ダンポポの種

備忘録です

2月29日は慌ただしく…

2012年02月29日 19時33分41秒 | 日記・雑記
京都南部、昨夜の遅くから雨が降りだしましたが、きょうの午前中にはほぼ止んで、そのあと天気は回復しました。
寒さはそれほど厳しいものではなく、比較的過ごしやすい2月29日でありました。
関東では雪なんですね。足元に十分お気を付けください。

◆            ◆            ◆

「また…!」と言ったらダメなのですが、他所の業務施設でご不幸があり、昨日と今日、お通夜と葬儀にお参りしてきました。
先月末と、10日ほど前と、そして今回と…。最近、続きすぎですわ。
きょうは、うるう年を実感する2月29日という一日でしたが、葬儀へのお参りで慌ただしく過ぎ去った感じです。

きょうの葬儀、大勢の皆さんがお参りされました。
雨上がりの空のもと、私も最後のお見送りをさせていただきました。合掌。



小さいやつで我慢

2012年02月27日 18時55分37秒 | 本・雑誌


『近鉄時刻表』を買うことに気を取られ、JRの時刻表(改正号)を買うのを忘れていました。
きょう、アルプラの書店に立ち寄ったのですが、いつも買っている大判のやつ、きれいに売り切れていました…

「売り切れとは…。さすが、改正号やな」
と、感心しつつ、ほかの書店を当たってみようかと思案しましたが、もう面倒くさいので、今回は小型版のやつを買いました。
コンパス時刻表っていうやつ。

このサイズで660円ですな。
私が中学生ぐらいの頃は、大判のやつが650円だった気がします。



KINTETSU RAILROAD TIMETABLE 2012年号

2012年02月26日 16時34分39秒 | 本・雑誌


『近鉄時刻表・2012年号』
発行:近畿日本鉄道
定価:1冊700円


きょう、新田辺駅の売店(改札ヨコ)で買ってきた1冊です。
今朝の時点で、近鉄のホームページには「時刻表」発売日に関する情報は出ていませんでしたが、ネット情報をいろいろ見ていると、
『どうやら、実際には、もう、近鉄時刻表の発売が開始されているみたいだな』
…っていう雰囲気が窺えたので、私は今日、〝ダメもと〟で新田辺駅を訪ねてみたのです。
新田辺の売店を訪ねて、そ~っと店内を覗いてみたら、何のことは無い、『近鉄時刻表』がいっぱい山積みされてましたわ…。
昨日ぐらいから発売されているのかな?
土曜~日曜のタイミングなので、ホームページの更新が間に合っていないのかもしれませんが、できれば、発売日の情報はホームページで知りたかったな。

3月20日ダイヤ変更による、新しい運行時刻が掲載されています。
近鉄全線の、全駅、全列車の時刻が掲載されています。
近鉄ユーザー必携の1冊やね(!?)
このたびのダイヤ変更では、従来よりも大幅に時刻が変わりますので(特に、K都線)、ぜひ手元に1冊置いておきたいものです。

なお、近鉄線各駅の発車時刻表(新ダイヤ。駅ホームに掲示される発車時刻表と同じもの)は、すでにホームページで公表されています。



よびこ会

2012年02月25日 10時57分05秒 | 日記・雑記


昨夜は、予備校時代の仲間と飲み会でした。

ブログ内呼称「よびこ会」です。

久しぶりの再会でしたが、楽しく飲めました。

京都で集まるので、北海道の山さんにはなかなか参加してもらえませんが…、またいつか、ぜひ来てね。
とりあえず、京都のメンバーはみんな変わりなく、元気にしています。

これからも、よろしく~。



岩手県交通(貸切)

2012年02月24日 17時07分00秒 | バ ス
東北旅行の際、現地でお世話になった貸切バス。


↑岩手県交通のバス。(ボランティアでお邪魔した大槌町内にて撮影)
 初日、いわて花巻空港で出迎えてもらい、最終日は、帰りの仙台空港まで送り届けてもらいました。
 東北滞在中の三日間、ずうっとこのバスで移動しました。



