囲碁、将棋、人間の知的ゲームの分野で、どうやら人間を追い越した模様である。限られた条件下であるといっても、相当な広がりを持つ、知的ゲームで人間が負けたということは、人間がやっていること、たとえば、政治の分野において、とるべき政策提言などは簡単にやれそうである。
結果として、人間に生きる価値なしとされたら、それこそ人間は諸悪の根源として、生存が許されるかどうかである。すぐ、あらそい、妬み、人を騙し、食い物にし、平気でいる。コンナモノが、生きていていいのだろうか。
前提条件を変えると、さまざまな政策が出てくる。如何に儲けるか専一に動かせば、どこそこで紛争を起こし、どこそこの貧困地域から兵を集めるとかなんとか、どこの国をターゲットにして、タネにするかなど恐るべき政策がでてくる予感がする。
ターゲットにするのに、最適な国がないことはない。そこの住民のことは、動機ではない。あくまで、自らの利益である。ほとんど正気で、そんなことを考えているところがあるに違いない。さもなければ、こんな実情にはならない。
弱者の立場にたつとどうなるか。さてさて、いよいよ社会は、速度をあげて変化する。