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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

検査をどれぐらいしているのか

2020年02月21日 18時43分07秒 | 思考試行

 大阪府の「新型コロナウイルス感染症」の検査の実際はどうなっているのだろうか。不安をもった人が「帰国者・接触者相談センター」に電話して、検査するべきだとなった人数である。大阪府では、21日現在一名の陽性が出たのみである。

 他県の状況をみると、市中に感染者がいて、もはや相談先が「帰国者・接触者相談センター」という看板というのが、実に「胡散臭い」名前である。いつまでそんなことを言っているのだろう。問題を特殊なものにしたいというニオイがモロにでている。

 そして1月26日から2月19日までの検査結果が大阪府のホームページに出ていた。どれぐらいの検査実績があると思われるだろうか。

 総数で65件である。そして、19日は一日で14件の検査をしている。わずかこれだけ!と驚いた。検査をしなければ、当然ながら陽性となる人はでない。それを狙っているのだろうか。あるいは、それぐらい感染者と思われる人はいないということだろうか。

 テレビでは、羽鳥モーニングショーでは、検査をなぜしないのかと連日声をあげている。医師がこの人は怪しいとして相談しても、検査に応じられないと言われたという。大病院で感染症担当の医師がたくさんいるところからの検査要請にたいしても、即座とは行かず、二日も待たされたというのである。

 検査ができないのは、そういう体制がないからだと、他のチャンネルが言う。ところが、政府の確たるメッセージがない。電話せよ、とばかり言う。電話をかけても解決するわけではない。検査をするわけでもない。門前払いをされたらそれで終わりだ。大阪府にして、19日、一日14名だ。そんな検査数では「検査をやっている」とは言い難い。

 電話で門前払いをしていることになる。では、検査は実際できないのだろうか。そんなことはないという状況が取材で解ってきている。かかりつけ医から、直接検査機関に、検査依頼ができれば、陽性か陰性かを知ることがスピードをもってできる。それぐらいの能力は、日本の医療にある。民間活力を当然使うべきだ。当然保険適用として、使いやすくすることも当然である。陽性でも軽症であれば、自宅で養生することも可能だろう。調べずにいれば、疑心暗鬼を生むばかりである。

 とにかく、統計上、陽性を出さないことに躍起となっているようでは、話にならない。実態をキチンと調べてそのうえで、対策をこうじていくことが必要である。

 検査できる能力がないなどと、ウソをつくのはやめにしてほしい。テレビもチャンネルによって、ニュアンスが違うのが無茶苦茶気になる。

 


言い抜け、屁理屈、忖度期待政権

2020年02月19日 15時01分24秒 | 思考試行

 外資系のホテルが、政権に忖度せず、内訳を示さずに請求などしないと、断言した。政権側は、もうこのホテルは使わないといい、野党は正直だと称賛する。

 件の桜を見る会にかかるホテルは、このところ、すでにホテルニューオータニだったかに変更、もうすでに使っていないんじゃないのとつっこみをいれとくか。

 どこもかもが、政権に阿る実態があるなかで、面白い現象がでてきた。長期政権のなかで、議会の真面目な議論が展開できなくなっている。どんなにすれ違っていようと、絶対に参ったとはいわないで、のらりくらりと、いいわけしていれば、討論時間がすぎたとして、政権側が思う通りになんだって採決できる状況である。

 無茶苦茶であろうと、認めさえしなければ、それが通るという事態。官僚、司法、すべてを人事権で支配してしまう状況が生まれている。首相が無茶を言っても、官僚は口裏をあわせてきた。改竄をし、破棄し、無理を重ねて忖度しまくってきた。

 だが、外資のホテルは違っていた。

 今、政権は時間稼ぎに入っている。経営上層部への工作をやるかもしれない。いいわけ、言い抜けの口実を教え、見返りを提示して、もみつぶしを計りたいところである。とりあえずトライぐらいはするだろう。トランプに口利きを頼んで、いらない戦闘機でも買うか。

