日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
湯の丸・花高原の花達 : “猩々袴”&“岩鏡”&“筆竜胆”
先週から、「湯の丸高原」の花散策に行って、見かけた花を紹介しています 出かけて一週間経ってますから、花達の様子も変わってきているかもしれませんので、少々慌てています
そんな事で、今日は写真だけでもと思い、まとめて3種類紹介します
まずは“ショウジョウバカマ(猩々袴)”です
ユリ科ショウジョウバカマ属の多年草で、北海道から九州までの、やや湿った場所に生えます
生育の垂直分布は広く、人里近くの田んぼの畦道から高山帯の高層湿原まで生えているそうですが、私は亜高山の山の中でしか見た事がありません
湯の丸では、色の違った二種類(?)の“ショウジョウバカマ”を見かけました (下画像 )
下の画像は、“イワカガミ(岩鏡)”です
イワウメ科イワカガミ属の多年草で、高山帯から亜高山帯に分布し、草地や岩場に群生しています “イワカガミ”の名は岩場に生えることと、光沢のある葉を鏡に見立ていることに由来しているそうです
花期は春から夏で、10~15cmほどの花茎を伸ばし、4~6輪くらいの花をややうつ向き気味につけます 花色は鮮やかな淡紅色で、花弁は5つに分かれ、先端はひだの様に細かく裂けています
下の画像は、“フデリンドウ” です
“フデリンドウ(筆竜胆)”は、リンドウ科リンドウ属の越年草で、亜高山帯以下の草地や明るい林に生える小指の高さほどの“リンドウ”です 普通の“リンドウ”は根性葉がありますが、“フデリンドウ”は無いので識別の目安になるようです
花期は4~5月で、青紫色の花を、茎の上部に1~数個、上向きにつけます 花は日を受けて開き、曇天、雨天時は、筆先の形をした蕾状態に閉じています 花冠は筒状で長さ2cm程度、先は5裂なのですが、副裂片があるので沢山裂けているように見えます
「湯の丸高原」で見たこれらの花はみんなとても小さな花達で、足許を注意しないと踏みつけてしまいます 写真 撮りも、周りの花を踏まないよう結構気を使いました この次来る時も又見れるといいな
「麦秋」と呼ぶ季節です
5月初めから始めた早朝ウォーキングも何とか続いています
始めた頃の田んぼ道ウォーク風景は、麦がまだ青々していましたが、気づくと周りの麦畑はすっかり枯れ色になり始めています
道端で咲く野草たちもすっかり花が終わり、大分表情を変えてきました
6月6日は「芒種(ぼうしゅ)」といって、「芒(のぎ)」のある穀物を稼種する季節になった事を意味するそうですから、いつの間にか季節が巡っているのですね
尚「 芒(のぎ)」とは、稲穂などの穀に付いている刺状のもののことです
今の時期を象徴する言葉で、「麦秋」という言葉があります・・・読み方は「ばくしゅう」・「むぎあき」とも読みます
「麦秋」とは夏の季語で、初夏の麦の刈入時を指しているそうです 「秋〈あき〉」という言葉には、百穀成熟の意味があり、気象的にも空気が乾いて気持のよい陽気という意味で秋と共通性が多いことからそう呼ばれるようです
向って右は新幹線高架です ・ 正面の建物はJA脱穀場です
向って左奥の山並みは榛名山系です ・ 早朝でもあり、かなりの距離ですが良く見えます
「麦秋」というと、秋のイメージですが、俳句では麦の穂が黄色く色付く時期、即ち夏の風物ともいえる黄金色に染まった麦畑をいうのですから、この言葉はちょっと文学性を感じます
こんな句を見つけました
麦秋や子を負ながらいはし売 (小林一茶) ・・・好物の鰯かじって麦を見る
野の道や童蛇打つ麦の秋 (正岡子規) ・・・おおこわ!蛇が出てくる季節かな
麦の秋十勝平野の黄絨毯 (作者不明) ・・・麦の秋上州でも見事なり
