ダンポポの種

備忘録です

ノリマ

2016年06月29日 17時48分40秒 | 旅のあと
ノリマです。

久しぶりの、ノリマ報告です。
この5月と6月に乗り歩いたぶんの距離を集計しておきます。
それと、今春に「北海道新幹線」が開業したことによる、JR北海道の距離変動についても、まとめておきます。


JR北海道 (北海道新幹線の開業による、距離の変更)
従来、JR北海道の総営業キロは2457.7kmでしたが、今春「北海道新幹線」が開業したことで、キロ数に変更が生じました。

 【変更点】
   ・北海道新幹線(新函館北斗~新青森、148.8km)が新しく開業した。→148.8kmプラス。
   ・その一方、並行在来線の江差線(五稜郭~木古内、37.8km)が第三セクターに経営分離された。→37.8kmマイナス。
 以上より、2457.7km+148.8km-37.8km=2568.7km が、JR北海道の総営業キロです。

私は、2年前にJR北海道の全線乗車(100%)を達成しましたが、今回の新幹線開業によって〝完乗くずれ〟に~
またいつか、北海道新幹線を目指して乗りに出かけたいと思います。
北海道を訪ねるべき名目がひとつ加わったので、私は喜んでいます


JR東日本
5月下旬に東北地方を訪れた機会を利用して、未乗路線にも乗ってきました。
 【乗った線区】
   ・仙石線の、あおば通~仙台間  0.5km
   ・陸羽東線(全線)        94.1km
   ・陸羽西線(全線)        43.0km
   ・上越新幹線(新潟~越後湯沢) 134.7km


JR東海
6月8日に、名松線の未乗区間(家城~伊勢奥津間、17.7km)に乗ってきました。
これで、私は、JR東海エリアの路線に「全線乗車」したことになります。
めでたい


JR西日本
5月31日に、可部線の未乗区間(三滝~可部間、12.9km)に乗ってきました。
可部線は、来年にも、路線が延伸される見込みですが、そうなったら、また乗りに出かけますわ!
これで、JR西日本エリアの未乗区間は、北陸新幹線と和田岬線だけになりました。
北陸新幹線…、早いうちに乗ってしまいたいと思っています。



◎JR各社エリアごとの乗車済み距離や完乗率など。(本日現在の数値です)

JR北海道
 総営業キロ:2568.7km
  乗車済み距離:2419.9km
  未乗の距離:148.8km
  完乗率(達成率):94.21%(北海道新幹線のみ未乗)

JR東日本
 総営業キロ:7336.3km
  乗車済み距離:5189.5km
  未乗の距離:2146.8km
  完乗率(達成率):70.74%

JR東海
 総営業キロ:1970.8km
  乗車済み距離:1970.8km
  未乗の距離:0km
  完乗率(達成率):100%

JR西日本
 総営業キロ:4982.8km
  乗車済み距離:4811.5km
  未乗の距離:171.3km(和田岬線と、北陸新幹線に未乗)
  完乗率(達成率):96.56%

JR四国
 総営業キロ:855.2km
  乗車済み距離:855.2km
  未乗の距離:0km
  完乗率(達成率):100%

JR九州
 総営業キロ:2273.0km
  乗車済み距離:2273.0km
  未乗の距離:0km
  完乗率(達成率):100%



ヴォ号、デビュー1年

2016年06月28日 21時16分30秒 | クルマ



雨雲に覆われる日が多い、この頃です。
梅雨だから、しゃーないですね。

きょう6月28日は、ヴォ号「デビュー1周年」の日です。
今のところクルマに異常はなく、毎日元気に走ってくれています。
1年点検は、今月のはじめに済ませました。(既報)

ヴォ号、これからも頑張って走ってください





さあ、夏がくる

2016年06月27日 22時35分40秒 | 日記・雑記
夏の高校野球・京都大会 対戦組み合わせ、決まる

第98回、全国高校野球選手権、京都大会(京都予選)の対戦組み合わせが決まりました。
おととい6月25日に抽選会があったんやね。
さあ、今年も〝夏〟が、やってきますな~

今夏の京都大会は、昨夏よりも1校増 の、出場79校で〝甲子園行き〟が競われます。
79校という出場チーム数は、京都大会では過去最高なのだそう。
今年の春に新規開校した「京都市立 京都工学院高校」が初参戦するので、昨年比1校増、となったわけです。
もっとも、京都工学院が開校した背景には、伏見工業高と洛陽工業高の統合という事情があります。
なので、今後、在校生の進級・卒業にあわせて、伏見工と洛陽工の名が京都大会から消えていくことが予想されます。(もしそうなったら、出場校は減る)
まあ、それは来年以降に出てくる話、ということで。

◇          ◇          ◇

〝79校〟の出場にふさわしく(?)、京都大会の開幕日は、来る「7月9日」です
わかさスタジアム京都(=西京極)で開会式が催されて、そのあと、開幕戦を含めて3試合が同日に行われます。
その日の〝第二試合〟が、「立命館 vs 京教大付」という注目カードですわ
これに勝利したほうが、ベスト64に進出するっていう

 おおっ…、わが母校
今年もまた、強豪と当たってしまったんやね。
分かった。俺もすでに覚悟を決めているよ。

試合の当日、私も都合が許せば、ぜひ観戦に行きたいと思います



名松線 (家城~伊勢奥津)

2016年06月25日 22時22分20秒 | 旅のあと
平成28年6月8日(水)、名松線に乗ってきました。
そのときの画像を貼っておきます。

名松線は、全線のうち 家城~伊勢奥津間17.7kmが、長らく災害不通(台風被害による線路の不通)のため列車運休になっていました。
関係機関によって被災線路の復旧工事が行われ、被災から6年半を経て、今年春のダイヤ改正日から伊勢奥津までの全区間で運転再開となりました。
私は、復旧した家城~伊勢奥津間には もともと乗ったことがなかったので(=未乗区間)、今回、乗りに出かけてきました。

◎参考◎ 今から3年前に、不通区間を除く松阪~家城間にだけ、乗車済みです。
2013年1月16日の当ブログ記事






↑平成28年6月8日(水)、JR松阪駅にて。
 この日は、大和西大寺11時22分発の近鉄特急で出発し、大和八木で乗り換えて12時40分ごろ松阪着。そこでJRに乗り換えました。
 わし、名松線の松阪~家城間には以前に乗車済みですが、結局今回は、始発駅の松阪から〝乗り直す〟格好です~
 午後1本目の列車、松阪13時09分・伊勢奥津(いせおきつ)ゆきに乗りました。
 ステンレス・ボディのキハ11形。ワンマン、単行です。





↑3年前に名松線に乗ったときは1月(冬)でしたが、きょうは〝緑〟がまぶしい初夏の風景を見ながら走ります。



↑井関(いせぎ)にて。13時30分撮影。



↑家城(いえき)に到着します。13時46分着。
 前方の窓越しに、行き違う対向列車が見えています。



↑家城では13分間ほど停車しました。そういうダイヤ設定になっています。



↑家城にて。(これは、ホームの松阪寄りから撮影)
 伊勢奥津ゆき(左)と、松阪ゆき(右)です。 双方とも、しばらく停車したまま動きません 発車待ち。
 単線区間のワンマン運行だから、行き違い駅の家城では〝ゆとり〟が取ってあるのかな?
 運転士さんの休憩時間かも…? と思ったりもして。(休憩時間って…)(←そういう時間も大事やで)



↑家城での13分間停車。 ほかの乗客たちも、ホームに降りてウロウロしていました
 こんなふうにホームをウロウロするのは〝観光客〟!…ということで、間違いなし
 画像に写っている方々は、「名松線に乗ること」を目的にして乗っている人たちでした  もちろん、私も。



