ダンポポの種

備忘録です

『京阪時刻表2007』

2007年01月31日 23時00分46秒 | 本・雑誌
去る1月27日に京阪電車の運行ダイヤが一部修正されました。

私は毎日利用するわけではないですが、近鉄京都線から乗り継いで昼間の丹波橋~三条間を特急で移動することがたまにあります。この区間では、運行ダイヤの変更点は特にないようですね。

でも、新しい「京阪時刻表」が発売されていたので、買ってしまいました。
本能でしょうか。(ほんのうって…)
また買っちゃった、っていうやつです。

『京阪時刻表2007』 (京阪エージェンシー発行、400円)です。

京阪電車に乗るのに、いちいち「時刻表」を繰る必要はないと思いますが、京阪ってきちんと改正号を発行してくれる鉄道会社だと思います。
これを印刷製本するのにもお金かかっているはずだし、誰かが買わないと…。
放っておいたら、やがて「時刻表」が発行されなくなります。
それは寂しいことだと思うもので…。

だから、こういうのは笑顔でパッと買いたいものですね。



『父・宮脇俊三への旅』

2007年01月30日 23時50分04秒 | 本・雑誌
昨年暮れに出版された、
『父・宮脇俊三への旅』 (宮脇灯子著、グラフ社発行、1200円)
を、きょう買いました。

旅行作家として知られた故・宮脇俊三氏に、ふたりの娘さんがいらっしゃることは、『時刻表2万キロ』の最初の章で早々と述べられているので、私も知っていましたが、その娘さん(長女)が「父・宮脇俊三」について書きまとめた、今話題の一作です。
思い出エッセイ、ということですが、すいすいと読める分かりやすい文章です。
あわてずに読んでみようかと思います。

あとひと月ほどで2月26日。
故・宮脇俊三氏のご命日が、まためぐってきます。



これもまた余暇

2007年01月29日 18時02分29秒 | それゆけスペース
きょうは、業務が全く無い日だったので(ずっと前からそれが分かっていれば、余暇の過ごし方もいろいろあるのでしょうが)、軽自動車購入に向けての実車見学に出かけてきました。

くどいですが、三菱のミニカです。私は、セダン型の実物をまだ見たことがありません。
京都の販売店には、どこを探してもミニカの展示車は無いらしいので。
一応、有力候補として、すでにミニカの商談もスタートさせているのですが、やはり実物を見ないで最終決定するのは抵抗があります。通信販売じゃないのだし。
もちろん、頼めば取り寄せてくれるのだろうけれど、なんか店側も面倒くさそうだし、余計な手間を取らせて〝値引き〟に差し支えるのもいやなので、自分で見てくることにしました。

インターネットで調べると、大阪の門真の店にミニカが置いてあることが判明したので、はっきり言って、きょう現地まで行ってきました。

JRで住道駅まで行き(電車で行ったんかい!)、そこから近鉄バスの萱島ゆきに乗って、三菱店の最寄り停留所で下車。
そこで、めでたくセダン型ミニカを初めて見ました。
軽自動車だから車内が狭いのは承知の上なのですが、どのぐらい狭いかを、やはり見ておきたかったのです。
先日京都の店で見たのは業務用のバン型でしたから、あまり参考にならなかったもので。
きょうは後部座席やラゲッジスペースの広さを実際に確認できたので良かったです。
いいんじゃないでしょうか。

帰り道は、お店から京阪萱島駅まで歩きました。さきほどの近鉄バスは1時間に1本ぐらいしか走っていなかったので。
萱島駅まで徒歩40分、天気も良かったので、いい運動になりました。
そこから京阪電車で八幡市駅まで行って、さらに京阪バスで新田辺まで戻ってきました。
画像は京阪八幡市駅前で撮影したものです。