麦の秋絵文字のやうな飛行機雲 (作者不明) ・・・飛行雲梅雨明けに見えるかな
真つ直な道の暮れゆく麦の秋 (作者不明) ・・・キラキラと早朝に見る麦の秋
右のは私の感想です
湯の丸高原の花達 ;“オオカメノキ” → 別名 “ムシカリ”
先日 湯の丸・「花高原」のツツジ平を歩いていて、真っ白い花の咲く一際目立つ樹がありました
その隣の方に“ヤマサクラ”が花開いておりましたが、その白さは桜よりも眼だっていました
近づいてパチリ!!し、名前を調べた所、どうも“オオカメノキ(=別名:ムシカリ)”らしいと分りました
“オオカメノキ”は、スイカズラ科 ガマズミ属で、亜高山帯にかけて生育する高さ2~5mの落葉小高木です
葉は対生に生え、6~20cmくらいになり、形はちょっとハート型亀の甲羅に似ています これから“オオカメノキ”の名前がついたのでしょうか!? 葉の表面脈上に毛がありますが、他の部分は無毛で、葉が大きくなると虫によく食われているものが多いので、“ムシカリ(=虫狩)”の別名があります
見かけた“オオカメノキ”はまだ若葉が出たばかり・・・、虫達もまだ気がついていないのか虫食いの痕は見られませんでした
向って左の緑は、“カラマツ”の若葉です 中央奥の白い幹は、“白樺”です
右手前が“オオカメノキ” 右奥・茶赤色の葉をした樹は“ヤマサクラ”です
まだ朝早い時間でしたから、カラマツ林から郭公(かっこう)の声がし、“レンゲツツジ”の群落からは「ウグイス」の鳴き声が聴こえてきました
“オオカメノキ”の花は枝先から散房花序を出し、花の中心部は小さな両性花をつけています 周りは直径3~4くらいの白く大きな装飾花が取り巻いています
“アジサイ”の花に似ていますが、“ヤブデマリ”の花 がそっくりです 見分ける方法は、“オオカメノキ”の装飾花はほぼ同じ形に5深裂するけれど、“ヤブデマリ” の花冠は不ぞろいに5深裂し、一つ小さい花びらがあります 装飾花は実のならない不稔花で、その中心は申し訳程度の痕跡的な雄しべがあります
中心の両性花は稔性のある正常花で、花径6~8mmくらい、花弁は5つに分かれ、短い雄しべが5本あり、中心部に雌しべがあります
“オオカメノキ(別名:ムシカリ)”の花言葉は、 「 以心伝心 」 です
「以心伝心」とは、「黙っていても通じる私の心」の意味ですが、「花高原」に咲く“オオカメノキ”は以心伝心・早春の山を感じさせてくれました・・・ちょっとこじつけぽいかな
「湯の丸高原」で見かけた花達:“ミネズオウ”&“ミツバオウレン”
先日、湯の丸・「花高原」 に行った折、沢山の早春花を見てきました
幾つかデジカメ で撮ってきましたので、見てください 今日は2種類(= “ミネズオウ”&“ミツバオウレン”)を紹介します
“ミネズオウ(峰蘇芳)”は高山帯の岩礫地に群生するツツジ科の常緑小低木で、「ツツジ平」のあっちこっちの岩陰でビッシリ咲いていました ミネズオウ属として分類されていますが、本種1種のみだけの高山植物です
“ミネズオウ”の茎は細く地面を這うように広がり、よく分枝して、葉を付けた枝が斜上します 木高は10~15cmになります 革質の葉は対生し、狭長楕円形(=長さ6~10mm、幅2~3mm)をしています 葉の縁は裏面にまくれ、裏面には毛が細かに生えています
花期は山の高さで変わりますが、標高1800~2000mの湯の丸・「花高原」では、6~7月が時期のようです
“ミネズオウ”は、枝先に2~5個の小さい花が散形状につき、花冠は白~紅色を帯び5裂しています 花形は花径4~5mmほどで、ちょっと金平糖のような花を咲かせます 北海道産の“ミネズオウ”は花色が濃く紅紫色のものが多いそうで、場所によっては印象がずいぶんちがうと言われているようです
花後に先端のとがった卵球形の実が生り赤く熟くすそうですが、食べられるかどうか・・・?