↑家城を13時59分を発車しました。(≒午後2時ちょうどやね)
 ここから終点の伊勢奥津までが、災害復旧なった区間です。そして私の未乗区間です。
 早速に鉄橋を渡って進んでいきます。この川は、雲出川(くもずがわ)。





↑どんどん山間へと踏み入っていきます。
 私は、名松線は「松阪から西へ西へと向かう線」という印象を強く持っていたのですが、地図を見ると、その路線ルートはぐぐぐっと湾曲しており、
 特に、家城から伊勢奥津へ至る区間については「南へ向かう(南北に走っている)」と言うほうが良さそう。



↑山々と、雲出川の流れ。
 車窓風景的には〝いい景色〟だと思うけれど、6年半前の台風では、この山河の表情が一変して甚大な被害が出たわけですね。





↑コンクリでがっちり固められた山肌が、車窓すれすれを過ぎていきました。
 長かった運休期間と、線路復旧に努めてこられた関係者皆様の思いがしのばれます。









↑伊勢八知(いせやち)。 車内から見ただけですが、駅舎も立派な雰囲気でした。
 かつての美杉村(一志郡美杉村)の中心がこの駅の周辺だったそう。現在も、津市役所の支所が当地に置かれています。

伊勢八知駅の近くには、美杉リゾートホテルがあります。私は行ったことがないけれど。
テレビ番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』の第何弾かで、この地域を通りぬけていく場面がありました。
ちょうど夜になってバス運行が終了したので、太川さん蛭子さんマドンナの一行は、美杉リゾートホテルにとびこみで宿泊していました。



↑伊勢八知を発車すると、たくさんの木材が持ち込まれた集積場が見えました。
 ここは、地元・美杉で切り出された木材を出荷するための木材市場だそう。杉とか桧だそうです。本当にたくさんの木材が見えました。
 宮脇俊三も、著書『終着駅へ行ってきます』の「伊勢奥津(名松線)」の章で、伊勢八知で見えたこの風景のことを書いています。







↑山あいを流れる川には、大きな岩がゴロゴロしています。
 自然な風景だと思いますが…、大雨でこれが増水すると、岩が押し流され、名松線の鉄橋に被害をもたらすとか…
 やはり、そういう心配は付いてまわります。



↑キハ11形は小型のディーゼルカーですが、エンジン出力は十分
 力強く、勾配を登っていきます







↑比津(ひつ)を出ると、次が終点の伊勢奥津。









↑「熱烈歓迎」の文字に迎えられて、終点の伊勢奥津に到着しました。 三重県津市美杉町奥津、という地名(住所)だそう。
 定刻14時33分着でした。松阪から所要1時間24分。



↑決して広くはないプラットホームが1面だけの終着駅です。
 ここも、駅としては無人駅なので、列車からホームに降りる際に 車内で運賃清算を済ませる仕組みでした。
 私は松阪の駅できっぷを買って乗ってきたので、それを運転士に手渡してから下車。



↑伊勢奥津。
 「おくつ」ではなく「おきつ」って読むのが独特やね。
 これだけ山あいまで列車に乗ってきたのに、三重県津市の〝市内〟だというのも、なんか驚き~
 津市って、市域がめっちゃ広いのですね。

プラットホームの雰囲気とかフェンスや舗装の色合いから、この駅が改修工事を受けてからまだそんなに日が経っていないことが窺えます。

宮脇俊三著『終着駅へ行ってきます』の「伊勢奥津(名松線)」の章では、伊勢奥津の駅について、次のように書かれています。
※昭和57年(1982年)6月に宮脇俊三が現地を訪ねたときの様子が描かれている。

構内は線路が三本に分かれ、ホームも片面と両面との二面がある。
あらたまって呼べば、1番線から3番線までとなるが、そのうち二本は錆びていた。
小さな木造の駅舎があり、改札口にカメラの山内さんと年配の駅員が立っていた。
改札口で乗越し運賃を払う。応対する駅員の感じのよいこと。
私たちは、松岡さんというその駅員と、しばらく話をした。
 

引用終わり。



↑行き止まりの、終着駅です。
 前方、フェンスの向こうに見えている構造物(一部)が、かつて蒸気機関車の時代に使われていた〝給水塔〟の跡、らしい。

◇          ◇          ◇

目の前に、レールの行き止まり。車止め。ここは、まさに終着駅です。
いま、伊勢奥津への到着をもって、名松線の全線乗車 成る!…であります。
そしてそれは、私にとって、JR東海エリアの路線に乗り尽くした(完乗率100%達成)という瞬間です。
めでたい

今後、JR東海の路線網に変化が生じるとすれば、いつ頃だろうかなぁ。 やっぱり、リニア新幹線が開通するときになるのかな(?)
それはそれで興味津々。 そのときが来るのを、楽しみに待ちたいと思います。



◎伊勢奥津駅


↑きれいな駅(建物)です。
 全体を駅舎と呼ぶのが正しいのか分かりませんが、建物は、津市の支所出張所や地域住民センターとして使われているようです。
 駅(ホーム)への出入り口は、右端の、のれんが掛かっているところ。



↑駅の出入り口に、「おかえりなさい名松線」の のれん。
 列車の運転再開をずうっと待っていた、地元の方々の思いが伝わってきます。
 




↑かつては1番線から3番線までの線路があったという駅構内の土地(敷地)を活用して、建てられたのですね。
 ここには写っていませんが、画面の左側にはさらに建物が並んでいて、そこは、津市の運営による 観光案内交流施設となっています。
 私も、ふらっと立ち入ってみました。
 立ち入っただけなんだけど()、職員さんがお茶を1杯いれてくださいました。ありがとう~
 名松線の復旧記念で商品化された(?)みたいな、伊勢奥津駅の名前がデザインされた缶バッジをひとつ買いました。リュックに付けておきまーす。





↑さっき乗ってきた列車が15時08分に松阪へ向けて折り返すので、私もそれに乗って帰ります。伊勢奥津滞在は35分間!
 名松線の旅なので、伊勢奥津から〝名張〟へバスで抜けられたら言うこと無しなんだけど、バスは無いみたいなので 残念。



↑15時08分、伊勢奥津を出発します。 
 乗客はそんなに多くありませんでした。そして、ほぼ全員、さっきの列車で伊勢奥津まで一緒に乗ってきた人たち。 帰り道も一緒ということで 

 さて、列車が発車しようとしたとき…、ホームに女性ふたりが姿を見せて、車内に居る乗客に向かって手を振り始めました。
 『ありがとう! また来てなぁ』の文字を添えて、笑顔でお見送りしてくれるという、サプライズな計らいでした。
 駅と同じ建物に入っている、津市の支所出張所の職員さんですね。
 1日に何回かある列車の発車時刻に、ホームへ出てきて〝お見送り〟しておられるわけやね。(いつも必ずお見送りしてくれるのか、私は知りません
 名松線の復旧を受けて、今後も列車運行を維持・存続していくことは、津市にとっても 大事な仕事なのだなぁ…と、お察ししました。
 こういう職員さんの頑張りを見るにつけて、JR東海も伊勢奥津に駅員をひとり置いたらどうか…って思う
 終着駅が無人駅って、寂しいわ

「…まあ、それはともかく。 この画像って、ふたりの〝お顔〟を隠さなくてもいいんじゃないか、という気もしたけど」
「非常に難しい、高度な判断が求められる場面やな」
「せっかく笑顔で見送ってくれたのなら、その笑顔を紹介しなきゃダメだろ…って、ふと、思ったものだから」
「一応、当ブログとして、いつも通りの画像対応ということで、お顔、隠しました
「なんか、残念やな
「笑顔のお見送りを受けたい方は、JRに乗って伊勢奥津へ、ぜひお出かけを
「あ…、そうか。 そういうまとめ方も アリかもね。現地を訪ねて見てください、と
「松阪~伊勢奥津、運賃は片道840円です
「帰り際に〝お見送り〟をしてくれるのだから、片道運賃だけじゃアカンやろ」
「おっ! 宣伝上手! ぜひ、往復きっぷを買い求めて、お出かけください」