 ホテルが正しいとなれば、首相は嘘をついたこととなり、政治資金規正法の法律を破ることとなる。法律違反となればさすがに首相はやめなくてはならないだろう。ひょっとすれば、・・・・

 法律違反があったとなっても、あるいは、開き直り堂々とやめないかもしれない。とにかく選挙で、勝ちさえすればいいのだ。こんなやり方で、日本は大丈夫なのだろうか。人類は存続できるのだろうか、ということである。

 


ウイルスは忖度しない

2020年02月16日 21時04分45秒 | 思考試行

 思惑があって、検査対象を「武漢しばり、湖北しばり」、をやった。これは、政権の仕業だが、誰がやったのだろうか。誰が首謀者だったのか。検査ができない、この間に、感染がすすみ、いよいよ、これからそんな馬鹿なことをやったツケがいよいよ現れようとしている。

 「先手、先手」で行きたいと安倍首相はいう。もう充分に後手を引いてしまっているのにだ。ウイルスは官僚ではない。官僚のように、人事権で脅かされて政権に言うままに動いてはくれないのだ。

 こうなった以上、どういう準備をしなければならないか。なるべく事を小さく見せようとしたり、いろんな思惑のためにとるべき処置ができないようでは困る。

 この間の政権の姿勢は、本当に国民の側にたっていたのかどうか。

 やるべきことをせず、検査をさせず、事件を、矮小化したい思惑が如実にでていた。羽鳥モーニングショーでは、政権の姿勢にとまどい、なぜなんだを連発していた。取材で、検査はやろうと思えばできることを、明らかにしていた。

 政権の言うままの評論家が、政権の代弁をして、検査ができないことを言い募ったが、そんなことはない取材の結果だった。落ち着けば、この間の事情は必ず明らかにされなければならない。

 いままで、政権は、掠め取った議席の数を背景にして、好き放題をしてきたが、ウイルスはそういうわけにはいかない。キチンとやるべきことをしなければ、そのしっぺ返しが来る。

 それで被害を被るのは、国民である。政権は、言い抜け、言い訳に終始するだろうが、この間のできごとを忘れてはならない。事態は、収束したわけではない。これから、初期の「思惑」の悪影響がでてくる可能性がある。というか、もうすでに始まっている。

 この状態になる前に、憲法を変えるチャンスだという声もあった。政権に大権を与えて、私権を制限しないと、事態に対処できないなどと言い出した。とんでもないことだ。

 やるべきことをやらず、国民のことを真剣に考えているわけでもない、彼らの本性がはっきりでてきている。

 この事件を契機に日本がどのように変わっていくのか、これからがたいへんであるが、報道ぶりも各社それぞれ本性を表している。国民はつぶさに、事態の推移を見守り、自己防衛をしながら、よくよく事態を、監視しなければならない。


無茶苦茶はいつまで続くのだろうか

2020年02月12日 18時36分59秒 | 思考試行

 国会の論議が無茶苦茶になっている。民意の公平な反映など考えてはいない、いびつな選挙制度で、議席の数だけを問題にする政治の影響である。

 多数決で決めるだけなら、議論は必要なく、議論をすれば、不利とみれば、多数派は議論など無用だと考えるだろう。だが、政権が真面目に議論しないならば、有権者たる国民の支持を失うとしたら、多数派といえども、議論をせざるを得ないし、誠実に政権の主張を真面目に訴えるということになる。

 ところが、国民はさほど政治に関心はなく、少々論理を外していようと、官僚に対して人事権を武器に、脅しをかけていさえすれば、官僚は政権に協力を惜しまず、それどころか競争して「忖度」すら始める。行政だけではなく司法、検察も例外ではない。

 お友達のために便宜をはかり、「功績のあった人を招く」という桜を見る会も、私的な後援会の行事にしてしまって、なんら恥ずることもない。その「言い抜け」は、論理も何もない。あるはずの名簿はない、廃棄した、子供でも言えない恥ずかしい言い訳、みるも無残なものである。だが、それをシレっとやるのである。これを厚顔無恥という。無茶苦茶である。