“ミネズオウ”の花言葉は、 「 伝統と格式 」 です
湯の丸の「花高原」は牛が放牧されていますが、出かけたこの時期は草もまだ少ないせいか、まだ牛たちの姿は見えませんでした 牛達の踏み後が無く、更には牛たちは“レンゲツツジ”は食べない(=毒でもあると分っているのかな!?)らしく、“ツツジ”の木陰周りは新しく出た山野草が多くみられます
“ミツバオウレン”が、丁度今が盛りの様にここかしこで咲いていました
“ミツバオウレン(三葉黄蓮)”はキンポウゲ科の常緑多年草で、根茎は細長く、横に這って繁殖します 根出葉は3出複葉で、やや厚い小葉は倒卵形をして光沢があり、基部の葉柄はほとんど無く、縁にはちょっとトゲトゲした重鋸歯があります
花期は6~8月で、緑色した花茎をすっと伸ばし、茎先に1個の花を上向きにつけています
花丈は5~10cmくらいになり、周囲の枯れ草の中から立ち上がって咲く様子は目立っていました
花の径は約1cm位で、白い花弁状のガク片は長楕円形をして、5枚あります 花弁はガク片より小さくよく見ないと分からない程で、花の真ん中に黄色く蜜腺化してあります 雄しべが沢山はねるようにあり、雌しべも数本見えます
まるで早春を喜ぶ可愛い花火です
“ミツバオウレン”の花言葉は、「 栄誉 」 です
“シラン(紫蘭)”なのに、白花がありました→“白花紫蘭”といいます
ちょっと日が経っちゃいました 先月末頃でしたか、群馬・佐波郡玉村にある北部公園に行った時、公園の裾の用水路付近で白い“シラン”が咲いているのを見かけました
“ シラン”は日本、台湾、中国などに分布するランの仲間で、漢字では「紫色の花を咲かせる蘭」と言うことで「紫蘭」とかきます
しかし見かけた“シラン”は、“シラン(紫蘭)”なのに、白花で、こんなに群生しているのは初めて見ました
“シラン”の純然たる野生種は、準絶滅危惧種に指定されています 本来性質は丈夫で、日当りがよく、適度に湿り気のある場所に植えておくと年々増えて茂っていきますので、準とはいえ絶滅危惧種とは意外です
白花の“シラン”は“シロバナシラン(=別名:白蘭)”と呼ばれ、“シラン”の1品種ですから、群生しやすいのかもしれません
“白花シラン”と“シラン”の分布域は重なっており、生育域はやや湿った岩の上や、林の中に生えています
“白花シラン”の草丈は30~70cm ・ 葉は大形の披針形で、茎の下部に4枚から6枚が互い違い(=互生)に生えており、基部は茎を抱く形をしています
開花時期は4月から6月で、花は茎先に数輪ずつ幾分下向きにしとやか風情で咲いています
花被片は6枚です 外側に外花被片(ガク片)が3枚、内側に内花被片(花びら)が3枚、これらが互い違いにつきます
下側にある花びらは他の5枚と形が違い、「唇弁」と呼ばれています
「唇弁」の先は浅く3つに裂け、そのうちの真ん中の裂片には内側に襞(ひだ)があります
見かけた“白花紫蘭”の花自体は少し傷みはじめているものが混じっていましたが、まだまだ見頃でした
“シラン(紫蘭)”の花言葉は、
「 あなたを忘れない 」、 「 変わらぬ愛 」、 「 美しい姿 」、 「 楽しい語らい 」 です
“シラン”と“白花シラン”の花言葉に、区別はなさそうですが、花色によって違う花言葉がつけられている花も多くありますので、夫々別の花言葉があってもいいようにも思えます・・・
敢えて、上の花言葉から、“白花シラン”の花言葉を選んでみました
“白花シラン”の咲いている様子から、「 楽しい語らい 」 、「 変わらぬ愛 」 です