(おわり)



プレミアムを、ありがとう

2016年06月22日 22時46分30秒 | 日記・雑記

↑きのう、月例会のときに、頂きました~。K氏、おおきにですー。
 みんなで食べようって言うてたのに、タイミングが無かった (そんなことないだろ



↑リッチ&クリーミー
 なお、きのうは、兄氏からも頂きました。そちらも、まろやかクリーミー系~
 わし、いつも、頂いてばっかりやね。ホンマにありがとうです。
 またこんど、お返しさせていただきます



↑いただいた、プレミアムうまい棒。
 たいへん濃厚な味わいで、ほんまに、うまいですわ。美味でした
 (なんだ、この皿…



月例会、おおきにー

2016年06月21日 23時57分40秒 | 本・雑誌
日。

きょうは、青年部会の月例会が〝ウチ〟を会場にして行われました。
出席のみなさま、遠いところをお越しいただき、ありがとうございました。
これに懲りず、また来てください。
もっとも、私の、青年部会での寿命が、そろそろ尽きかかっているけれども…


21日なので、いつもの雑誌は忘れずに買いました


「鉄道ジャーナル」2016年8月号。通巻598号。
定価:1,000円(税込み)
特集:機関車新旧交代



花、植えました

2016年06月20日 23時54分30秒 | 日記・雑記


きょうは、昼間、日差しがあったりして、まずまずのお天気でした。(雨の予報だったのでは、なかったか?)
昼間の蒸し暑さは、かないませんわ

このところ、当ブログの投稿記事が「旅のあと」カテゴリーに偏っておりまして、スミマセン
自分が旅の記憶を忘れないうちに画像を貼ってしまわねば…! と思い、せっせと投稿に励んでおります。
きのうの投稿で、広島編の画像はすべて貼り終えました。
このあと、もう1本記事がありますねん…。 6月8日に「名松線」へ行ってきたので、それの画像まとめ、また後日に投稿します


きょうは、花の画像です。


↑一昨日の土曜日に、植えました。



↑こちらは、勝手に生えている草です。
 ユリですか? ランですか? それとも何だろう? (わし、よう分からん
 うちの前庭に、毎年咲くのです。今の時期に。
 (どれが葉っぱなんだか…、草ぼうぼうで分かりづらい



↑私は一切〝世話〟をしていませんが、気が付くと、毎年ちゃんと咲いていますわ。大したもんや
 花の形からすると、「ゆり?」と私は思ってしまうのだけれど、でも、ゆりの花って、こんな付き方をするんだったっけな…



聖地にて(!?)

2016年06月19日 23時53分50秒 | 旅のあと
ダンポポ聖地、広電西広島駅で写してきた電車の画像です。





↑再掲画像。 2007年(平成19年)春に 西広島を訪れた際に撮影した一枚。
 JR西広島駅隣接の駐車場から、ひろでん会館を写しました。
 ひろでん会館の 建物のてっぺんには、〝ひろでん〟のマークが掲げられていました。

◇          ◇          ◇

以下の画像は、去る5月31日(火)に写してきたもの。


↑今回、写真を撮っていて〝すぐに〟気になったんだけど、建物てっぺんの ひろでんマークが無くなっていますねぇ なんか寂しい
 私は事情を全く知りませんが、もしかして、この建物はもう先が長くないのかな(?)



↑ひろでん会館の前から、電車が出ていきます。



↑5000形グリーンムーバーが、交差点の手前で発車待ち。
 超低床車両、5車体連接構造で、編成全体の長さ(全長)は約30.5mだそう。



↑交差点内で大きくカーブしながら広電西広島駅へ進入してくる、5000形グリーンムーバー。
 この形式は、広島駅~宮島口間を直通運転する「2号線」に充当されることが多いみたい。



↑前方の交差点信号を窺いながら、静々と近づいてきた3900形「ぐりーんらいなー」宮島口ゆき。市内線を走り終え、これから宮島線へ直通。
 3900形は、私が広島に住んでいた当時には、まだ走っていなかった形式です。
 あの当時は、市内線~宮島線を直通するのは〝ピンク色の連接車〟と決まっていましたなぁ。2000形とか、2500形の2両連接車。
 で…、ある年に、3000形という〝3両連接車〟がお目見えしたのです。そのときのことは覚えています。


※参考 広電3000形 (動画拝借いたします
 
3000形は、今でも市内線で活躍していますね。頑張るのぉ。
当時は、この電車が宮島線直通の花形車両でした。3両連接という編成長が〝長距離列車〟の貫禄のようでもありました。



↑もと京都市電の、1900形。



↑ひろでん会館のすぐ前の、線路際。
 子供時代の私が路面電車を眺めていた場所は、ここです。



↑その場所に立つと、こんなふうに電車が見えます。
 市内線へと発車していこうとする電車は、交差点の信号待ちのため、大抵この場所で一旦止まるんです。
 目の前でゆっくり電車を眺められて、発車していくところも見送ることができる…っていう、電車ウォッチングにもってこいの場所です。



↑市内線から走りこんでくる電車も、連接車だと迫力があってカッコ良く見えたものです。
 当時は、こういうシーンが、さきほど拝借動画で紹介した3000形編成でキマッていたわけです。



↑もと京都市電1900形(広電でも形式は1900形のまま)が、3号線運用で発車していきます。
 昭和53年頃に京都から広島へ移籍してきた車両形式です。私が広島に住んでいた当時に、この形式はすでに広電に来ていました。覚えています。
 私は京都市電には乗ったことがないけれど、広電に移籍したこの1900形には、子供時代に幾度も乗りました。
 〝もと京都市電〟と言うけれど、この車両の経歴としては、広島へ移籍してから走行した距離のほうが圧倒的に長いでしょうね。



↑出発していく1900形と入れ違いで、1000形「グリーンムーバーLEX(レックス)」が走り込んできました。
 古参と最新鋭の、すれ違いシーンです。車両デザインの違いが、凄まじいな  時代の変化を感じます。





↑新型電車の1000形「グリーンムーバーLEX」。 超低床車両、3車体連接構造。
 この形式は、5車体連接の5100形「グリーンムーバー・マックス」の設計をもとに造られたそう。〝短いグリーンムーバー〟です。
 見た目は〝3両連接〟のスタイルですが、さきほど紹介した3900形や3000形といった3両連接車とは構造が違います。






以上、広電西広島で写してきた画像でした。
また広島を訪れたときには、時間を作って立ち寄りたいと思います。大事な場所なので。聖地なので。

(広島編おわり)


彩 Happy Train SLバージョン




西広島の巻

2016年06月18日 22時54分10秒 | 旅のあと
5月31日(火)の画像の、続きです。

可部線の走破を終えた私は、可部から引き返す途中、三滝の駅で下車しました。
途中下車して、もう一度40年前の思い出を振り返りたかったというか…、なんか、そのまま広島駅まで戻ってしまうのは 物足りない気がしたからです。

三滝駅で電車を降りた私は、そこから西広島駅まで、太田川放水路沿いをてくてく歩いて移動しました。
先に記述したように、私は子供時代の8年間を広島で過ごしました。そのときに住んでいたのが、西広島、己斐の町でした。
なので、西広島界隈は、私にはとても懐かしく思える地域なのです。





