現実に生きていけるのならば、それでいい、てなもんだが、どうせ生きていくのならば、少々の楽しみも欲しいし、生きがいもほしい。そのためにはどうするか。
それには、自分のことばかり、自己都合のみ考えているのでは、真の喜びには、なかなか近づけないのではないか。
困難のなかで、お互い助け合いながら、問題の根源にむかって、チームプレイで努力していけるならば、苦しいこともあるだろうが、その分喜びは大きいのではないだろうか。
無理をせず、自然体で、そのような生き方ができるのならば、その人の人生は、ほぼ成功といえるのではないか。
社会なり、国家が、そのような基本的な考え方で活動していたら、外国に対しても、武力でなんとかしようとは思わないはずである。
本当に人道的立場から、物事の解決にすすむことができるのではないだろうか。では、拉致問題などどう考えるのか。話もできないような、とんでもない国家。話にならない低レベルの国家。現実にそんな国があるのだという驚き。
こういう問題をどう解決していくのか。中国もあまり話がわかりそうもない。ひょっとすると、日本の側に問題があるのだろうか。はじめから、話し合うことはできないのだろうか。