隣の花茎の咲いている花に、花顔を向けて語りかけているように、次々と咲く花の姿にこの言葉はぴったりの様に思います
野辺の花・“コマツヨイグサ”・・・今盛りになってます
毎日毎日頑張って歩いています
こういうと、えらく大変な事をしているようですが、単なるウォーキングだから、何てこと無いのですが、とにかく続いている事に自分を誉めて何とか更に続くよう自分自身を後押しです
毎早朝5時過ぎ、畑中の道を歩くと、あぜ道で今一番咲いているのは、“コマツヨイグサ”です
“コマツヨイグサ”はアカバナ科マツヨイグサ属の多年草で、北米原産の帰化植物です
草丈は30~40cmくらいで茎は這うようになっている事が多いようです
花は畦の土手を覆うようにびっしりさいていました
開花時期は5~10月頃と永く、次々に咲きます
葉腋から1つづつ、淡く黄色の4弁花を、明るくなった午後~夕方近くに開き、翌日の朝には萎んでいきます 萎んだ花は赤みを帯びています
花の直径は約3cm前後と小振りで、“マツヨイグサ”の仲間では最も小さいので、“コマツヨイグサ”の名前の由来になったと思われます
葉は互い違いに生える互生で、葉身と茎をつなぐ部分の葉柄はありません
長さ3~7cmくらいある細長い葉の縁は、不規則なギザギザや切れ込みがあり、特に下部の葉は羽状に裂けていることが多いように見えました
一枚一枚の花弁は幅の広いハート型をして、半分ほどがお互いに重なり合っています
雄しべは8本あり、先端の「葯」はT字状についています
雌しべの柱頭は4つに分かれ、花びらが上向きに平たく咲くので、可憐ながら意外に賑やかな感じがします
“コマツヨイグサ(小待宵草)”の花言葉は実に変わっています
花言葉は、 「 移ろいやすさ 」、 「 物を言わぬ恋 」、 「 浴後の美人 」 です
特に、「浴後の美人」とは、どんなイメージなんでしょう
ちょっと、 薀蓄(うんちく)です
“マツヨイグサ”と“月見草”は、同じだそうです
但し“マツヨイグサ”の花は黄色系で、“月見草”の花は白色系をよんでいるようです
尚、“宵待ち草”の呼び名がよく知られていますが、この名は、大正浪漫を代表する画家・詩人である「竹下夢二」によって創られた詩歌のタイトルで、植物学的には“マツヨイグサ(待宵草)”が正しいのだそうです
仲良く咲く “スイカズラ”の花 (=“忍冬”の花)
早朝ウォーキング はまだ続いていますよ
ウォーキングコースにある鉄路のちっちゃなトンネルの縁のフェンスでは、“スイカズラ”の花 が咲いていました
辺りの緑が大分増えてきた中で、真っ白な踊るように咲く“スイカズラ”の花姿は、とても目立ちました
“スイカズラ”はスイカズラ科の常緑蔓性木本で、山野に自生し本格的な春になると、とても特徴ある花が咲きます
特徴とは、・・・幾つかあります まずは花色の変化ですが、別名を“金銀花”という呼び名があるように、つぼみは薄く紅色を帯びて、開花して直ぐは白色、やがて黄色になり、最後の散り際には紫色を薄く帯びてきます
花形も独特で、スイカズラ属の他種の花冠の先端は、普通単に5つに分かれていますが、“スイカズラ”の花は5つに分かれているものの、4つは上側に、1つは下側にぐっと反り返っています 花筒の中には蜜があり、吸うととても甘く感じます・・・蜜の量は虫たちにとって、蜜の泉とも思えるくらい多量です
そして葉腋から芳香のある花が2個づつ、まるで寄り添うように咲きます
2個仲良く並んだ“スイカズラ”の花 を、アップしてみました
緑の柱頭をした雌しべを囲むように、雄しべが5本舞う手のように伸びています
“スイカズラ”は、6月3日の誕生花でした