↑可部から引き返してきた私は、三滝で下車。
 電車を降りてしばらくプラットホーム上に残留し、227系どうしの列車交換(行き違い)を眺めました。



↑可部ゆきが発車していきます。
 従来、広島地区のJR電車は、種別や行き先を 車両に表示せずに走る流儀でしたよねぇ。(可部線の電車は、表示して走っていたっけ?)
 私の印象ですが、『なんで、広島のJRは、行き先を表示しないで走るんだろう?』という疑問を、ずうっと抱いていました。
 227系の導入で、種別・行き先がきちんと表示されるようになりましたね  分かりやすくて、いいぞー



↑広島ゆきの電車も、発車していきました。



↑三滝駅。
 無人駅ですが、自動券売機と自動改札機(ICカード乗車券対応)が設置されています。
 学研都市線の無人駅と同じ装備やね  (可部線の全駅、ICカード乗車券に対応しています)



↑三滝駅の出入り口。 シンプルな造りの駅です。
 40年前、祖父に連れられて 私はここで電車を降りたんだなぁ。その場面は記憶に残っていないけれど…



↑三滝駅から横川方面へ向かう線路。
 線路は、左へカーブしながらトンネルに消えていきます。このトンネルは短いです。



↑三滝駅前から川沿いに出て、ここから西広島駅まで歩きました。
 すぐそこに、可部線の鉄橋が見えています。



↑踏切。 車道ぶんの幅だけしかない、昔ながらの踏切道やね。
 子供時代(広島時代)、父が運転するクルマで、家族で買い物に出かける際、この道をよく通りました。この踏切を渡ったことも覚えています。
 当時は、今よりは可部線の運行本数が少なかったかもしれないけれど、踏切が鳴って遮断機が下りている場面に遭遇することもありました。
 うすいグリーン色(うぐいす色)の旧型国電が通り過ぎるのを見ました。それも覚えています。
 昭和50年代の前半です。当時の可部線って、ホンマに古めかしい電車だったなぁ。
 今から思うと、父のクルマで出かけていた買い物先っていうのは、いづみ(イズミ)の祇園店だったと思う。現在の「ゆめタウン祇園」やね。 



↑可部線の踏切を渡ると、続いて、鉄橋が見えてきます …っていうか、すでに見えています。
 山陽新幹線の高架橋と 山陽本線の鉄橋です。
 ちょうど、山陽本線のトラスを、ディーゼルカーがとろとろと渡っているところでした。回送列車だったのかな(?)



↑歩いていく方向を望む。 山陽新幹線と山陽本線が横切っています。
 この道路、昔は、土手から下って(=河原へ下りて)、山陽本線の鉄橋を〝くぐり抜けて〟いたと思うのですが、現在は陸橋で〝またぐ〟方式に改められています。
 でも、こういう形態に改修されてから、もう久しいです。
 私も大人になってから、すでに幾度か西広島界隈を訪れているので、ここの道路形状が変わったことは存じておりました。



↑陸橋の歩道から。
 山陽本線をまたぎながら、山陽新幹線をくぐる…、という、絶妙な設計が求められたであろう、立体交差です。



↑陸橋の上から、もういっぺん、歩いていく方向を望む。
 子供時代、父のクルマに乗せてもらってこの辺りまでやってきて、河原で凧揚げをして遊んだことを覚えています。
 ここの河原は遊び場でした。(ダンポポ思い出の宝箱) (←何やねん、それ)
 画面の前方に見える〝斜め〟に横切っていく橋! すごいなぁ。 私が広島に住んでいた当時は、この橋、まだ無かったです。



↑これが〝斜め〟に横切っていく高架橋。



↑山陽本線の線路も高々とまたぎ、その向こうで山にぶつかって、そのままトンネルにつながっていくという、〝わが道を突っ走る〟構造です。
 これは「広島高速4号線」という都市高速だそう。この道路も、開通してからすでに久しいですね。
 トンネルで山の向こう側の沼田というところまで通じています。新しい街づくりが行われて、そのあたりを西風新都って言うんやね。



↑土手より一段低い、線路沿いの道を歩いていきます。 線路は、山陽本線です。



↑この場所、いいねぇ  立ち止まって、次の電車が通りがかるのを 待ちたくなります。
 それと、豆知識ですが、画面左手の丘の上に、幼い日の私が通った幼稚園が今もあります。



↑電車、来たっ!  岩国ゆき普通電車が駆け抜けました。6両編成…、だった気がする。



↑さらに歩いていくと、こんどは上り列車が走ってきました。 (さっきの場所でデジカメ持って待機しておけばよかった
 白市ゆき普通電車でした。



↑この、陸橋入り口が、私が通った幼稚園へ通じる道です。
 園の送迎バスに乗って、毎日ここを行き来しました。くどいですが、40年前の話です



◎西広島駅の風景


↑JR西広島駅へ着きました。
 まっすぐ駅前へは行かず、ちょっと違う角度から、西広島駅を写してみました。(そんなに、角度は違わないと思うけど これはこれで…)
 ゆめマート、見えていますね。昔はイズミ己斐店。
 わが家が広島で暮らしていた時期に、イズミ己斐店はオープンしました。私も覚えています。
 新しいスーパーマーケットだったわけですが、お店の出入り口が〝自動扉〟になっていたことが 当時の私には珍しくて、珍しくて… 
 面白がって何回も出入りを繰り返し、母に叱られたという記憶もありますなぁ。



↑西広島駅そば(広島寄り)の踏切です。
 現在は自動踏切ですが、ここも当時は踏切係の職員さんによって遮断機の昇降がおこなわれる、手動式の踏切でした。



↑いよいよ、西広島駅の前まで歩いてきました。



↑決して、道路は広くないっていう…、この雰囲気が懐かしいです。



↑JR西広島駅の跨線橋。 
 この雰囲気、昔のままですね



↑駅のまん前にやってきました。



↑JR西広島駅前には『ズッコケ三人組』の像があります。
 どうしてここに、この像があるのか? については、後ろの説明板に書かれていますので、みなさん、また現地を訪ねて読んでみてください。
 (こらっ! ちゃんと説明しなさいよ!)
 ウィキペディア情報によると、「この石像のモーちゃんの腹に触ると恋が叶うという噂がある。」のだそう。
 モーちゃんっていうのは、画像の真ん中のキャラクター。 

「触ってきたん?」
「いや…  こんなおっさんが、ひとりでブツブツ言いながら触ってたら、アブナイやろ」
「ぶつぶつ言わんでええやろが…



↑JR駅前にある、駐車場・駐輪場の出入り口。
 駅に隣接しており、駐車場や駐輪場にはもってこいの場所です。
 当時、ここは、貨物を積んだトラックが出入りする場所だったと思う。〝日通〟か何かの、運送関係の営業所の敷地だった気がします。



↑バスのりば。



↑私が広島に居たころは「国鉄西広島駅」だったわけですが、この駅舎のたたずまいは、今も当時と変わっていない気がします。
 だからこそ、この駅は、いつ見ても懐かしい気持ちになります。
 私は大人になってからも幾度かここを訪れていますが、その印象は毎度変わりません。



↑さらに懐かしいのは、あの建物です。 ひろでんのビル! (ひろでん会館)



↑ちょっと駅前から離れて、この位置から眺めるのが、やっぱり一番いい感じ
 大きなビルが、ひろでん会館。交差点の路上にレールが見えていますが、ここを通って路面電車が発着しています(広電西広島駅)。
 そして、画面の右奥、バスの向こうに、さっき眺めたJR西広島駅が見えています。
 ひろでん会館もJR西広島駅も、建物が昔のままの姿なので、この場所から見える風景は私が子供時代に見たそれと、今もほぼ変わりません。
 大人になった今でも、西広島を訪れてこの場所に立つだけで容易に懐かしい気持ちに戻れるのは、風景が変わっていないからでしょうね。