 国民が政治に無関心で、政権側が一見真面目そうにふるまいながら、実は、都合の悪いことは隠しまくり、議論などするつもりはなく、ああいえばこういう式の何か言ってさえすれば、「恰好ばかり」のすれ違いに終始していても、国民が気持ちよく騙されているうちは、なんの問題にもならない。そもそも真面目に答えるつもりはなく、誠実なフリをすればいい。本当に誠実でなくてもいい。

 へんな「技」を覚えたものだ。良心的な政治家や専門家などがどういおうと、少数派の「物が見えている人びと」の言うことなど無視するだけである。それでも国民大衆が、無関心であれば、なんの問題にもならない。

 果たして、国民はどうするのだろうか。ほぼ半数の国民は、きれいに騙されていて、気持ちよく、「苦しみながら」生きている。国民が、ひとたび気付けばどうなるのだろうか。政権にのさばっている人びとは、不安になることはないのだろうか。

 


あるべき方向へと世の中動いていくのだろうか

2020年02月09日 18時34分33秒 | 思考試行

 そのように動くかどうかは、まさに社会を構成する人々の行動にかかっている。誰かとんでもない人物がいるとして、彼がとんでもない行動をしようとしても、それを監視し選挙行動にそれが直ちに現れるようであれば、件の「彼」を押しとどめることもできるのであるが、そんな傾向がないとなれば、「彼」は、何の反省もなく、より一層自身の信条の実現をめざして自信をもって行動するだろう。

 どんなに理屈が通らなくても、これを通すために、ありとあらゆる「知恵」を働かせてくれる忠実なる官僚組織、司法組織、が「彼」を支える。そうしなければ、「人事権」を武器に「制裁」を加えられるからである。人事権を持つ者のモラルが破壊した状態が、進行している。

 新型ウイルスが発生したこの事態も、「憲法を変える機会」とさえ言い出す連中がいる。人が人を大事にしない「日本の伝統」は、いまだに死滅してはいない。階級社会が現存していて、富める者はますます富み、貧しい者は、そこへ留め置かれ、さらに、貶めることに余念がない。

 相変わらず、女性蔑視が続いており、女性は明らかに差別されている。日本はいつのまにか、世界のなかで、人間的な文化水準において顕著な遅れを見せ始めている。真に人間とはとか、人類とはとか、考えていない証左が露わとなり、そのことが経済活動にも影響を与えている。

 日本の社会構造は、敗戦によって、改変を余儀なくされたが、残念ながら根本のところは、変えられることはなかった。日本の遅れている部分は、西欧文化にない「美徳」もあったからである。その「美徳」が、民主主義を徹底することを阻害した。

 個人はいつまでも自立することはなく、信念をもって我が道を行くというタイプの人間は、弾き飛ばされた。個性を生かすという価値観はなく、鋳型にはめ込む作業が、継続されてきた。

 ここからどうして脱却していくのか。まさに投票行動に大変化を起こすことがなくてはならない。民意を眠らせ、デマを流し、展望を見出せない状況を守り続けるマスコミは、大罪を犯している。真実を報道し、真相を暴露すべきである。きれいごとではない真相をあきらかにすることだ。

 


為政者・政治家の姿勢が問われている

2020年02月05日 22時01分16秒 | 思考試行

 権力温存のために、政治を行っているのか、それとも、人民、国民、市民のことを真剣に考えているのか、今、世界の政治が露わになってきているような気がする。

 近づいている選挙のために、人気取りの政策を打ったり、裁判対策であったり、後援者のご機嫌をとるために、国の行事を私物化したり、野党に目をつけられると、文書を破棄し、調べると言葉でいいながら、その気はまったくなく、役人の人事権をしっかり握り、政権に協力させる態勢を築くのに一生懸命である。