“スイカズラ”の花言葉は、 「 愛の絆 」、 「 献身的な愛 」、 「 友愛 」 です
群馬・嬬恋の「浅間高原シャクナゲ園」・・・花は終わってました(*_*;
昨日に続いて・・・ 「湯の丸高原」の“レンゲツツジ”の大群落は残念ながらまだこれから・・・ それではと、「花高原」の早春の山野草花を楽しんでから、R94を鹿沢高原方面にハンドルを切って「浅間高原シャクナゲ園」を目指しました
鹿沢温泉を過ぎて、鳥居峠から~長野原方面に向うR144にぶつかる手前の広域農道(=パノラマラインの名称あり)に右折、そのまま走ると、手作りの案内看板がいたるところに見られます
この辺りは浅間山の麓、三ツ尾根山麓の広大なキャベツ畑が拡がっています 一体何処に「シャクナゲ園」があるかと思う程の広さですから、この看板がないとたどり着けないようなところに「シャクナゲ園」はあります (→実は10年以上前に来た事あるのですが、すっかり道は忘れていました)
「浅間高原シャクナゲ園」は、浅間山の火山岩大地に嬬恋村民のボランティアによる造園作業で完成した、言わば村民公園で、今では15万本の“シャクナゲ(石楠花)”大群落になっているそうです
訪ねたこの日は曇っていましたので、見晴らしは残念ながらあまり良くなかったのですが、本来であれば落葉松林の向うの山裾奥には浅間山が見れる筈です
手前は熊笹に混じって、“石楠花”が沢山はえていました 探し求めていった“石楠花”の花は、実は丁度終わりをになっていました
『ピンク色のアズマシャクナゲなど、15万株もの大群落 ・ 見頃は、5月中旬~6月上旬です!!』と昼の食事に入ったラーメン屋さんの広告に書いてあったのですがねぇ~
考えてみたら、昨年、群馬・「赤城自然園」でみた“石楠花” は5月中旬ですから、いくら冷涼地の「嬬恋」でもやはり来園するのが遅かったのですね
群落の中で、少し咲きのこっていた“石楠花”の花をパチリ! しましたので、見てください
今回は残念写真ばかりなので、実は以前来た時の写真を探しましたので、見てください
2001年訪問時撮影の「石楠花園」です
現在はこの頃よりも、本数は増えていると思えますから、来年きてみようかな !!
“湯の丸高原”(=「花高原」)に、行ってきました
昨日お休みしちゃいましたが、それは思い立って “湯の丸高原” に行って見たくなった為でした
“湯の丸高原”を訪ねたのは、何年振りになるでしょう
“湯の丸高原”は「湯の丸山」の東側、浅間連峰の西側に位置する長野・東御市と群馬・嬬恋村にまたがる、標高1,800~2,000mの高原地帯です 湯ノ丸高原一帯の気候は、爽やかな亜高山帯で、別名「花高原」と呼ばれしたしまれているそうです
特に「花高原」の名をほしいままにしている「ツツジ平」のレンゲツツジ大群落は、国の天然記念物にも指定されています
見たいなと思ったら矢も盾もたまらず、台風3号が近づいてきている為、雨霧を幾分気にしながらでしたが、早朝車 を走らせました
上信越道・東部湯の丸ICを下り、湯の丸・地蔵峠に向って約20分・・・、百体もの道祖神のあるつづら折りの道を上がった“湯の丸高原”PC到着です
いやぁ~びっくり!!・・・ なんとPCはがらぁ~んとしています 馬鹿ですねぇ~・・・来たい、見たいと思ってすっ飛んできちゃいましたが、まだどうやら山開きは済んだばかりで、「花高原」は早春の態で「ツボミ高原」です
でも考えようで、湯の丸の早春を独り占めとばかりに、「ツツジ平」めがけて上ってきました
中腹から振り返っての風景です (向って左:「桟敷山」、 右手奥;「西篭の登山」(?))