そして、目の前を広電(路面電車)のレールが通り抜けるこの場所は、私の「鉄道ファン人生」の原点 始発駅なのです
ひろでん会館のすぐそばの〝線路わき〟に立って、目の前を走り抜けていく路面電車を眺めるのが、子供時代の私の 楽しみでした。
この私にしては珍しく自分からすすんで()、路面電車を眺めていましたから、すでに当時から鉄道に対する興味は持っていたんやね~。

ここが、鉄道ファンになるキッカケの場所だったと言ってよく、私にとっては「聖地」です。ダンポポ聖地、認定。(なんだそりゃ…)



↑広島電鉄(ひろでん)の電車。



↑もと京都市電の電車も、ここで元気に活躍しています。


ひろでんの電車画像を さらに何枚か写してきましたので、また後日に紹介いたします。
きょうのブログはここまで。


(つづく)



大変そうやな~

2016年06月17日 23時32分40秒 | それゆけスペース


きょうの日経新聞夕刊より。

燃費数値不正の件で、そもそも事が発覚するキッカケとなった軽自動車4車種(ekワゴン・デイズなど)について-。
『三菱自動車は、一律1台につき10万円の賠償金を支払う方向で調整を始めた。』と書いてあります。

なお、当該4車種については、いま、国交省が独自に燃費の再測定をおこなっているそう。
その国交省の試験結果を踏まえて、三菱自動車は賠償額を正式決定するそうです。

仮に、1台当たり10万円ならば、この4車種だけで賠償総額は625億円に…
ほかの車種ラインアップでも不正が行われていたという話だから、もしかしたら、賠償の対象車種が増えるかもしれへんでしょう?
みつびし、大変やなぁ

ちなみに、うちのek号は、きょうも元気に走っています。



可部線 (三滝~可部) 〔28.5.31乗車〕

2016年06月16日 23時45分50秒 | 旅のあと
平成28年5月31日(火)。
日帰りで広島を訪ねて、可部線に乗ってきました。

以下、画像を貼っておきます。



↑5月31日の昼すぎ、広島駅へやって来ました  駅名標は、グリーン!?
 この日は早朝スタートではなく、京都10時27分発の「のぞみ15号」博多ゆきで出発して、広島へ12時08分に到着。
 一旦、広島駅改札口を出て、まずは腹ごしらえ。駅ビルASSE(アッセ)でお好み焼きを食べました。
 そして、新たに可部までのキップ(広島→可部320円)を買って、12時40分ごろ、可部ゆきが発車するホームへおりました。



↑JR広島駅の風景。 在来線ホームは高架ではなく、〝地べた〟にあります。
 今までにない目線ですが、見上げると、超高層ビル(マンション?)が複数建築中で、駅周辺の景観は大きく変化しつつあるようです。
 ホームに隣接している駅ビルの建物が、小さく見えるやん



↑広島駅ホームに忙しく出入りする列車たち。
 電車の世代交代が進み、115系や105系などに代わって新型227系がすでに多数派を占めているよう。
 山陽本線だけでなく、呉線直通の列車にも227系が充てられています。



↑可部線は、広島のふたつ先の横川(よこがわ)から可部までを結ぶ、14.0kmの線です。
 かつては、可部から先へさらに線路が続いていて、三段峡(さんだんきょう)までを結ぶ約60kmの線区でした。
 のちに可部~三段峡間は廃止となって消滅し、現在は、可部までの区間だけで電車運行が継続されています。

◇          ◇          ◇
 
私は、可部線の横川~三滝の一駅区間にだけ、昔に乗ったことがあります。
子供のころというか、幼いころです。幼稚園児だったころ。今から40年前ですわ。遠い昔だ!

そもそも、私は、幼少時代を広島市で過ごした者なのです。広島の頃の思い出話は、当ブログでもあまり書いていないけど。
当ブログ的には西宮時代(小学生時代)の思い出を綴った記事は幾つか投稿しておりますが、その前段に、広島での幼少時代があるのです

「じゃあ、あんたは広島で生まれたの?」
「いや、生まれたのは兵庫県。 高砂市っていうところ」
「あっ いつも お墓まいりに行ってるところやね。かつめしの一平さんに立ち寄るっていう…」
「さすが、相棒! 分かってるね
「高砂市で生まれてから、子供のころは、いろんな町で暮らしてきたわけやねぇ」
「高砂で約1年、広島で8年、西宮で4年、過ごしました。 これを合計すると、小学校卒業までの年数と一致するねん」
「広島の期間が、長かったんやな…」
「ただ、わしにとっては、小学2年生を終えるまでの8年間だったからな。 自身が幼すぎて、思い出の記憶が乏しいのが残念や…
「でも、その乏しい記憶のなかで、横川~三滝間に乗ったことは覚えていると…」
「そう、覚えてる。 ある日、祖父に連れられて外出(おでかけ)したときに、横川から三滝まで電車に乗った! 間違いない記憶です」

「じゃあ今回は、ホンマに、そのとき以来の40年ぶりに乗る可部線なんやね!」
「そうです! わしを連れて歩いてくれた祖父も、亡くなって久しい。 感慨深くもある、40年ぶりの可部線へ、いざ-

画像に戻ります。


↑広島12時48分発、可部ゆき普通電車。 227系の2両編成。
 私もこれに乗って、終点可部まで行きました。



↑広島を発車すると、次は新白島という新駅に止まって、それの次が、横川の駅です。
 昔は、広島の次が早速、横川だったものな。 街並みだけでなく、広島の鉄道風景も着実に変わっていきますね。
 横川の駅名標は、ノーマルなブルーやね。(なんで、広島駅のはグリーンなんやろ?)
 この駅から可部線がスタートします。



↑12時54分に横川を発車して、進行向きを北のほうへ変えながら、太田川放水路にかかる鉄橋を渡っていきます。
 次の三滝までのひと駅が、40年前に祖父と乗った思い出の区間です。



↑鉄橋自体はその後改修とかされているのかもしれないけれど、
 40年前、この鉄橋を渡る車窓から川面をじーっと眺めたことを、今でも覚えています。



↑鉄橋を渡り終えると さらにぐいっとカーブして、北向きに進路をとって三滝に着きました。横川から2分で到着。
 そして、ここで早くも対向列車と行き違いしました。(可部線は単線です)
 40年前の思い出に浸る旅路は、ここまで~
 この先、終点の可部までは未乗区間です。きょうは、ここからの区間を走破するために、広島へやって来ました



↑三滝を出ると、太田川(放水路)を見ながら、進みます。
 線路と道路が隣り同士でくっ付いて、並走します。道路を行くクルマとの、この距離感!



↑下祇園にて。


↑13時04分、古市橋(ふるいちばし)に着きました。
 駅の外側に立っている道路案内標識の、その支柱に、「安佐動物公園」(あさどうぶつこうえん)の方向を示す標識も付いていますね。
 安佐動物園、懐かしいなぁ 広島に住んでいたころ、幾度か行きました。
 幼稚園のときも小学校のときも、遠足で行った気がします。



↑古市橋では数分停車し、対向列車と行き違いしました。
 可部線の列車は、上り・下りとも、昼間は20分間隔で運転されています。
 すれ違う対向列車も、全部227系やね



↑大町13時08分着。
 カメラをむける方向(写す方向)を間違えた なんか、殺風景な一枚になってしまった。
 アストラムライン(広島高速交通)との乗換駅、大町です。
 前方の頭上を横切っている高架が、アストラムラインの線路というか通行路。



↑線路沿いぎりぎりに、マンションが建つ。



↑緑井(みどりい)13時10分に到着。



↑七軒茶屋(しちけんぢゃや)13時12分着。
 とにかく、駅間距離が短いです。発車したら、すぐに次の駅に着きますわ。
 そして、線路沿いぎりぎりにまで建て込んでいる住宅やマンションが、可部線の車窓風景の特徴ですね。