ミニカも見られたし、ウォーキングもしたし、きょうはちょっとリフレッシュした気分です。



阪急6300系

2007年01月28日 21時52分07秒 | 備忘録



阪急京都線の6300系車両は、西宮で小学生時代を過ごした私が、その当時一番乗ってみたいと思っていた車両である。

阪急のほかの車両とは一線を画す外観もさることながら、何と言っても、車内の転換クロスシートこそが、当時の私にとって強い憧れだった。同じ阪急電車なのに、西宮を走る今津線や神戸線はロングシート車ばかりだったのが、私にはつまらなかった。

休日に家族と大阪へ出かけた際の帰り道、神戸線の特急電車の車内(ロングシート車)から、梅田を同時発車した京都線特急6300系を幾度となく見送った。
夕日を浴びながら新淀川橋梁を渡ってゆく6300系は、キラキラと輝いているように、美しく見えた。

何がなんでも6300系に乗ろうとするならば、梅田→十三間だけ京都線特急(6300系)に乗り、十三で神戸線に乗り換えて西宮へ帰る-、という方法もあったが、親は一笑に付すのみでこれは実現しなかった。

◆               ◆               ◆

念願が叶って6300系への初乗車を果たしたのは、小学5年生の秋(11月23日)のことだった。

その日は、母に連れられて四条大宮の親戚宅を訪ねることになり、日帰りだけど、西宮~京都を電車で往復するチャンスが到来した。
行き先は四条大宮なので、西宮からであれば阪急電車で往復するのが最善だろう。もとより私もそれを望んだ。けれど、当日はほかにも立ち寄るべき場所があったので、往路は大阪から京阪電車(急行)で京都へ向かうルートをたどった。「とにかく6300系に乗りたくて仕方がない」という私からすると、なんだか片道分は損をしたような気分ではあった。

親戚宅を訪ねて、用件も済んで、京都から西宮へ戻る「復路」の段。
いよいよ、6300系に乗りこむときを迎える-。

日帰りだと言いながら、親戚宅ではゆっくりと晩御飯までよばれてしまった。
すっかり長居をしてしまい、阪急大宮駅まで見送ってもらったときには、確か、夜10時近くになっていたような気がする。
今日中に帰り着けるか?という心配まではしなかったけれど、時間も時間だし、急いで西宮へ帰らなければならぬ状況にあることは私も察していた。
けれど、大宮駅に着いて、ホームへの階段を下りると、時はまさに、特急電車が発車した直後であった。
すぐさまホームの時刻表を確認してみると、夜間に入って運行本数も減っていくためか、次の特急が来るまではしばらく時間が空いていることも判明-。

しかし、なんとしても6300系特急に乗りたかった私は、きょうのチャンスを逃すまいと必死だった。
「早く帰ろうよ!」と言う母に無理に頼んで、その次にやってきた〝梅田まで先着〟の急行電車を見送って、あとの特急電車を待ったものである。

『十三、大阪梅田へも、この電車が先に到着いたしま~す』

と、車外スピーカーからのアナウンスが、念を押すようにホームに響き渡って、私の目の前で急行電車のドアは躊躇することなく閉まった。
乗るべき電車をわざわざ見送ってしまった…。子供心に、ちょっとした罪悪感を覚えたのも確かである。


そうした苦難を乗り越えて、次の特急電車(6300系)に乗ることができた。

初めての6300系。
大宮からなので、車内はすでに満席で、座れなかったけれど、それでも私は満足だった。
込み合う出入り口付近を避けて、通路の奥のほうまで進み、座席の背もたれに付いている握り手を掴んで、十三までずっと立っていた。
神戸線の特急とは違う、転換クロスシートの車内を見渡した。静かで、落ち着いた雰囲気だった。

夜なので、地上区間に出ても景色は見えなかったが、桂駅を通過して直線区間に入るとぐんぐんスピードが上がり、床下からのモーター音もどんどん高くなっていった。
そこだけは今でも印象に残っているが、それが美しい音色にさえ聞こえたのは、錯覚だっただろうか。