向っての中央にスキーゲレンデが見えます
訪ねた「花高原」のレンゲツツジの群落は、残念ながらツボミはまだ硬く、開花はまだ大分咲きのようです
後で知ったのですが、今年はどうやら初夏6月下旬頃に湯ノ丸山の山肌を鮮やかな朱色の絨毯のように染め上げると説明されていました
まだ“熊笹”が沢山生え残っている「ツツジ平」の中をガサゴソ歩いてきました
鶯の鳴き声がここかしこに聴かれ、吹き出したばかりのいろんな若芽がとっても新鮮でした
白樺の樹の横で、“ネコヤナギ”の花が咲き出していたので、パチリしてきました
あざやかな赤め色をした“たらの芽”です 鋭いとげが野生“タラ”のたくましさを象徴してるように見えました
鉄路の花:“スイバ”それとも“ギシギシ”の花
鉄路の乗り尻には、様々な雑草が生えています
“スカンポ”と思しき雑草が、草丈1.5mくらいになって生き良いよく生えていました
でもこの“スカンポ”は私が知っている“スカンポ”とは若干違っているように見えます “スイバ”なのか“ギシギシ”なのかどうも見分けがつきませんが、どうも調べた結果は“ギシギシ”のようです
“ギシギシ”は 漢字で書くと「羊蹄」と書くとか・・・これで、“ギシギシ”と読むなんて、とても読めません “ギシギシ”とはなんとも変わった名前ですが、この名は、「穂を擦ると「ギシギシ」と音がする」と言う事からつけられたそうです
“ギシギシ”は草丈1mを越すくらいにもなる大型の多年草で、春から秋まで花を咲かせます ヨーロッパ原産の帰化植物で、今はすっかり日本中雑草化しているようです
成長力の強い雑草で、深く地中に根を伸ばし、根性葉が大きく叢生し冬もこの状態で越すくらい丈夫です 根生葉は長い柄をつけ細長く、基部はハート形をして茎に回り込むようについています
“ギシギシ”の花は、5~6月頃から分枝した茎の節から花序を出し、段状に沢山の柄のある淡緑色の小花を輪生するようにつけます 葉状苞が混ざっています
今まであまり花は観察したことがなかったので、よく分かりませんが、花には花被が6枚あり、花後内側の3枚が大きくなり、翼となって果実を包むようになるそうです
写真を今度もっとよく撮ってきたいと思います
山菜レシピです
“ギシギシ”は、“スイバ”、“イタドリ”のように、シュウ酸を含むので酸味がします このため若葉などは生では食べられません
熱を加えるか、茹でて水にさらして、アク抜きをしてから調理をすれば、 おひたし、酢味噌あえ、汁の実、煮物、油いためなどにして食べることができるそうです
鉄路に咲いた“アザミ”そっくりの花 ・・・“キツネアザミ”といいます
早朝ウォーキングを頑張って続けています いままで当たり前の様にしている人には、何そんなに自慢げに云うの!!と思われるでしょうね
根気がなくなってきたなと思うようになってきたこの頃、意外に続けられるなと気持ちをかきたてています
この気持ちを後押ししてくれるのは、ウォーキングしている時足許に咲く野の花達です
5時すぎいつも出会う上り列車が、レールを軋ませ走っていきます
昨夜少し降ったのかなと思えるぐらいの露が草について、陽が差し始めた中で時折輝いています
鉄路の横で、“アザミ”に似た花が一杯咲いていました
この“アザミ”そっくりさんは、“キツネアザミ”といい、アザミと同じキク科ですが、アザミ属ではなく、キツネアザミ属の一属一種の花なんだそうです
“キツネアザミ”は日本各地、中国、インドなどの温帯に広く分布しており、古代に日本への農耕の渡来と共に伝わった「史前帰化植物」だと考えられています
農耕放棄地や農地の周辺などに生育している越年性の1年草で、4月の終わり頃6月中頃まで薄紫色の頭花を多数咲かせます
草丈は荒地等不栄養地のにも見られるので大分差がありますが、通常70~80cmくらいに花茎がのびます 花茎頂端にこぼれ弾けるように、花が咲く様子はなかなか可愛い感じです
“アザミ”の葉はやや厚めで、トゲがありますが、“キツネアザミ”の葉は柔らかくてトゲはありません 葉裏には白毛が細かに密生しています
このため“キツネアザミ”はすっきりした姿から見た目もほっそりと女性的な感じで、“アザミ”の荒々しい感じとは大分違って見えます
こんな様子からキツネにだまされたようだと言うので、“キツネアザミ”の名がついたといわれています
地方によっては猟師に追われた狐が“アザミ”に化けようとして、慌てた為に、棘(トゲ)を付けるのを忘れたと言う伝承もあるそうです