↑なお、可部線の沿線は、2年前(平成26年)の8月に発生した広島豪雨で、土石流などの大きな被害を受けた地域です。
 可部ゆきの進行方向左窓には、その山並みが続きます。



↑13時16分、梅林(ばいりん)に到着。
 ここでも対向列車と行き違い。





↑上八木(かみやぎ)を出ると、もう一度、太田川を渡りました。
 三滝からずうっと太田川の西岸を走ってきたけれど、ここで最後にもういっぺん鉄橋を渡って、太田川の東岸へ移るのです。





↑中島(なかしま)に停車中。





↑13時25分、終点の可部に着きました。 広島駅から所要37分。



↑可部駅、駅前のようす。



↑駅前、駐輪場のようす。



↑可部駅の東口側に歩み出てみました。
 おそらく、こちら側が、もともとの〝可部駅前〟の街並みなのでしょうね。



↑踏切ごしに、西の山々を眺める。
 山崩れの跡が、見えます。





↑可部駅の西口側(バスターミナル側)。
 いかにも、新しく整備しました~ という雰囲気の駅前空間です。
 駅前を通る国道54号も道幅が広いですね。 東口側とは、風景の趣が異なります。



↑もともと、可部駅構内の鉄道敷地だった領域を活用して、バス乗り場や駅前歩道が整備されたようです。
 しかし、駅前に止めてある自転車、多いなぁ





↑可部駅の周辺をぐるりと歩き回ったのち、再び駅ホームに戻りました。
 可部線はイコカが使えるので、折り返しはキップを買わずに、改札機にイコカ・タッチ
 2番線で発車を待っているのは、さきほど乗ってきたのと同一の車両。 私が戻るのを待っているかのように、じっと2番線に停留しています。



↑線路を隔てて向かい側には、新しいホームが整備されつつあります。



↑路線延伸に向けての工事が行われていました。
 可部から先への線路は廃止されたのですが、地元の強い要望もあって、可部駅から1.6kmほどの区間が〝線路復活〟することになりました。
 計画ではありますが、来年(平成29年)の春に、可部駅から先へ、可部線はちょっとだけ営業区間が伸びます。(予定)



↑線路が伸びたら、またそのときに、〝可部線乗り直し〟にやって来ますわ
 また広島を訪ねる理由ができるから、いいじゃないか。



↑ホームの駅名標。
 駅名標(プレート)の右上のところに「広」のマークが書かれていますね。 「広島市内の駅です」という意味です。
 わし、さっき、広島駅で改札口を出ておこのみ焼きを食べたから、可部線のきっぷを買い直したけれど、そういう途中下車をカットしたならば、
 京都で買った「京都市内→広島市内」の乗車券で、そのまま可部駅まで乗ってくることができたわけやね。



↑車内の広告。 赤ヘルきっぷ  広島やなぁ~



↑可部13時48分発の広島ゆきに乗って、引き返しました。
 これは、発車待ちの車内から撮影した一枚です。
 ホーム向かいに13時45分 可部終着の電車が入ってきました。この電車の到着を受けて、私が乗った広島ゆきもいよいよ発車です。

 終点の可部駅に着いた電車が3分程度ですぐに折り返す(クイックターン)のではなく、可部駅には常に1編成、電車が停留しているんやね。
 来年(予定)に路線延伸が実現したあとのダイヤを、すでに見越している感じがする。さすがや



↑また各駅に停車しながら、可部線をバックしてきました。







↑下祇園にて。
 駅に隣接した広い広い土地が、工事中でした。



↑下祇園にて。
 駅のそばだし、マンションとか住宅地が造られるのかなぁ。
 このコンクリート壁、なかなか年季が入っている気がします。ひょっとして、ここ…、工場の跡地だったのかな(?)
 再開発事業というやつですね、きっと。

◇          ◇          ◇

このあと私は、もう一度 40年前の思い出をたどりたかった …っていうか、そのまま広島駅まで戻ってしまうのは物足りない気もしたので、
三滝駅で電車を降りました。
そして、三滝から西広島まで、太田川を眺めながらテクテクと歩いてみました。
西広島界隈は、私にはとても懐かしい地域なのです。子供時代の記憶は乏しいけれど、その〝空気〟が懐かしい!(なんだそりゃ)

引き続いて画像も写してきましたので、西広島の巻、また次のブログ投稿でご報告します。

(つづく)



<試> ブログ投稿の確認(試験)

2016年06月15日 22時29分00秒 | 動画・music,音

動画拝借いたします


きのう、gooブログのシステム・メンテナンス作業が行われました。
メンテナンス作業中は、gooブログへの投稿や閲覧ができないことになっていました。
時間帯を区切って、全面通行止めにして、高速道路のリフレッシュ工事をする…、みたいな感じかな。

けれど、実際、昨日のメンテナンス作業(時間)は、当初の計画よりも長引いてしまったんやな。
〝通行止め〟の時間帯が、予告なく、だらだら~っと長引いてしまったわけです
さらに、メンテナンス作業の終了が伝えられた後、昨日の夜になっても、gooブログへのネット接続がつながりにくい状況が続きました。
私は、システムのことは、さっ~ぱり分からんけれど、メンテナンス作業の過程で、なんか不具合があったんだろうね。

私も、きのうの夜は、gooブログを見られへんかった
つながりにくいし、そもそも、投稿編集の画面を開くこともできなくて、私は即、お手上げでした。
サクサクいかないので、パソコン画面に向かっていてもイライラするばかり。 きのうは「ブログ、やめっ!」と決断し、投稿パスしました。

きょうは、gooブログ、おおむね動いていますな。よかった
それでも、時折、動きがヘンになるときがある。 まあ、次第に本調子に戻っていくのでしょう。
gooブログ事務局スタッフのみなさん、がんばってちょ~

◇          ◇          ◇

当ブログ『ダンポポの種』のバックナンバー記事については、文字化けや画像消滅(表示消え)などの支障は今のところ無さそうやね。

記事の投稿について、文字投稿だけでなくユーチューブ動画を添付しての投稿も支障なくできるかどうか、きょうの記事(この記事)で試しています。
ちゃんと投稿できているかな。(出来ているみたいやね

「なんで、イズミヤの歌やねん
「この歌、懐かしくて、好きやねん」



羽越本線を 普通列車で行く

2016年06月13日 22時56分40秒 | 旅のあと
5月27日(金)の話。 続きです。

陸羽東線から陸羽西線へと乗り継いで、ちょうどお昼12時ごろに余目駅へ着きました。
余目では20分ほどの乗り換え待ちがあって、12時26分発の鶴岡ゆき普通列車(羽越本線、上り)に乗りました。
ここからは、新潟方面へ向けて羽越本線を上っていきます。
なお、羽越本線には以前に乗ったことがあるので、ここは未乗線区ではありません。



↑余目から鶴岡までは駅数も少なく、15分ほどですぐに到着しました。(鶴岡12時42分着)
 鶴岡で後続の列車に乗り継ぐのだけれど、次の列車は13時25分発なので、乗り換え待ちが約40分あります。
 ちょうど昼時ですから、この40分で昼ごはんを済ませました。
 駅前(駅の建物と一体化したようなお店)の「日本海庄や」で、海鮮丼いただきました 琥珀色も少々…



↑鶴岡駅。





↑再掲画像。ハチ公像の試作品が、駅建物のなか(改札口のまえ)に展示されていました。



↑鶴岡駅ホームにて。
 ここ羽越本線を走る特急列車「いなほ号」が描かれたパネル。記念撮影用ですな。
 常磐線の特急「フレッシュひたち」として活躍したE653系電車が、今では、羽越本線の特急「いなほ」に使われているのです。