 そして、官僚も人の子である。見事に、これに呼応して、政権の言うまま、求められるままに、全面的に忖度しまくっている。

 そこには論理も正義もない。恥知らずと言われようと、論理的に破綻していようが、要は多数決だと割り切っている。これは、人類社会にたいへんな害悪をもたらし、当事者の方々の精神衛生上も、相当な傷をつけているのではないかと危惧する。

 あの世があるかどうか、知る由もないが、この世ではひどい屁理屈をこね、あちこち害悪をまいた人、とりわけ、わざとやった人々は、まちがいなく地獄へ行ってもらいたいとおもう。そうでもしないと、この世だけでは勘定があわない。

 だが、安倍さんを見ていると、あまりにシレっとされているので、なにがあろうと、シレっとする技をマスターしておられるのだなあと感心する。

 大ウソつきは、自分をきっちり騙すという。自分が自分を騙さないで、人を騙すことなんて不可能なのかもしれない。騙すというより、思い込むという技かもしれない。

 思い込むことによって、うそをついても、平気でおれるのだろうし、論理が破綻していても平気なのだろう。

 誠実でない人間は、やはり醜い。麻生副総理などは、もはや悪相である。正義の味方とは思えない感じが、その態度、表情に表れているようにみえる。真面目で誠実な人はあんな表情や態度はとらないと思う。


発言できる機会の多い人たちの役割

2020年01月19日 19時50分39秒 | 思考試行

 サンデージャポンとか、結構人気のようだが、「意見」を言える環境にある人らの言動は、実質的にオピニオンリーダーになりうる。小生は以前からこのことに注目していて、特にお笑い芸人の方々こそが、「世のため人のため」になる要であると思っている。彼らがなにをいい、どういう価値観をもつかが重要である。

 人情話などは、日常茶飯のことの、日常生活を送っているのではないかと思われる「楽屋裏」の話はとりわけ面白く示唆に富む。

 かつて、西川きよしさんが政治の世界に涼風をもちこまれたが、横山ノックさんのようにあまりにも人間的な失敗をされたこともあった。個人的な野心が前にですぎたようだった。政治の世界は、既得権益の壁があり、思いつきで、これを改変することは難しいと思うが、庶民がなかなか実行できないところを、喜劇人、お笑い芸人の方々が相当な努力をされて、その「発言権」を有効に発揮していただきたいと思っている。

 権力もそれを知っていて、桜を見る会には大勢のタレントが招待されていた。これは権力側の「工作」の一部でもあるが、逆に言えば、タレントが「世のため人のため」に活躍できる力を得たことでもある。くれぐれも、「権力の犬」などにはならないでほしいけれども、多くの誘惑があるだろうし、どこまで、それができるかは、まさに人物次第である。しかしながら、彼らは、今や高収入を得て、「支配者側」の自己認識であるかもしれず、実態は「権力のお友達」とみなければならないかもしれない。

 人の前で、何事かを話し、ストーリーを展開するにあたって、どのようにやるか、意欲的に世のため人のためという認識を持っているかいないかで、人類の行く先にも影響するに違いない。ちえをしぼって、素晴らしい仕事をしていただきたいと期待している。

 


その気になることが大事

2020年01月13日 12時17分21秒 | 思考試行

 世の中、相当便利になってきて、今や世界中の出来事が、古くから積み重ねられてきた知恵や知識が、従来とは、まったく違うスピードで得ることができるようになってきた。小生など、俳句を始めて、新しい兼題が出ると、これは直ちにネット検索をして情報を探す。たちどころに、いろいろ、でてきて、しかも、珍しい場面などが動画で紹介してくれたりする。

 ネット検索なしに作句することなどできない感じである。また、同じ兼題で、過去どのような作句がされているか、その解釈、わからない文字、意味、書き順、などなど至れり尽くせりである。世の中森羅万象すべてやる気さえあれば、どんなことも調べられるような気になる。

 これで、みんなが、さまざま知ることができるようになって、政治家が適当なことを言ってもその真偽や、真っ当さなどたちどころに白日のもとにさらされることになる。変なことはおこりようもないと思いたいところだが、実は、世の中は、変化を始めているのかどうかわからないところがある。寝てるんかなと思ってしまう。

