「手放せないもの」を、チョット拡張解釈して考えると、平和だと思う。いつでも戦争可能にしょうとする人々が、明らかになってきた。油断をすれば、この方向が止められなくなる。政治を志している人は、国益であるとか、国のメンツにこだわる人が多いのではないか。日々生活する人々にとっては、本当に生活が大事である。それと、世界平和は、つながる話である。政治家は、地球全体を考える立場から、政治に携わってほしいと思う。
談合は、公共事業の予算の範囲内で、できる限り多くの金額を業界として、獲得したいということと、「無用」な競争を避けたいとする、いわば、当然過ぎる動機に基づくものだろう。
どこで、露見するかといえば、そのサークルから外されたものか、正義感の勝った人なのか、あるいは、業界に入り込もうとする、外国資本の動きなのか、いずれにしても、公正な競争にもとずいて、運営が可能であれば、そのほうが良いのは、間違いないだろう。談合がいっさいできない仕組みは、工夫をすれば、可能だろうが、そうしないのは、理由があるのだろうが、いつまで、こんなことを続けるつもりなのか。
建前のウラにホンネの世界があって、陰謀渦巻く人間世界であるから、さまざまな力学がはたらく。本当に幸せとは、身近にあるもので、人をけとばしたり、なかせて得られるものではない、と思うのだけれど、そうもいかないのであろうか。
とりわけ、本能むき出しで、たたかわなければ、生きてはいけない場面は、いままで、くりかえしあったわけで、今もあるのであって、こんなことをいっているのは、「平和ボケ」の一種なのかもしれない。でも、ボケでいいではないか、なんとか、食っていければいいではないか。といいつつ、油断しているとそれもアヤウイ。
どこで、露見するかといえば、そのサークルから外されたものか、正義感の勝った人なのか、あるいは、業界に入り込もうとする、外国資本の動きなのか、いずれにしても、公正な競争にもとずいて、運営が可能であれば、そのほうが良いのは、間違いないだろう。談合がいっさいできない仕組みは、工夫をすれば、可能だろうが、そうしないのは、理由があるのだろうが、いつまで、こんなことを続けるつもりなのか。
建前のウラにホンネの世界があって、陰謀渦巻く人間世界であるから、さまざまな力学がはたらく。本当に幸せとは、身近にあるもので、人をけとばしたり、なかせて得られるものではない、と思うのだけれど、そうもいかないのであろうか。
とりわけ、本能むき出しで、たたかわなければ、生きてはいけない場面は、いままで、くりかえしあったわけで、今もあるのであって、こんなことをいっているのは、「平和ボケ」の一種なのかもしれない。でも、ボケでいいではないか、なんとか、食っていければいいではないか。といいつつ、油断しているとそれもアヤウイ。