大宮からノンストップで走り続けて十三停車が近づくと、ざわざわと車内に動きが出始めて、私のそばの座席に腰掛けていた人も立った。
私も十三で神戸線に乗り換えるのだが、到着間際のこの局面で目の前に〝空席〟ができた現実を見過ごせなかった。
その空席をじっと見つめて…。どう考えても、座っておかねばならぬような気がした。

電車はすでに十三駅のホームにかかり、ブレーキの排気音を小刻みに鳴らしながら停止位置を合わせる段に入っていたが、私は、目の前の空席にひょいと腰掛けてみた。
下車のため、ドアに向かいかけていた母が驚いたように振り返って、

「あんた、降りるんやで!」と呼び止めた。

「分かってるよ!」
と言いながら私が立ち上がるまで1秒…、あっただろうか? 座ったとは言いがたい、一瞬の出来事だった。

座席にゆっくり腰掛ける楽しみは持ち越しとなったが、6300系への初乗車に十分満足した私は、一日の疲れも忘れ、足取り軽く十三駅のホームに降り立った。


(おわり)




バスに乗りました

2007年01月27日 23時03分05秒 | バ ス
きのう、久御山から京阪淀駅まで路線バスに乗る機会がありました。
京阪宇治バスの21系統(宇治車庫~京阪淀)です。
全区間を通して乗れば、府道15号(宇治淀線)をほぼ完走できる路線ですね。

私がきのう乗ったのは久御山役場から淀駅まで約10分の旅路でしたが、終点間近の淀新町付近からバスは旧道に入り、対向車との離合を器用にこなしながら進みました。こういう〝見せ場〟があるとは思っていなかったので、乗っていて面白かったです。
最後に交差点を左折して淀駅前に〝フィニッシュ〟となるのですが、その交差点なんて、「この大型バスがここを曲がるのか?!」という狭さでした。
カメラで記録しておきたい光景です。

 添付画像は、例によって数年前に撮影した古いものです。京阪電車の六地蔵駅前にて。
何を写したかったのかよく分からない、中途半端な構図です。
とりあえず「バス」関連の画像ということで…。



ちょっとだけ忙しい

2007年01月25日 22時55分46秒 | 日記・雑記
今週はちょっと忙しく過ごしています。
「頑張る週間」と名付けます。(きょう名付けるの?もう木曜…)
緊急業務が割り込んだことで、週の前半はさらに予定が詰まってしまいました。
うちでは、常にこういう事態を想定しておかないといけないのですが。
ひとまず今日で〝峠〟はこえたかなと思います。

頑張る週間のとどめに、明日は会合が2つ。
私がスーツで外出する数少ない機会です。

ああ、回転寿司行きたい…。(←元気の源かいな)



交通実験

2007年01月24日 23時54分13秒 | バ ス
きょうは、京都市内の今出川通で、LRT導入に向けた交通実験が行われたのですね。
「京都新聞」夕刊にも、そのことが写真入り記事で紹介されていました。

LRTはともかく、強制的に「バス専用車線」を作ってみた実験として興味深いです。
その代わり、一般車両はかなり渋滞したようですね。やっぱり。

1日だけの交通実験では分からないことも多い気がします。
思い切って1ヶ月とか、ある程度の期間この実験を続けて、実態の変化を観察したいものです。
モニター用のバスではなくて、通常営業の市バスを専用車線に流してみるとか。

今出川通をマイカーで移動される方々には「絶対ダメ!」と言われるかもしれませんが…。



なっとう食べよう

2007年01月21日 17時57分01秒 | 日記・雑記
きょうは早速、いつも行くスーパーの納豆コーナーも〝商品山積み〟状態でした。
なんだか、おもしろいですね。
今回の一件はそれとして、健康には良い食べ物なのだから、引き続きみんなでたべましょう。
すでに業者もいっぱい増産してしまったのではないかな。