 非正規雇用がはびこり、多くの人が、とても快適な暮らしなどできない状態に追い込まれても、政府は簡単には救いの手をさしのべたりしない。失業が減ったなどと自慢する始末である。

 富裕層や、権力者は、四六時中、弱者のことを、心配したり、常人では不可能な「お考え」を生み出しで、世のため人のために「ご努力」をされている、とは思えない。実に優雅な「お暮し」をされて、おいしいワイン、料理、楽しいゴルフなど、すてきな時間をお過ごしのことと思う。

 その蓄えの一部を、保釈金や逃亡資金に使うだけではなく、弱者のために制度的に使ったらいかがだろうか。景気も良くなるし、喜ぶ人も増えるし、何より、富裕層の方々は、尊敬のまなざしを集めて、さらにより幸せになれるのになあと思う。

 松本仁志の「すべらない話」の番組をみていて、話がせこくて、ちょっと悲しくなった。特に表彰されたガクト君の話は、ビジネスに生きる芸術家の余裕のなさを見せつけられた。なんだか豪勢なくらしをなさっているようであるが、いま少し、品性をお磨きになられたらと思ったところである。かれらが、「世のため人のため」のアイデアをおもしろおかしくやってくれたらなと思う。目覚めない庶民の方々が、「ん!」となって、世の中を根底からかえてしまうようなお力をお持ちだと思うのだが、いかがでしょうか。


社会は突然変わることになるかもしれないが時間はあるか

2020年01月03日 22時49分55秒 | 思考試行

 世界の現状は、たいへんなことばかり。大きな理想をかかえて、みんなで努力しようという方向にはなっていなくて、なんらかの「利益追及」が介在して、その権益を守ること、あるいは侵されないこと、要するにもめごとに対処することで精いっぱいの感じである。

 キリスト教の聖書に書かれてあることが、正しいのだ、と言い張る人々がかなり大勢いて、大真面目だという。こういうわかりやすいレベルの状況から脱出することは、そんなに難しいこととは思えないが、アメリカはどうやら、自分と反対意見には耳を貸さないという分断状態があるようで、そうなると、事は簡単ではない。何しろ他人の意見は一切聞かないのだから。解決の見通しはたたない。

 日本と韓国との関係でも、韓国の国情には、信じがたいほどの溝を感じてしまう。話しあえる相手ではないと思ってしまう。

 だが、韓国に、話しができそうな著作が出てきたり、新しい動きもあるようだ。いずれにしても、じっくりと議論したり、冷静にはなしあったりしないとなれば、ロクなことにならないことは、歴史が示している。

 論理的に話をすることを、だからと言って、諦めるわけにはいかない。

 人の話を聞かずに、頭から被せてくる輩、わかった風に、誤解を起こさせるような単純化、どこからか買収されて、居丈高になる輩、いろんな連中がマスコミに跋扈している。えらいもので、そんな連中は、見抜かれてしまうのか、それなりの扱いとなっている。

 だが、本当に、「みんなのことを」考えている人は、どこで活躍しているのだろうか。マスコミは当然彼らを無視し、とりあげることはないし、なにかスキャンダルはないだろうかと、見ないふりをしながら、観察は続けている。

 どうすれば、世の中がよくなるのか。どこに、課題があるのだろうか。急所はどこなのか。

 その解決法の大事なポイントは、選挙にあるとは思うが、この簡単な行為のなかに、ごまかし、だまし、過小評価、さまざまな手練手管が渦巻いて、庶民は、おおかた騙されている。

 まじめにやっていた連中も、食っていかなくてはならないから、挫折する。口実を設けて、正義を貫いているつもりが、いつの間にか、食うことにエネルギーをとられてしまう。

 食うために、妥協し、従い、諦め、節を曲げる。かくして、世の中はなかなか変わらない。

 だが、投票するだけなら、できるのではないか、簡単ではないか。かくして、簡単に世の中は、変わることになるかもしれない。

 説得力のある体系的な「論理」「政策」が、提示されれば、それが採用される可能性はなしとは言えない。だが、それが、人類にとって正解かどうか、どのように判断できるかどうかが問題である。静かに落ち着いて、常識として多くの人々に把握されることが必須である。その時期は、もう迫っているのだろうか。