↑国際興業グループ…と、横文字で大書されている車体側面。
 自分の会社名(岩手県交通)よりも親方のグループ名を重視…っていうことか。
 この〝青色のしましま〟(ボーダー)デザインを見ると、私は、山梨交通を思い浮かべてしまいます。
 ふだん、岩手県交通の車両を京都で見かけることはまずありませんが、同じグループに属する山梨交通の車両(貸切)は京都へ姿を見せてくれることがあります。
 『そうそう、山梨交通もこんな〝しましま〟デザインだったな…』と、思い出した次第です。



↑車両後方のようす。
 このバス車両の名前(車名)が、よく分かりません…
 いろいろ調べてみたのですが、メーカーは日産ディーゼル(今はUDっていうのかな?)なのだろう…と思います。
 名前は付けられていないのかな? 乗用車で言う〝ウィッシュ〟や〝ミニカ〟みたいな名前は…。
 車体がずいぶん泥んこですが、道中、雪道を突っ走ったこともあり、どうしてもこんな姿になってしまいます。



↑花巻温泉の旅館前にて。
 帰宅後に調べてみると、この温泉旅館自体も、国際興業グループに入っているみたいやね。






無事帰宅

2012年02月23日 23時57分36秒 | 日記・雑記


昨日までの三日間(今月20日~22日の二泊三日)、業務上青年部会の仲間たちと東北地方(主に岩手県)へ行ってきました。
きのうの夜、無事に京都へ帰ってきました。

現地では、青年部会の活動としてボランティアに取り組んだほか、もちろん、東北の観光も楽しんできました。(平泉と松島へ行きました
宿泊は、二泊とも、花巻温泉の旅館でお世話になりました。

上の画像の〝つらら〟は、旅館の窓から撮ってみたもの。ホンマにでっかい〝つらら〟でした。



◎その他の画像


↑旅館の部屋で見た、天気予報のテレビ画面(NHK岩手版)です。
 ご当地では、こういう画面(地図)で天気予報が伝えられるんやね。



↑松島(宮城県)で食べた海鮮丼。たいへん美味でした。



↑復路、仙台空港で、飛行機に乗る前に食べた牛タンと枝豆とビール。おいしく頂きました。



↑貼る順番がめちゃくちゃですが、この画像は、往路に乗った「大阪(伊丹)→いわて花巻」の飛行機です。
 ちなみに、復路で乗った「仙台→大阪(伊丹)」の飛行機も、これと同じ型のやつでした。〝エンブラエル170〟っていう機種なんやね。
 パッと見で私にも分かるのですが、このスケールは、私が今までに乗った飛行機のなかでは、一番小さい機体です。
 『こんな小さい飛行機で大丈夫なのか…!?(ちゃんと花巻まで飛んで行けるのか?)』と、搭乗前は〝お約束〟の心配をしました(!)
 なにぶん、飛行機には乗り慣れていないもので…



ちょっと続きますな…

2012年02月19日 23時57分19秒 | 日記・雑記
相変わらず気温は低めで、きのう・きょうは、寒い土曜・日曜でした。

きのうの朝は、京都市内は雪景色だったようですね。
うちの近所では、クルマの屋根に薄っすら雪が〝まぶして〟あるような感じだけで、雪景色と呼ぶほどのものではありませんでした。
今年はうちの近所では、積雪(たとえ1センチであっても…)は、まだ一度も記録されていないです。
ひとことで「京都南部」と言っても、私が居る町と京都市内とでは気候が違うのだなぁと実感させられます。

◆            ◆            ◆

いつもお世話になっている他所の業務施設でご不幸があり、昨日と今日、お通夜と葬儀に私もお参りしてきました。
時期的あるいは気候的な〝何か〟があるのか…、分かりませんが、ここ最近、ちょっと続いていますね、こうしたご葬儀が…。
厳しい寒さのなかでしたが、関係の皆様とともに私も、最後のお見送りをさせていただきました。合掌。



終電

2012年02月16日 23時42分26秒 | 日記・雑記
今夜は、さる1月下旬に実施された業務上「歩く行事」(ブログ内呼称)の、反省会がありました。
私は、緊急業務が入ったので、本番は歩けなかったけれどね。