↑「山形日和。」というフレーズと、このキャラクターを、あちこちで目にした気がします
 このキャラクターは、「きてけろくん」という名前だそうです。
 顔が歩いているような…、独特のデザインです。アンクル○リスとは、またちょっと違う感じ(?)
 きてけろくんの、この〝横顔〟は、地図上でいう山形県のカタチを表しているのだとか。(確かに、山形県って、人の顔の形に似てるかも



↑鶴岡駅にて。 この車両は、さっき、余目から鶴岡まで乗ってきたやつ。


◇          ◇          ◇

昼ごはんを済ませた私は鶴岡駅へ戻り、13時25分発の村上ゆき普通列車に乗りました。終点の村上まで、これで行きます。
鶴岡から先、特急「いなほ」で新潟まで突っ走るのも良かったんだけど、実は、お昼のこの時間帯、鶴岡には「いなほ」が来ないっていう…
「いなほ」の運転間隔が、間延びしているんやね。
仕方がないので、普通列車で移動します



↑再掲画像。 鶴岡から村上へ向かう車内にて。
 鶴岡で乗り込む際に、車両外観を写せなかったんだけど、この車両は「キハ48」です。





↑ちらっと、海が見えてきました。
 羽越本線は、海沿いを行きますから、飽きるぐらいに海を眺められます



↑駅間を走行中に、車掌が巡回してきて、検札がありました。
 普通列車で車内検札って、久しぶりに遭遇しましたわ 券面には、酒田運輸区のハンコが押されました。









↑あつみ温泉にて。
 対向列車の特急「いなほ5号」(秋田ゆき)とすれ違い。
 


↑すれ違っていく「いなほ号」の車体に、これまた何やらキャラクターが描かれていましたので、大急ぎで一枚〝カシャッ〟と。
 「村上市 サケリン」…って書いてあるみたいやね。
 沿線の都市・村上市のキャラクターですね。
 ホームページ情報によると、『名産の「鮭とお酒」、「人情(なさけ)」の「サケ」から愛称的に命名しました。』とのこと。



↑鼠ヶ関(ねずがせき)。
 ここが、山形県最後の駅です。





↑ずうっと海を眺めながら、走り続けます。 
 天気はすっかり回復し、雨の心配は無くなりました。むしろ、ちょっと、まぶしいな



↑府屋(ふや)。 山形県に別れをつげて、ここからは新潟県です。





↑あまりにもまぶしいので、座り直して、進行方向の逆(後方)を向いて写してみました。
 「海を眺めるぶんには、こっち向きでも一緒やろ…」と思って。









↑この列車も2両編成でした。
 乗客はそんなに多くなくて、鶴岡で乗り込んだときからずうっとこんな感じの車内でした。


↑国鉄型の座席は、懐かしさもあって、やっぱりいいものやねぇ



↑所定より3分ほど遅れて、15時03分に村上へ着きました。
 途中駅で貨物列車の通過待ちをしたのだけれど、その貨物列車が数分遅れていたもので。



↑遅ればせながら、車両外観です。キハ48形。 国鉄型ディーゼルカー、久しぶりに乗れて良かったですわ
 塗装のデザインは「新潟色」と呼ばれるご当地カラーです。
 羽越本線は電化路線ですが、村上~酒田間を走る普通列車は、ディーゼルカーで運行されることになっているようです。
 直流電化と交流電化の切り替え点(デッドセクション)があるから、でしょうね。
 ※特急「いなほ号」の車両(E653系電車)は、直流・交流の両方を走れる構造です。






↑のりかえ。 次の列車は、村上15時15分発・新潟ゆき普通電車。 キハ48形からはガラッと雰囲気が変わって、今風の電車です。
 村上から先、新発田・新津(新潟)方面の羽越本線は直流電化なので、この区間には直流電車が配備されているのです。
 この車両は、E129系(直流電車)という形式、やね。最近だんだん車両形式を覚えきれなくなってきた、私です
 画像をよく見ると、編成番号が「A30」と出ています。あとから思えば、わし、このシリーズの最新型車両に乗ってきたことになるんやね。



↑E129系、車内。



↑この大きさの画像では読めませんけれど、形式番号のステッカーには「平成28年」とあります。製造年です。
 今年造られた(登場した)車両っていうことです。



↑できたてほやほやの新型車や  とにかく、きれいな車内でした。



↑村上を15時15分に発車して、各駅に停車しながら進みます。
 新発田からは白新線(はくしんせん)に入って、新潟へは16時24分着です。(結局、特急「いなほ」を使わずに新潟まで行ってしまった)

新潟から先は、上越新幹線で東京へ向かい、東京から東海道新幹線で京都へ帰る-、という形で今回の旅はめでたく締めくくられるのです。
で…、実は、上越新幹線の新潟~越後湯沢間が未乗区間だったものですから、今回はそれにも乗ってしまえるチャンス!でありました。



↑けれど、今回のブログでの報告は、そろそろお別れの時間のようだ
 実は、このE129系電車に揺られるうちに、デジカメのバッテリー(充電)が残量ゼロになってしまいました。
 これ以上、写すことができなくなってしまった なので、これ以上の画像はありません
 この日、朝、古川のルートインを出てから、ここまで、約300枚写しました。
 けっこう写したのは確かだけれど、以前はバッテリーも耐えていたんだけどな。バッテリー古くなったのかなぁ。



↑…というわけで、〝締め〟がイマイチですけれども、これにて東北旅行のまとめ終了といたします。
 画像はありませんけれども、新潟駅から上越新幹線に乗って帰りましたので、上越新幹線も「乗車済み」として集計に反映したいと思います。
 それでは、ばいばい


(おわり)



陸羽東線 ・ 陸羽西線

2016年06月12日 18時26分10秒 | 旅のあと
平成28年5月27日(金)の、画像まとめです。

東北(宮城県)から京都へ帰ってきた日です。
宮城から山形・新潟へぐるっと迂回して、乗りテツしながら京都へ帰ってきました



↑当日使用したきっぷ。前日(26日)に、小牛田駅で買っておいたもの。
 小牛田から陸羽東線→陸羽西線を進んで余目、羽越本線で日本海沿いに新潟方面へ、新潟駅から新幹線(東京経由)で京都まで、というコース。




↑5月27日の朝。
 宮城県大崎市のJR古川駅前「ホテルルートイン」10階客室から、おはようございます。 あいにくのお天気やね
 画像の正面に見えているのがJR古川駅です。



↑朝食バイキングをしっかりいただいて、準備万端
 8時15分ごろホテルを出発して、古川駅へ向かいました。



↑古川駅前。 ここは、東北新幹線と陸羽東線(りくう とうせん)の乗換駅です。



↑まずはイコカで改札口を通り、ホームに降りて、きょう1本目の列車に乗り込みます。
 古川8時32分発、陸羽東線上り列車、小牛田(こごた)ゆきです。
 「わざわざ、小牛田まで〝バック〟するのか!? (うすうす感じては いたんだけど…)」
 と気になっていた方もおられるでしょうけれど()、まず、きのう乗ってきた区間をバックして、いったん小牛田へ向かいます。
 小牛田で折り返し発車する段からを〝正式スタート〟として、陸羽東線を新庄方面へ向かうことにします。



↑8時45分ごろに小牛田(こごた)へ着きました。
 イコカの使用はここまでで、いったん改札口から退場して、きのう夕刻に降り立った駅前へ再び出てみました。
 曇り空と濡れた路面を見ると気分は憂鬱ですが、この時刻、小牛田駅前の雨はほとんど止んでいました。



↑記事冒頭で紹介した「小牛田→京都市内」の乗車券で改札口を入り、京都へ向けての乗り継ぎが始まりました。わくわくしますわ
 小牛田駅の跨線橋を、陸羽東線が発車する1番線ホームへ向かいます。




