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群馬・安中にある「安中武家長屋」&「郡奉行の役宅」を見てきました

日本史の中で戦国時代というのは、15世紀末から16世紀末にかけて各地で戦乱が頻発した時代区分を指しています                                                                                            乱世により全国各地は戦国大名が出現し覇を競っていましたが、この当時の群馬は上野の国と称し、地理的な境界は豪族の力関係で明確なものではなさそうです

先日所用で、群馬・安中に行きました                                                                      群馬・安中の地 は武田信玄、上杉謙信、北条氏家といった戦国大名の最前線にあたり、生き抜く為に苦労した地でもあります

1559(永禄2)年、武田信玄の西上野進出の前面に立たされる事になった安中忠政によって安中城が造られました                                                                   安中城は碓氷に侵攻した信玄により落城し、以後廃城同然になったようですが、1596(慶長19)年井伊直勝が城を再築して、その後は陣屋造りで城主の入れ替えはあったが、明治まで続いたが、現在は城の遺構が残るのみのようです

そんな中で、江戸時代末期に建てられたと推定される「旧安中藩武家長屋」が、安中市指定重要文化財として保全され、往時の武家生活を偲ばせてくれています

安中市お屋敷通りと称せられる道路沿いに車を止め、長屋を見学してきました

安中城内には家臣の屋敷が建ち並んでいたようですが、その一部は長屋造りであったようです

「旧安中藩武家長屋」は、安中城西門のすぐ東にあった寄棟、茅葺、桁行き26間、梁間3間の規模の1つ建物の中に4世帯が居住する所謂四軒長屋つくりです

裏に廻ってみると・・・                                                                                

 この長屋は家臣の中でも比較的家禄が低い者が利用していたと思われ、内部は土間と3つの座敷から構成されていて、玄関周りや床の間などは簡易格式に見えました                                                      現在見られる長屋の前庭は庭園風に整備されていますが、当時は藩士といえども生活は楽ではなかったようで、この前庭には菜園などが作られていたそうです

「安中武家長屋」と道路を挟んだところに、「安中藩の郡奉行の役宅」があります  

安中藩の郡奉行の役宅は、木造平屋建て、寄棟、茅葺になっていて、県内では珍しい曲がり屋形式です

素朴で重厚な地方武家屋敷の姿をとどめており、一見の価値ありでした

 

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