きょうはスケジュールがあいていたので、軽自動車購入に向けて「第一回見積もり相談」に行こうかと思っていたのですが、〝緊急業務〟の一報が入ったので急遽中止しました。
がんばって業務してきます。



阪神国道駅

2007年01月20日 14時05分22秒 | 備忘録



 私は、小学3年生から6年生までの4年間を、兵庫県西宮市で過ごした。

 西宮市は、大阪と神戸のほぼ中間に位置する町で、「阪神甲子園球場」の所在地としても知られている。実際、社宅の4階にあった私の家からは、南の方向に甲子園球場のナイター照明機を遠望することができた。夜、家族がタイガース戦のテレビ中継に見入っている傍らで、そっとベランダ越しに外を眺めたとき、遠く夜空に浮かび上がるように輝いていたその鮮やかな光の印象は、今でも記憶にはっきりと残っている。

◇          ◇          ◇

 阪急神戸線の特急停車駅-西宮北口で今津線に乗り換えて、ひとつ南下した地点にある阪神国道駅が、私の家の最寄り駅だった。阪急電車の駅なのに〝阪神〟という言葉が堂々と付くので、しばしば話題にあげられる駅だ。
 西宮北口駅が平面交差だった当時、今津線は今津-宝塚間で直通運転をしていたので、阪神国道駅に止まる電車もすべて6両編成だった。810系や1010系といった、神戸線では使えなくなった古い車両が主に活躍していたが、当時最新鋭だった7000系が運用されることもあって、支線ながら、車両バリエーションは豊富だった。阪神国道から西宮北口までの一駅区間を乗るだけなのに、7000系がホームに滑り込んできた日には、私は身に余る光栄というか、もったいない気がした。
 このほか、家の近所には、国鉄東海道本線(現JR神戸線)や阪神電車の線路も通っていて、〝鉄道ネタ〟には事欠かない環境だった。私が西宮で生活したのは4年間だけだったけれど、鉄道ファンの基礎を固める上では申し分のない場所だったと思う。

 私は、同じように鉄道ファンだった、同級生のコニタン(ニックネーム)という子と、学校の放課後によく電車を眺めに行った。
 阪急電車の駅から近かった私の家とは異なり、コニタンの家は阪神電車の線路沿いにあった。従って、日頃からそれを目にする機会が多いためか、コニタン自身はどちらかと言うと阪神派のファンで、阪神の車両形式や運行ダイヤの仕組みに詳しかった。
 当時、阪神には「8000形」という新形式の車両が登場したばかりで、私たちは、それを目当てに幾度となく線路際へ足を運んだ。
 阪神本線の久寿川-今津間が校区内に含まれていたこともあって、ここがお約束の観測場所であった。私たちは、線路際の児童公園で遊びながら、目の前の線路を8000形が通り掛かるのを待った。この駅間は直線区間だったので、接近してくる電車をいち早く確認でき、また、通過した電車をしばらく見送ることもできるという点で都合が良かった。
 もっとも、お目当ての8000形は、新型車両ゆえに1編成だけしか存在していなかったので、そう簡単に巡りあえるものではなかった。うまい具合に「梅田ゆき特急」の8000形に遭遇できた日には、必ず私たちは、それが梅田から折り返してくるのを待った。
「今度は須磨浦公園ゆき特急かなぁ…」
などと、行き先を予想しあうのも楽しみだった。

 いつも阪神電車ばかり眺めていては、さすがに飽きるので、時には気分を変えて国鉄東海道本線を眺めに行くこともあった。甲子園口-西ノ宮間にある、阪急今津線が東海道線をまたぐ鉄橋の下が、これまたお約束の観測場所だった。
 私たちは、線路敷地との境界を示すフェンスに張り付くようにして、目の前の複々線を駆け抜ける電車を眺めた。117系・113系・103系と、それぞれの列車種別に応じて車両形式は決まっていたけれど、国鉄車両特有のモーター音はいつ聞いても新鮮だった。
 時に、快速電車の113系が連結部付近の床下から〝水〟を落としながら走ってくるのを見つけると、コニタンは「垂れ流しや!」と大声で叫び、その箇所を指先で追いながら私にも注意を促した。そして、目の前を列車が走り去ったあと、「いま、顔にかかったがな!」と冗談を言って、互いに大笑いしたものである。