 だが、状況が、切迫していて、残された時間はそれほどないのかもしれない。


いいものはいい・・・へんなものはすてる

2019年12月29日 23時45分57秒 | 思考試行

 腐った食べ物は、食べれば、ほとんど、かならずお腹をこわすことになる。悪い政治は、必ずどこかに歪を持ち込む。苦しい生活に自殺者が出ることになる。苦しい生活に追い込んだのは誰だろうか。犯人はどこにいるのだろうか。

 どうすれば、問題ができるかぎり軽減されるやり方とは何だろうか。大きな賭博場を作ることだろうか。誰が儲けることになるのか。その金をどこへ運ぶのか。人類の一部の人間が、贅沢をして、貧しい人々が悲しい思いをすることを許すわけにはいかない。

 生存さえ保証されない。神はいるのか、仏はいるのか。富者にのみその恩恵が施されているとするならば、そんな神も仏もいるものか。

 時々、キリスト教の真面目な信者が訪問してくる。柔和な笑顔、まなざし、どこからみても悪人には見えない。事実いい人なのであろう。せっかくのお休みを寒空の中、布教に歩いている。信ずれば救われると説く。

 彼らの指導者はどうしているのだろうか。不眠不休で祈っているのだろうか。それとも、特権階級として、恵まれた環境、処遇を受けて、きらびやかな装飾の衣服をつけてでっぷりと肥えているのだろうか。

 投票制度で、人々が望む政治が行われるべく、その政策、方向、を選ぶことになっている。だが、その方向は、簡単な言葉で詳細が語られるわけではない。人々は、選びようがなくて、棄権する。関心をもつことさえない。政治家の不誠実に気付き、そんなものとは付き合いたくないと思っている人が相当多いように思える。

 人がかたる言葉は真実ばかりを語るとは限らない。人々はそのことを良く知っている。騙されないようにしたいと考えている。だが、棄権すれば、騙されたことになる。しかしながら、どこへ投票すればいいのかわからない。どこへ投票しても同じだと思ったりもする。

 人の世は変化する。いやでも変化する。その方向をみることは、投票権を持つ人々の重大な「仕事」である。誰が真面目か、誰が誰の味方か、ウソにまみれた言葉のなかから、味方はだれなのか、発見しなければならない。

 それができなければ、まちがいなく、人類は滅び、歴史は終わるに違いない。思えば、人類は賢いようにみえて、馬鹿なところがある。一杯馬鹿をやってきている。両極端の人びとがいるし惑わせる言葉もとびかう。そのなかで、「正しい」と思えるものを選びとらなければならない。

 泣いているだけでは、問題の解決はない。神も仏も救ってはくれない。人は自分自身で、自ら、自分を救わなければならない。助け合わなければならない。そういう仲間を見つけなければならない。


徐々にではあってもいい方向に

2019年12月27日 00時06分13秒 | 思考試行

 今地球は、どうなっているのだろうか。異常気象、国際紛争、低レベルの対立、どうみてもいい方向に向かっているとは思えない。

 人類全体が、改善方向へ着々努力がされているとは思えない現状がある。

 各国の、国民の政治レベルも全体的高いとは言えないだろう。

 このまま進めば、人類は間違いなく破滅の道を歩んでいるようにしかみえない。

 日本だって、けっこう無茶苦茶である。国の代表者が国家財政を私物化しても、支配機構から異論が出ない。むしろ、これを助け、いろいろと動く官僚がいる。

 政権にとって、都合の悪い書類を廃棄し、データーも消去したと言い張る。しかもルールに沿ってやったことだと開き直る。

 人事権を握られた官僚は、政権の言うことを聞くこと、やろうとすることに協力することこそ、自分らの任務だと割り切っている。無理を通すところにウデがあるとでも思っているようである。

