阪急西宮北口駅の平面交差が廃止されたのは、昭和59年(1984年)3月のことだった。
東西に走る神戸線のレールと、南北に走る今津線のレールが、西宮北口駅の構内で直角に平面交差していた様子は、別名を「ダイヤモンド・クロス」という洒落た愛称でも呼ばれ、阪急電車の名物風景のひとつだった。
すべての列車はここを最徐行で慎重に進み、車輪が平面交差を踏んだときの独特の通過音が、いつも駅構内に響いていた。
◇ ◇ ◇
当時、小学5年生だった私は、平面交差の最終日となった3月24日に、ひとりで西宮北口駅まで足を運んだ。
平面交差の様子を見納めしておこうという魂胆だった。
その日は生憎の天気だったけれど、しかし、西宮北口駅は異様な熱気に包まれて、普段とは全く様子が違っていた。
神戸線のホームにも今津線のホームにも、カメラを構えた人たちが見事に鈴なりになって、平面交差の最後の姿を記録しようと必死になっていた。なかには、電車が平面交差を通過するときの走行音を記録しようとテープ・レコーダーを持ち込んでいる人もいた。
何を隠そう、私も、父のカメラを借りて行き、ダイヤモンド・クロスを駆け抜けてゆく電車にレンズを向けた一人である。
今津線のホームで撮影をしていた最中に、私は、いま目の前に到着した電車から降りてきたばかりの、一般乗客の女子高生から不意に声を掛けられた。
どうして私に声が掛かったのかは分からないが、とにかく、声を掛けられた。
「キミを含めて、なぜ、これほど大勢の人が写真を撮っているのか? 何か、ここで催しでもあるのか?」
そういう意味のことを、女子高生は私に問うてきた。
年上の姉さんから質問されて、私は大いに緊張したし、気合いも入った。
「今日で平面交差が廃止されるから、記念撮影をしているのです」
「ヘイメン・コウサ…って、なに?」
「(私は平面交差を指差しながら)あそこの、神戸線と今津線とが交わっている部分のことです」
「ヘイメン・コウサが廃止されたら、どうなるの?」
「今津線の電車は、あそこ(平面交差)を通らなくなります」
「エッ! 今津線は走らなくなるの!」
「いや、電車は走ります」
「でも…!(姉さんは平面交差を指差しながら)あそこのレールはなくなるのでしょう?」
「はい」
「だったら、どこを走るの?」
「今津線は、今津方面と宝塚方面の2つに分かれて走ることになっていて…」
「ええっ! ふたつに分かれる? どこで分かれるの?」
「だから、この駅で2つに分かれて…」
姉さんとのやりとりを一字一句記憶しているわけではないけれど、なんだか、そんなふうな展開の会話になってしまった。最終的に、姉さんに納得してもらえるところまで話が続かなかったことは、覚えている。
もちろん、姉さんは意地悪で質問を繰り返したのではなかったし、私だって国語力をフル稼働させて説明を試みたのだけれど、結局、あまり伝わらなかったようだ。残念無念である。
去り際に、姉さんは独り言みたいに呟いた。
「これから、どうやって学校へ行ったらええんやろ…」
今津線が廃止されるなんて言っていないのに、と私は思ったけれど。
(終わり)
↑最近の西宮北口駅前です。最近といっても、今から3~4年前になりますか。
真ん中に見えている建物がもともとの駅正面でした。現在もこれを正面と呼んでいるのでしょうか。
今津線の線路をはさんでこの西側に、広い駅前広場が完成していますね。
↓撮影はしてみたものの、見事なまでにピンボケ・手ブレのオンパレード!