◇          ◇          ◇

 当時にして、すでに都市化が進んでいた西宮だけれど、あれから25年近い時間が流れた現在、街はさらに変貌をとげている。その背景には、阪神大震災からの復興という要素も、もちろんある。
 コニタンとよく出かけた阪神本線の久寿川-今津間は、今では高架構造になっていて、あの頃のように線路際から電車を眺めることができなくなった。また、それと連動しているのか、阪急今津線の今津-阪神国道間もこれまた高架化が完了しており、現在、今津駅界隈では阪急電車も阪神電車も頭上を駆け抜けてゆく風景になっている。
 私が通った小学校は、現在も当時と同じ場所に建っているが、恐らく、今では校区内に踏切がひとつも無い-、ということになっているはずである。
 鉄道趣味に興味を抱く子供が減少しているとも言われるなか、線路際から電車を眺める楽しみが失われてゆくのは、なんだか残念な気がする。


(終わり)



↑最近の阪神今津駅(と言っても今から数年前)。写真奥に、阪急今津駅の建物も見えています。



ちょっと寄り道して

2007年01月19日 23時53分45秒 | それゆけスペース
きょうはマイカーで走行中、とある三菱店(自動車販売店)の前を通り過ぎるとき、展示車のなかに「ミニカ」を発見!…したような気がしたので、一旦通り過ぎてからまたUターンしてきて、今度は間違いなくミニカを確認!して、ちょっと立ち寄ってきました。

「ミニカを見せて欲しい」と声をかけて、案内してもらったのですが、
近づいて見ると、それは業務向けの「バン型」でした。
 
私は「セダン型」を見てみたいのですが…。

「ほかの店にはミニカの展示車が無かったし…」
と私が言うと、

「ミニカを置いている店は…、あまり無いでしょう」
みたいな返事でした。

なんというか、売る気が感じられない…と言ったらちょっと言いすぎですが、
いま、三菱のなかで「ミニカ」はどういう位置づけになっているのか、知りたくなりました。
今度聞いてみるか。



きのう

2007年01月18日 23時11分11秒 | 日記・雑記
昨日は神戸へ行っていました。1泊して今日帰ってきました。
震災犠牲者13回忌の追悼行事に参加してきました。

東遊園地のモニュメントの前では、大勢の人が手を合わせていました。

犠牲者の名前を刻んだプレートの前では、涙している人もいました。

ぎっしり並ぶプレートを見て、私は改めて犠牲者の多さを実感しましたが、そばでは、そのプレートを見て泣いている人がいるわけです。
私は、自分がなんとも場違いな空気を持ち込んでしまった気がしました。
こんな軽い気分でそこへ立ち入るべきではなかったか…。
もう、頭を下げることしかできなかったです。

あの日の、思いもよらぬ大地震で犠牲になった方々です。
13回忌を迎えてなお、ご遺族は涙なしではいられないのです。
到底納得のできない死が、そこにあったからだと思います。

『あの日を忘れない…? 忘れるわけがないだろっ!』と、お叱りを受けたような錯覚に陥りました。



もはや田舎ではない

2007年01月16日 21時57分23秒 | 鉄 道
2年前の夏…だったと思います、これを撮影したのは。
近鉄新田辺駅のすぐそばにマンションができたので、プラットホームと電車とを組み合わせて写してみたものです。
「都会的な風景」としての表現を狙ってみたのですが…、これじゃあダメですかね。無謀?
それは残念…。