今夜は、反省会の話し合いと、そのあと懇親会がありました。
なう、近鉄の最終で帰宅中です。

ウ号、ヘッド運用

2012年02月15日 22時13分16秒 | 日記・雑記


きょうは、午前中は、業務外業務(某委員会<M>)に関連した活動で、地元の高齢者福祉施設へ〝傾聴〟(ボランティア)に行ってきました。
私にとっては初めての経験だったので、戸惑いながらのボラとなりました。あれで、ちゃんと耳を傾けたことになるんかな…
1時間半ほど、高齢者のみなさまとお喋りを楽しんできました。

同じ委員会のメンバーで、私の事情を知ってくれている方が、事前にこう言って、私を励ましてくれました。
「あなたは、仕事柄、日頃からご高齢の方と話をする機会も多いだろう? その経験があれば、(初の)傾聴ボラもそんなに難しくないと思うで…」って。

『いやいや~、ソレとコレとは、やっぱり違いますわ…』って、実際に傾聴ボラに取り組んでみて、思いました。
これからも、定期的にこういう機会があるみたいです。

            

傾聴ボラから帰ったあと、きょう午後は、京都ヘッドに出向いて書道教室でした。(←書道、私は教えていただく側です。念のため…)
一カ月に2回ぐらいしか開かれない教室ですが、家で自分ひとりで毛筆の練習なんて…絶対に出来ないので(確信)、努めてこの教室へ通うようにしています。
月2回だけの教室でも、ずうっと通い続けていると、結構、筆を手にしたときの姿勢とか心構えとか、変わってくる気がします。(←字がうまくなるとか、言わないのか…

通常、京都ヘッド行きには「ミ号」を充当しておりますが、きょうは車両運用の都合で「ウ号」代走。(車両運用って…、大袈裟な)
上の画像は、京都ヘッドで撮りました。(隣りは、ひでマーチ)



80円の乗車券

2012年02月14日 23時44分04秒 | 鉄 道
きのうに続き、きょうのブログも、私の手元にある〝古いきっぷ〟の話題です。


◎「80円区間ゆき」のきっぷ

以下、私が小学生時代(西宮に住んでいた頃)に手に入れた切符(普通乗車券)を、画像でご紹介します。
駅の自動券売機で発売された、ごくふつうの切符ばかりです。切符自体は珍しいことないと思います。
券面に記された運賃金額が、今となっては珍しいかと…。「昔の金額で出ています」やね。
切符の蒐集(収集)にはあまり熱心に取り組んでいない私ですが、これらの切符は、一応、スタンプ帳(切手帳)に挟んで仕舞い込んでおりました。
捨てることなく、こうして現在も手元に残っているのです。

当時は、関西でも私鉄各社(大手)の初乗り運賃が『おとな80円・こども40円』だった頃ですわ。

ちなみに現在、関西大手私鉄の初乗りは、こども運賃が80円っていう水準です(おとな150円です)。



↑阪急の切符は、日付に〝年〟の部分が入らないので、今となっては、これが昭和何年の切符なのか正確に分かりません。
 今でも、阪急の切符の印字はそうなのかなぁ?(最近はカード乗車券で乗り降りするので、切符を買わないから分からんよね…)
 この切符は、昭和57年か58年か59年か…? 今から約30年前の切符であることは確かです。
 磁気券の悲しい性で、30年の年月によって券面の文字が相当薄れて(色あせて)います。
 「下車前途無効」の文字も、なんだか懐かしい。
 高学年になって、〝ゲシャゼントムコウ〟と読めるようになっても、意味はいまいち分からなんだな…。



↑これも、阪急電車の80円区間ゆき切符。
 旧型の自動券売機で発売されたものだと思います。字体とか、券面のレイアウトに〝時代〟が感じられませんか(?)
 感心させられるのは、旧型の券売機で発売されたこのタイプの切符は、30年を経ても文字が薄れていないことです。
 〝蛍池〟の切符っていうのが、意外でしょう? 宝塚線の駅は、西宮に住んでいた私には縁が無さそうだし…。
 白状すると、この「蛍池→80円区間」の切符は、私が駅で拾ったものなのです(←またかっ! だから、拾うなって!) 
 西宮北口で拾ったんだったかな…。



