを生かすべきかとも思う。しかし、あの勢いには、とてもかなわない。いくら広くても、トコトン増えて、限度までつきすすむだけのことのようにもみえる。
それぞれの種は全力で増やすことに力をつくす、ただ状況がそれを許さず、それぞれの力関係が働いて、世界を秩序に導いているようにもみえる。
であれば、それぞれの種は、思うところを全力で邁進していればいいということになるが、人間はそのなかで、どうするのかの選択の能力を持ってしまったのである。
その結果、ネコとの関係は、良好であり、矛盾も少ない。だが、その一方では、あの激しい生物としての欲望をカットして得られたこの平安が正しいかどうかといえば、正しいとは言い切れない。
しかし、あの渦中にいたときには、とても共生できるような状況ではなかった。どんどんと、彼らは増える。闘争、喧騒、そして誕生。狭い生活空間のなかで、容赦のない欲望の連鎖が続く。
動物病院に連れて行くことに、選択の余地はなかった。そうしなければ、ネコとの共生は不可能であった。
ただ、平安を得てみると、これでいいのかという疑問が出てくる。かつての喧騒がなつかしくもある。
広い世界で、オモウサマ彼らを生かすべきかとも思う。しかし、あの勢いには、とてもかなわない。いくら広くても、トコトン増えて、限度までつきすすむだけのことのようにもみえる。
それぞれの種は全力で増やすことに力をつくす、ただ状況がそれを許さず、それぞれの力関係が働いて、世界を秩序に導いているようにもみえる。
であれば、それぞれの種は、思うところを全力で邁進していればいいということになるが、人間はそのなかで、どうするのかの選択の能力を持ってしまったのである。