私の日常生活圏である京田辺とか精華とかのことも、ちょこちょこと書いていけたら良いなと思っています。
ここで生まれたわけではないですが、20年ほど前からの風景なら私の記憶にも残っています。
ずいぶん人口が増えました。町の風景も変わってきました。
もはや田舎ではない-地域だと感じます。



なっとう

2007年01月15日 21時22分50秒 | 日記・雑記
いま、私がいつも行くスーパーでも、納豆がありません。
夕方にしか行かないので、もはや期待していないですが。
納豆があったらご飯一杯余計に食べてしまうから痩せないだろう?と思ってしまうのですが。(あっ、私だけか)

しばらくは納豆〝おあずけ〟になりそう。
回転寿司に行って納豆巻きでも食べておこうか。



それゆけ!軽自動車

2007年01月14日 20時43分21秒 | それゆけスペース
軽自動車の購入にむけて、今日は販売店へ見学に行ってきました。
ダイハツと三菱に行ってきました。
カタログももらってきたりしまして、まさに購入への第一歩という感じです。

ミラと、エッセと、ミニカを並べて考えています。
セダン型と呼ぶのか、この〝カタチ〟でいきたいと思います。

今日は、ミラとエッセは展示車を見学できました。

ミラは、評判通り室内が広いと感じました。頭上高というのも、あれだけあったら十分じゃないですか。ただ、リヤのラゲッジスペースは想像以上に狭く思えました。私の想像が広すぎたのですね。セダン型軽自動車では、どの車もあれぐらいでしょうか。

エッセは、座席が堅めですね。もっとも、私は長距離走行を主たる用途に考えていないので、この点はこだわりません。逆に、クセになる堅さかも…。シンプルすぎる内装に納得できるかどうかが焦点です。早い段階で候補から外れそうな気もするけれど、ダークホースということで。

一方、ミニカについては、今日訪ねた三菱店には展示車がありませんでした。
ならばと、周辺の系列店でミニカを置いている店舗はないか調べてもらったのですが、
「近隣の店にも展示車は無い」
ということが判明し、実物の見学はお預けに…。
 

しかし、どの店にも置いていない、というのも驚きですね。
それでも、ちょいちょいと売れているのでしょう?
ある意味、ミニカの貫禄なのかもしれません。


きょうは津波情報がでた

2007年01月13日 21時52分25秒 | 日記・雑記
きょうは、北海道から本州太平洋側にかけて広い地域で「津波」に関する警報・注意報が出ました。

ちょうど午後2時台に、関西地区のテレビでは、8チャンネルで〝大阪に津波が襲ってきたらどうなるか…〟という内容の番組が放映されました。
もし起これば関西にも大きな被害を及ぼすであろう「南海地震」を想定した、防災意識啓発のための番組でした。
期せずして、リアルタイムで津波情報が出ている中、放映されたのです。すごい偶然。

「この番組は7日に収録したものです」とか、
「番組の内容は南海地震を想定したものであり、現在発令中の津波注意報とは関係ありません」
みたいな、字幕を流しながら放映されました。
発令中の津波警報・注意報の箇所を示した〝日本地図〟も重ねて表示され、かなりにぎやかな画面になっていました。

しかし、その番組でも言っていましたが、
本当に津波がきたら、水の力は恐ろしいほど強力らしいです。
波の高さが30センチとか40センチぐらいでも、人間は足元をすくわれて流されてしまうようです。
インドネシアの大津波のときもそうでしたが、次から次へと波が押し寄せてきますから、足元をすくわれたら終わりですね。

津波に関する情報が出たら、甘く見ずに、速やかに海岸線から離れることがやはり大切なのだと思います。

きょうのテレビで気づいたのですが、
津波警報・注意報が発令されたとき画面にあらわれる〝日本地図〟は、スポンサーCMの時間もずうっと表示されたままなのですね。
それだけ緊急度・重要度が高い、ということを肝に銘じなければいけません。