↑京阪の80円区間ゆき切符。
 これは拾ったのじゃなくて、父からもらった一枚だったはず…。この時期、京阪電車を利用していたのは父だけなので。
 父は、仕事上、京橋~枚方市の定期券を持っていましたから、この80円切符は、恐らく、天満橋から乗った際に京橋までの一駅ぶんを支払った証だろうと思われます。
 〝天満橋〟って、最初から分かっているから読めるんだけど、よく見たら、印字がつぶれて真っ黒けやね。
 80円区間という金額もさることながら、切符そのものの〝柄〟というか〝紋様〟というか、それも懐かしいですね。



↑近鉄の切符。(これは西宮に住んでいた頃に買ったものではありません)
 100円区間ゆきですが、旧型の券売機で発売されたタイプということで、ここに一緒に貼っておきます。
 伏見駅だから…、私が高校時代に買ったものやね。この時期には、初乗りが100円になっていました。



↑阪急の90円入場券。(これも、西宮時代に買ったものではありません)
 どういう経緯でこの駅の入場券を買うことになったのか、覚えていないのですが、この切符もスタンプ帳に挟んでありました。
 入場券の金額っていうのは、たいてい、初乗り運賃と同額に設定されますね。


(たぶん、つづく)



350円の特急券

2012年02月13日 18時40分11秒 | 鉄 道
↓昨日貼った画像ですが、1986年当時の近鉄電車の特急料金表です。



私の手元に、当時の特急券が何枚か残っているので、きょうは、それを画像にして貼っておきますわ。(安直な企画)
乗車距離40kmまでの、350円券が何枚か残っていますねん。


↑昭和61年(1986年)6月10日に、新田辺駅の窓口で買った「西大寺→難波」の特急券。値段は350円。
 ちなみに、乗車予定日の6月15日は日曜日。
 『日曜日の午後、近鉄特急で大阪へ行ってみるか…』と自分なりに考えて買った特急券だったと思う。(当時の私は中学生)
 大阪へ行くことが目的ではなくて、近鉄特急に乗ることが目的だったというのは、言うまでもないですが…。
 結局、その後状況が変わり、6月15日は他の用事ができてしまって、近鉄特急に乗りに行くことはできなくなりました。
 この特急券は払い戻しをすることもなく、そのまま手元に残り…、今日に至ります。



↑昭和61年(1986年)12月6日、南大阪線「阿部野橋→橿原神宮前」の特急券。これも350円。
 この区間の乗車距離は、ギリギリで40km以内に収まります。(同様に、京都~近鉄奈良間もギリギリ40km以内です)
 この日は、学校の期末試験が終わった直後の〝休校日〟(←家庭学習日だったっけ?)で、とにかく、学校へは行かなくて良い日だったのです。(くどいが、当時私は中学生)
 『めでたく期末試験も終わったのだし、もう今さら、家庭学習とか要らんやろ…』って思ったりしましてな。(良い子は真似しないでね
 ハッ!と気が付いたときには、私はすでに南大阪線の車内だったわけや。もはや万事休…(はいはい
 乗り込んだ車両は16000系特急で、回転クロスシートながら、リクライニング装置が付いていない座席でした。旧式というか、原型というか…。



↑同じく昭和61年(1986年)12月6日の特急券。
 阿部野橋から橿原神宮前まで特急に乗ったあと、橿原神宮前から吉野までを急行電車(吉野線内は各駅に停車)で移動。
 あっ! いや…、もしかすると、準急電車だったかも知れん。(いずれにせよ、吉野線では各駅に停車)
 吉野からの折り返しは、再び特急を利用しました。そのときの「吉野→奈良」の特急券です。
 私としては、京都線に乗り継ぐ駅-大和西大寺までの特急券があれば事足りたのだけど、ちょっと〝いちびって〟、西大寺ではなく奈良までの特急券を売ってもらいました。
 これによって、3本の特急列車を〝ハシゴ〟する「乗り継ぎ特急券」の出来上がり~ 
 3本の特急の座席番号が列記された券面に、『珍しい特急券を手に入れたぞ!』みたいな喜びを感じました。(まだ中学生だったので…)(←何度も言うてすまんけど)
 この特急券だと、西大寺で橿原線の特急から降りるときにホームで「特急券を回収されずに済む」っていう点も、もちろん狙っておりました。(正直ダンポポ)



