阪急京都線の6300系車両は、西宮で小学生時代を過ごした私が、その当時一番乗ってみたいと思っていた車両である。
阪急のほかの車両とは一線を画す外観もさることながら、何と言っても、車内の転換クロスシートこそが、当時の私にとって強い憧れだった。同じ阪急電車なのに、西宮を走る今津線や神戸線はロングシート車ばかりだったのが、私にはつまらなかった。
休日に家族と大阪へ出かけた際の帰り道、神戸線の特急電車の車内(ロングシート車)から、梅田を同時発車した京都線特急6300系を幾度となく見送った。
夕日を浴びながら新淀川橋梁を渡ってゆく6300系は、キラキラと輝いているように、美しく見えた。
何がなんでも6300系に乗ろうとするならば、梅田→十三間だけ京都線特急(6300系)に乗り、十三で神戸線に乗り換えて西宮へ帰る-、という方法もあったが、親は一笑に付すのみでこれは実現しなかった。
◆ ◆ ◆
念願が叶って6300系への初乗車を果たしたのは、小学5年生の秋(11月23日)のことだった。
その日は、母に連れられて四条大宮の親戚宅を訪ねることになり、日帰りだけど、西宮~京都を電車で往復するチャンスが到来した。
行き先は四条大宮なので、西宮からであれば阪急電車で往復するのが最善だろう。もとより私もそれを望んだ。けれど、当日はほかにも立ち寄るべき場所があったので、往路は大阪から京阪電車(急行)で京都へ向かうルートをたどった。「とにかく6300系に乗りたくて仕方がない」という私からすると、なんだか片道分は損をしたような気分ではあった。
親戚宅を訪ねて、用件も済んで、京都から西宮へ戻る「復路」の段。
いよいよ、6300系に乗りこむときを迎える-。
日帰りだと言いながら、親戚宅ではゆっくりと晩御飯までよばれてしまった。
すっかり長居をしてしまい、阪急大宮駅まで見送ってもらったときには、確か、夜10時近くになっていたような気がする。
今日中に帰り着けるか?という心配まではしなかったけれど、時間も時間だし、急いで西宮へ帰らなければならぬ状況にあることは私も察していた。
けれど、大宮駅に着いて、ホームへの階段を下りると、時はまさに、特急電車が発車した直後であった。
すぐさまホームの時刻表を確認してみると、夜間に入って運行本数も減っていくためか、次の特急が来るまではしばらく時間が空いていることも判明-。
しかし、なんとしても6300系特急に乗りたかった私は、きょうのチャンスを逃すまいと必死だった。
「早く帰ろうよ!」と言う母に無理に頼んで、その次にやってきた〝梅田まで先着〟の急行電車を見送って、あとの特急電車を待ったものである。
『十三、大阪梅田へも、この電車が先に到着いたしま~す』
と、車外スピーカーからのアナウンスが、念を押すようにホームに響き渡って、私の目の前で急行電車のドアは躊躇することなく閉まった。
乗るべき電車をわざわざ見送ってしまった…。子供心に、ちょっとした罪悪感を覚えたのも確かである。
そうした苦難を乗り越えて、次の特急電車(6300系)に乗ることができた。
初めての6300系。
大宮からなので、車内はすでに満席で、座れなかったけれど、それでも私は満足だった。
込み合う出入り口付近を避けて、通路の奥のほうまで進み、座席の背もたれに付いている握り手を掴んで、十三までずっと立っていた。
神戸線の特急とは違う、転換クロスシートの車内を見渡した。静かで、落ち着いた雰囲気だった。
夜なので、地上区間に出ても景色は見えなかったが、桂駅を通過して直線区間に入るとぐんぐんスピードが上がり、床下からのモーター音もどんどん高くなっていった。
そこだけは今でも印象に残っているが、それが美しい音色にさえ聞こえたのは、錯覚だっただろうか。
大宮からノンストップで走り続けて十三停車が近づくと、ざわざわと車内に動きが出始めて、私のそばの座席に腰掛けていた人も立った。
私も十三で神戸線に乗り換えるのだが、到着間際のこの局面で目の前に〝空席〟ができた現実を見過ごせなかった。
その空席をじっと見つめて…。どう考えても、座っておかねばならぬような気がした。
電車はすでに十三駅のホームにかかり、ブレーキの排気音を小刻みに鳴らしながら停止位置を合わせる段に入っていたが、私は、目の前の空席にひょいと腰掛けてみた。
下車のため、ドアに向かいかけていた母が驚いたように振り返って、
「あんた、降りるんやで!」と呼び止めた。
「分かってるよ!」
と言いながら私が立ち上がるまで1秒…、あっただろうか? 座ったとは言いがたい、一瞬の出来事だった。
座席にゆっくり腰掛ける楽しみは持ち越しとなったが、6300系への初乗車に十分満足した私は、一日の疲れも忘れ、足取り軽く十三駅のホームに降り立った。
(おわり)