“キツネアザミ”の花言葉は、「 嘘は嫌い 」 です
“アザミ”にそっくりだけど、“アザミ”でないところからこんな言葉がうまれたようです
“アザミ”より姿は優しいけど、自己主張が強いしっかりしたアザミなんですね
群馬・安中にある「安中武家長屋」&「郡奉行の役宅」を見てきました
日本史の中で戦国時代というのは、15世紀末から16世紀末にかけて各地で戦乱が頻発した時代区分を指しています 乱世により全国各地は戦国大名が出現し覇を競っていましたが、この当時の群馬は上野の国と称し、地理的な境界は豪族の力関係で明確なものではなさそうです
先日所用で、群馬・安中に行きました 群馬・安中の地 は武田信玄、上杉謙信、北条氏家といった戦国大名の最前線にあたり、生き抜く為に苦労した地でもあります
1559(永禄2)年、武田信玄の西上野進出の前面に立たされる事になった安中忠政によって安中城が造られました 安中城は碓氷に侵攻した信玄により落城し、以後廃城同然になったようですが、1596(慶長19)年井伊直勝が城を再築して、その後は陣屋造りで城主の入れ替えはあったが、明治まで続いたが、現在は城の遺構が残るのみのようです
そんな中で、江戸時代末期に建てられたと推定される「旧安中藩武家長屋」が、安中市指定重要文化財として保全され、往時の武家生活を偲ばせてくれています
安中市お屋敷通りと称せられる道路沿いに車を止め、長屋を見学してきました
安中城内には家臣の屋敷が建ち並んでいたようですが、その一部は長屋造りであったようです
「旧安中藩武家長屋」は、安中城西門のすぐ東にあった寄棟、茅葺、桁行き26間、梁間3間の規模の1つ建物の中に4世帯が居住する所謂四軒長屋つくりです
裏に廻ってみると・・・
この長屋は家臣の中でも比較的家禄が低い者が利用していたと思われ、内部は土間と3つの座敷から構成されていて、玄関周りや床の間などは簡易格式に見えました 現在見られる長屋の前庭は庭園風に整備されていますが、当時は藩士といえども生活は楽ではなかったようで、この前庭には菜園などが作られていたそうです
「安中武家長屋」と道路を挟んだところに、「安中藩の郡奉行の役宅」があります
安中藩の郡奉行の役宅は、木造平屋建て、寄棟、茅葺になっていて、県内では珍しい曲がり屋形式です
素朴で重厚な地方武家屋敷の姿をとどめており、一見の価値ありでした
“ユウマダラエダシャク”という長い名前の「蛾」を見つけました
早朝ウォーキングをしていると、あまり気づかなかった自然の色んなものが見られます
先日、どこぞのお宅の“マサキ”の木の生垣に、白色地に、灰褐色~褐色の斑紋がある「蛾」が、沢山留まっているのを見つけました
初め見つけたときは、デジカメは持っていなかったので撮ることができずにいたのですが、念のためその翌日同じコースを歩いたら、同じように留まっていました・・・『はい!! ぱちり!!』です
名前を調べた所、“ユウマダラエダシャク”という長い名前の“シャクガ”だと知りました
“シャクガ”というのは、通常“シャクトリムシ”と呼んでいる“イモムシ”の成虫です
“シャクトリムシ”は移動するとき、全身を使って長さを測っているように見えることから付けられた名前で何となくユーモラスな動きです
動かない時は体を空中や枝などの上にまっすぐ伸ばして、枝の一部のように見せかけわかりにくい姿勢をとっています・・・「擬態」というのかな?
“シャクトリムシ”は葉や花を食害するので、発生した植物は育たなくなる為、幼虫時に捕殺されます
成虫は花の蜜を吸いますが、年3~4回産卵発生するので、害虫駆除の対象になっているようです
“マサキ”の葉で、お休みの“ユウマダラエダシャク”
“ユウマダラエダシャク”はチョウ目シャクガ科の昆虫です 日中は羽根を開いて暗い葉の上で休み、夕方に活動するそうですから、ウォーキング時に見た“ユウマダラエダシャク”は睡眠中だったのですかね
“ユウマダラエダシャク”の活動期は春(5~7月)と秋(9~10月)で、全長(前翅長)20~30mmくらいです 幼虫(“シャクトリムシ”)時の餌は、ニシキギ科の“マサキ”や“コマユミ”、“ツルマユミ”の葉だそうですから見分けやすいですね
葉に食べられた後が残っていますが、ここで育った“ユウマダラエダシャク”なんですかね
「蛾」はなんとなく好きではありませんが、よく見るとなかなか可愛い感じがしました
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