↑同じく昭和61年(1986年)12月6日の特急券。
 私が買ったものではなく、吉野から私が乗り込んだ車内にポンと落ちていた、誰かの使用済み特急券です。
 拾って、持って帰ってきた。(←拾うなーっ!)
 落ちていた…っていう表現は良くないか。床ではなくて、座席の上だったか、窓のかまち(窓枠)だったかに、置き去りにされていたのです。
 全然汚れていない〝美品〟の切符だったので、拾ってきました。(だから、拾うなよ!)(←中学生だったからね…)(←もうええっちゅうねん!)
 車内検札のハンコ(〝改〟のハンコ)がきれいに押されているのが印象的です。(現在の近鉄特急では、この方式の車内改札は行われていません)



↑1987年(昭和62年)3月13日の特急券。
 乗車券と特急券が一枚に集約された形式。(現在でも、窓口で特急券を買うと、乗車券の要or不要を訊かれます)
 この切符は、私が、叔父からもらった一枚です。
 京都に住んでいた叔父が奈良へ来る機会があって、その際、近鉄特急で奈良から京都へ帰ったのだそう。
 私が電車好きだということを知ってくれていて、この特急券を大事に〝キープ〟しておいてくれたようなのです。
 キープしてくれて有難いのですが、〝乗車券付き〟の特急券を手元に残すのは容易ではなかったはず…。
 その日、叔父はどうやって京都駅の改札を出たのだろう…という謎は残りますね。
 叔父は確か、『自動改札を通らず、係員がいる改札口で特急券を呈示してサッと通り抜けた』って言っていたかなぁ。
 呈示して通り抜け…って、ほんま、どさくさやな。(現在は、そういう改札の通り方は認められません)
 そうまでして叔父がキープしてくれた一枚。大事に保存しときますわ、この切符。



やっぱり、捨てずに持っています

2012年02月12日 23時50分27秒 | 本・雑誌
私が持っている『近鉄時刻表』のうちで、一番古いやつです。

1986年(昭和61年)の春夏号。
今から26年前-。もう、そんなに経過してしまったんやなぁ…
橋上駅舎化される前の新田辺駅にて、ホーム売店で買った一冊です。(当時の新田辺駅には、京都方面ゆきホームに売店がありました)
当時の私は中学生。国鉄の『時刻表』は知っていたけれど、近鉄でも『時刻表』が売られていることを初めて知り、小遣いで買いました。

◎参考…当時の新田辺駅(当ブログ2010年1月13日の記事です)



↑『近鉄時刻表』1986年春夏号、表紙。


↑大きさのイメージ。コロタン文庫と並べてみました。





↑巻頭部分はカラーページで、特急の運行系統図や、各種別の停車駅案内が盛り込まれています。
 画像が光ってしまって、見づらくてスミマセン。
 大阪線の〝高速「伊勢志摩号」〟っていう名前が、懐かしいですね。



↑〝高速・鳥羽(ゆき)〟と書かれている列車が、高速「伊勢志摩号」です。
 運転区間は上本町~鳥羽間で、停車駅は上本町、鶴橋、八木、東青山、伊勢市、宇治山田、五十鈴川、鳥羽。
 とにかく停車駅が少なくて、乗車券だけで乗れる列車としては〝破格〟の存在でした。
 一応、東青山で後続の鳥羽ゆき特急に先を譲る(特急の通過待ちをする)ことになっていたみたいやね。
 高速「伊勢志摩号」という列車が運行されていることは、当時の私も知っていたけれど、結局一度も乗る機会は無いままに終わってしまいました。



↑参考までに、京都線関連のページの一例です。
 京都線や橿原線については、急行停車駅しか記載されていません。
 また、基本的に、特急と急行の時刻しか載っていません。(なんちゅう割り切り方や…)
 全駅・全列車掲載で編集されている現在の『近鉄時刻表』から思うと、当時の誌面はめちゃめちゃ大雑把やね。
 これで定価500円(当時)は高いやろ、って。



↑営業案内のページ。運賃表。
 初乗りが大人90円だった頃やね。
 当時、私は興戸駅を利用していましたが、同駅から丹波橋まで230円、京都まで260円だったな…と、この運賃表を見てたら思い出しました。



↑特急料金表。
 その後の改定で、特急料金も値上がりしています。