 はたして、筋を重んずる良心的な役人は生きてはいけないから、自殺してしまったりする。

 それでも、政権は、上機嫌で我が世の春を謳歌している。論議は、ごまかしに終始して、まともに議論などする気はない。

 インチキ選挙制度で、民意を反映しない議席数を背景に、多数決を主張し、国民をだましにかかる。

 しかしながら、徐々に、実態が真相が、みんなに見え始めてきているのではないだろうか。本当に、人類が生存できること、生きとし生けるものが、調和をもって、助け合って生きていけるかどうか、に焦点があっているのか、当たり前の価値観が常識となり、不公平なこと、不合理なことがとんでもないこととして、明確になるときが近いのではないだろうか。

 そのとき、今の現状のあれこれが、何なんだったのか、何をしていたのか、つまびらかにされ、大いに恥をかくことになるだろう。

 


大事件ではないとでも言うのだろうか

2019年12月21日 18時39分09秒 | 思考試行

 逮捕状が出たのに、それを直接捜査にあたったわけでもない、刑事部長が直接その執行をとめた。止めたには、ちゃんとした事情があったのだろうか。こんなことを許すことは、民主主義の国家ではないことを意味する。刑事事件にならなかったことを、盾にとって、加害者は訴えられた民事訴訟でも最大限利用する。

 このあたりの事情を徹底的に問題にするのが、報道機関ではないのか。調べ上げて、どんな力学が働いたのか。と書いたものの、なんということだ。どちらがウソをついているのかは、一目瞭然だ。はたして民事訴訟で地裁は被害者の言い分をはっきり認めた。

 嘘をついた加害者は、刑事罰も受けるべきだが、逮捕状の執行を止めさせた刑事部長、不起訴にした検察、検察審査会への証拠開示など、どんな具合だったのか知りたい。再起という手続きもあることはあるらしいが、やる気配はない。

 ただ、あまりにもわかりやすく、真実は、万人の目に明らかではないか。どちらが嘘をついたのか。誰がどんな動機でそうしたのか。事情はインターネットでみるだけで、明々白々だ。加害者は、若い娘さんを、酔わせて(これが怪しい・・・そんなドラッグがあるという。)無理矢理ホテルに連れ込んで、「介抱して」、「合意のうえで」セックスをし、それで、訴えられると、反訴で一億何千万という慰謝料を要求する人なのだ。

 加害者は、53歳の既婚者、家族あり。安倍総理べったりの有名記者である。そして逮捕状の執行を止めた刑事部長は、菅官房長官の秘書をしていた人物である。

 それで、マスコミの報道はどうなっているか。これは、大事件ではないのか。これをとりあげない日本の報道界はどうなっているのか。そこに正義はあるのか。ハチの巣をつつく騒ぎにならないのは、エライことである。いかにも公平そうな顔をしながら、この問題を無視し、どうでもいい題材をさも大事件のように扱う。こんなマスコミは、存在価値なしである。問題がおきれば直ちに反応し、正義のために、動くべきである。

 


「ホテルに来てもらったことは反省している」だって!無理やり引っ張り込んだクセに!

2019年12月20日 17時01分02秒 | 思考試行

 若い娘さんを「酔わしておいて?」--お酒だけでそんな風になるのだろうか。ともかくも、加害者は、ホテルに来てもらったことは反省している、という。だが、ホテルのドアマンの人は、無理やりに連れ込んだ様子を話している。

 そして、逮捕状がだされた事情のなかには、捜査員の印象に、ホテルマンの人の調書が入っているとみられる。

 が、逮捕状の執行が刑事部長の一声で中止となっていることは、大問題である。週刊新潮には、この刑事部長の写真がでている。今や、この人物は、警視庁ナンバー3だという。写真を撮られるのを嫌がるポーズで写っている。堂々とできないようだ。

