イスラム国の人質事件がついに日本人にも波及してきた。言いがかりともいえる内容だが、安倍首相の中東訪問の機会をとらえて、脅迫がなされた。
相手は、どこまで本気なのかはわからない。ただ、イスラム国では、現実に処刑が行われていることは、間違いないし、西欧諸国とは、真っ向から対立しており、今や、軍事的に解決するほかないようにみえるぐらいである。
西欧側が屈服して、イスラム国に降伏するとは思えない。となると、イスラム国の消滅を目指すほか道がないかのようにしかみえない。で、その方向へと動きつつある。
だが、それでいいのであろうか。いいはずがない。日本は、憲法の制約もあり、平和的な解決を図るほか道がないのであるが、それこそ、世界平和にむけての、人類の唯一とるべき道ではないか。
論理と実行を通じて、この事件に対処するほかない。イスラム国が、どのようにして出てきたのか、西欧諸国の今までのやり方に、何か問題はなかったのか、西欧諸国がそれこそ、歴史認識を詳らかにして、歴史をふりかえらなければならないのではないか。
アフリカ諸国になしてきたこと、奴隷制度・・・人類の歴史そのものついても、真摯にふりかえり、過去からの教訓をえなければならない。
そのなかで、とるべき道がみえるのではないか。日本が安全保障の道をどのようにして勝ち取っていくのか、憲法を改悪して、普通の国となり、軍備を背景に自らの権益を主張することでいいのであろうか。
確かに、中国のふるまい、韓国のふるまい、北朝鮮の振る舞いなどみていれば、軍備をもって、自らの主権をまもるというのは、あたりまえにみえるけれども、そこには、かならず、利権が発生し、利用するヤカラが発生して、庶民を軍隊にいれ、戦争も辞さないとなれば、そこが、悲劇の温床となるのは、目に見えている。
現在の状況から、平和的に、とるべき道を必死にさがすことが、今こそ大事である。その論理が通らないようでは人類に明日はない。また、なくて当然かもしれない。殺し合うしか能のない生物は、消えてもらって結構ということである。