 この人物は菅官房長官の秘書だった人物で、加害者は、安倍総理のベッタリ記者と言われていた人物。また、役者がそろった。同じような構図がでてきた。権力で都合の悪いことはすべて「なかったこと」にするつもりだ。

 検察審査会に、このホテルマンの方の調書は、はたして入っていたのだろうか。すぐに、資料は破棄するし、改竄だってするし、なにをやったんだい。検察ももはや、変質しているかもしれない。こんなことをいつまでやるつもりなんだろう。

 それにしても週刊新潮を久しぶりに読んで驚いた。民事裁判の地裁判決の前に、この記事は書かれていること。そして、どちらが勝っても、控訴間違いなしの読みのもと、まさに「握りつぶされたかもしれない」証言を、載せたのである。

 すごい仕事である。いろんな問題が明らかになるべきである。日本はもうちょっとちゃんとしようではないか。このままでは、何がエリートだ。嘘つきは誰なのか、はっきりさせるべきだ。恥を知れ!


ひどいことがあるもんだが民事は勝った。だが、加害者は控訴するという。

2019年12月20日 00時15分11秒 | 思考試行

 あったことをなかったことにする。逮捕状がでている人物を逮捕しようと空港で待機していたら、上からの指示で、中止となった。

 その後、検察は、不起訴を決め、検察審査会も不起訴相当となった。

 果たして、捜査資料がすべて出されていたのかどうか、まさにブラックボックスで、今の日本の現状が、そのまま出ているようだ。

 今朝の羽鳥慎一モーニングショーで、被害者の民事訴訟での勝利が報じられていた。ただ、他の局はどこもやっていないようだ。

 ハレンチ極まる女性暴行事件である。刑事事件とならなかった背景が、まさに、幾多の事件と共通している、あったことをなかったことにする手法が使われた。

 しかし、上級審になるとどうなるかわからない、などと言う声も聞こえてくる。ただ、件の12月19日発売の週刊新潮にでているホテルのドアボーイの証言は、いままでの審理には採用されていないという。

 無理やりにホテルに連れ込まれている姿が、証言されている。これは、加害者の言い分とは全然違う。

 週刊新潮には、逮捕を寸前で止めさせた刑事部長の、写真もでている。その人物の経歴もでている。政権との関係も。

 マスコミの大部分が、政権に忖度し、沈黙を守る。だが、すべてを抑え込めない。「一穴」から、堅固にみえる権力構造が瓦解する日が目に見える。

 こんなに明らかに、不正、不正直、隠匿、捻じ曲げが行われて、それが、どのようになっていくのか、国民は、しっかりと見つめなければならない。


続日本人の心の歴史

2019年12月18日 00時01分00秒 | 思考試行

 放送大学大学院で取り上げられているこの科目は、広範囲である。「歌の道」から隠者の道、能楽の道、茶の湯の道、「画の道」、「俳諧の道」、「兵法の道」、近代武道の諸相がとりあげられている。

 1400年余に遡って、昔の日本人の心を知ることができる文化、現代まで直接につながっている文化として、日本の文化をとらえている。

 今の現状が、先の時代と無関係にあるということではなく、それぞれの道が、時代により大きく変わりながらも、お互いが関連しあいながら、歴史的につながってきている。

 なるほどこうしてみれば、日本はたいした国であることがわかる。今、憲法9条を持ち、まるで、聖職者のような理念をもっている国家である。

 世界の人類のリーダーとなっても、おかしくない。自然との共生、世界の調和、発展、環境問題についても、日本文化の思想からすれば、もっとも先進的であっておかしくない。

 人を道具として扱い、儲けのための単なる材料としてしかとらえられない価値観から脱却して、新しい人類の展望を導きだす原動力になりうるのではないかと思う。

 日本人がどのように日本文化を育て、発展させ、世界に貢献していくのか、単なる伝統の継承だけではなく、そこをジャンプ台にして、あらたな境地を獲得しなければならない。

 科学技術の進歩と、人間としての知恵が生かされ、世界人類のために貢献できるように日本文化が育っていくようでありたい。