◎参考◎ 小牛田駅について
宮脇俊三著『終着駅へ行ってきます』の中から、「女川(石巻線)」の章より、引用します。

東北本線小牛田駅は、いかにも鉄道の停車場といった風格のある駅だ。
ここで陸羽東線に乗りかえれば鳴子をへて山形県の新庄に達し、東へ向う石巻線に乗れば石巻から女川へと至る。鉄道の十字路、交通の要衝なのである。構内は広く、機関車や転車台の跡があり、長いホームの屋根や跨線橋は煤けて、蒸気機関車時代の面影をとどめている。蒸機のいないのが不自然なような駅である。
交通の要衝ではあっても、小牛田の町は小さい。一般に幹線の主要駅は、はじめは野っ原であっても、しだいに駅を中心に町が形成されて発達するのが明治いらいの人文地理の法則である。けれども、小牛田の場合は、さして発展しないまま今日に至っている。要するに、駅にくらべて町が小さいのだ。
そのためか、東北新幹線は小牛田を見離した。小牛田の西方約九キロ地点にある古川市に新幹線の駅がつくられた。
古川は陸羽街道(国道4号線)の宿場町であり、「ササニシキ」の中心都市であり、古川経由のほうが東北新幹線の経路が若干短縮されるので、この処置に異存はないけれど、明治二三年の日本鉄道(東北本線の前身)の開通いらい九〇余年にわたって煤けながら頑張ってきた小牛田の心中を察すると同情を禁じえない。

引用おわり。

※原文のまま記載。
 宮脇俊三がこれを記したのは、東北新幹線開業直前の昭和57年(1982年)春ごろだったと思われる。

◇          ◇          ◇          ◇          ◇

陸羽東線 (りくうとうせん)




↑小牛田駅1番線、陸羽東線の新庄ゆき。キハ111形+キハ112形の2両編成、という表現でいいのかな。キハ100系シリーズですね。
 先頭車両の運転席の窓下には、葉っぱのようなイラスト。「奥の細道」という文字も見えます。



↑小牛田9時06分発の、新庄ゆきです。
 昨晩を古川駅前で泊まっておいて、今朝再び小牛田まで来たのは、この列車が混雑したらどうしようかと不安に思ったからです。
 古川の駅からこの列車に乗り込んだ場合に、すでに車内が満席だったら嫌だな~って思ったものですから。
 確実に座席を確保するために、始発駅の小牛田まで出向いた-、というのが本当の理由です。
 そういうシナリオを前提に、きのう、この駅で乗車券を買っておいたのです。

「だったら…、ゆうべは小牛田に泊まれば良かったんじゃないの?」
「いや…、宿泊に関しては、ルートイン(ホテル)に泊まりたかったので
「あっそうか ルートインが気に入ってるって書いてたな。それで古川だったのか。しかし、ルートインに何があるんや、いったい」
「お風呂やねん。ルートインには大浴場があって(←決して広くはないけど)、足を伸ばして風呂に入ることができる。それがいいねん



↑が…、通勤通学の人波が過ぎたこの時間帯、陸羽東線の乗客はそんなに多くなく、小牛田の発車時刻が近づいても車内はガラガラでした。
 「この様子なら、古川から乗っても全然大丈夫だったな」 と思ったりしたけれど、それは結果論。
 車両の出入口のところにも〝葉っぱ〟のイラストですね。
 「ゆ、け、む、り、ライン か…」と、思わずつぶやきながら読んでみた私です。
 陸羽東線の愛称名は<奥の細道 ゆけむりライン>というそう。確かに、この線には〝温泉〟が付く駅名が多いです。



↑まもなく発車です。



↑小牛田を定刻9時06分に発車。
 ホームを離れるとすぐに、石巻線のレールが右手のほうへ遠のいていきました。



↑続いて、わが陸羽東線も ぐいっと左へ首を振り、東北本線に別れを告げました。
 小牛田から新庄まで94.1kmの道のり、陸羽東線の旅が始まりました。列車は、新庄まで各駅に停車します。



↑小牛田から約10分で、古川へ戻ってきました~
 画面、左右に横たわっているのが東北新幹線の古川駅。
 陸羽東線は新幹線の下をくぐり抜ける格好です。双方の線路が十字型の立体交差になっている、乗換駅です。



↑駅ホームからも、ルートインが見えました。
 ここから陸羽東線は〝大崎市〟の市域に入ります。
 古川駅から先、新庄方面へは、宮城県内最後の駅・中山平温泉まで、ずうっと大崎市内を走ります。大崎市って、広いんやね。



↑古川を発車したところ。
 貨物駅もくっ付いているのですね。 新幹線が通る以前から、この駅も物流拠点のひとつだったんやね。







↑古川を出ると、塚目(つかめ)、西古川(にしふるかわ)、そして、東大崎の順です。ちなみに、この次の駅は西大崎(にしおおさき)。
 ようやく、「大崎」という言葉が駅名にも出てきたね。この付近が、大崎という地名の起源になる場所なのかな?
 市町合併により、現在この地域は広い範囲にわたって「大崎市」という区分でまとまっているようです。
 私みたいな他所の者には、大崎市という市名がどうもピンとこない …っていうのが正直なところ。
 「宮城県大崎市って、どのへんなん?」って、思っていました。
 これを機に、大崎市の名前を覚えておこうと思います







↑岩出山にて。
 鉄道資料館…? 気になる施設やな。またの機会に訪ねましょう。(←いつだよ



↑乗客は多くないうえに2両編成とあって、車内は空席多数でノンビリなムードでした。





↑有備館(ゆうびかん)にて。



↑自然情緒あふれる風景の中を走ります。



↑とにかく、車窓には田んぼがたくさん見えました。
 田植えが済んでまだ日が浅いようで、水面(水田)に周囲の風景が映り込む様子も 随所で見られました。
 私は、こういう風景が大好きです。地元の京都南部でも見られるけれどね。





↑池月(いけづき)にて。
 この線区、プラットホームに植え込みがある駅が多かったように思います。





↑川渡温泉(かわたびおんせん)にて。





↑走るにつれて谷が狭まってくる印象というか、車窓の景色がだんだん山がちになってきました。
 列車も、登り勾配にさしかかったようです。
 新世代のディーゼルカーなので、エンジン出力には余裕があり 坂道をパワフルに登っていきます





↑鳴子御殿湯(なるこごてんゆ)にて。



↑線路は山肌に張り付いているようで、一段高い目線で町並みを眺めながら列車は走ります。



↑ちょうど10時を回ったころ、鳴子温泉(なるこおんせん)に到着しました。小牛田からここまで、ほぼ1時間。
 温泉地として有名な鳴子です。伝統こけしの産地としてもよく知られていますね。
 陸羽東線にとっても、ここは主要駅であり、この駅が始発・終着となる列車も少なくありません。

 私が乗っているこの列車、ここまで途中駅での乗降が乏しかったですが、鳴子温泉駅からは新たに5~6人が乗ってこられました。
 この列車の状況からすれば〝大量乗車〟と言って良いです。
 乗ってこられたのはご年配の方が多かったです。服装や手荷物の印象から、観光旅行客に間違いなし! 温泉地だものな





↑前方の山々が 車窓に押し迫ってくる感じがあって、「こりゃぁ、トンネルがくるぞ」という予感がしました。
 カメラを構えてじぃーっと待って、トンネル入口の瞬間に〝カシャッ〟と。
 いいタイミングで写せたと思う





↑1両目も2両目も、相変わらず空いています。
 さきほど鳴子温泉から乗ってきた乗客たちも、みんなボックス席を確保して座っていました。



↑中山平温泉(なかやまだいらおんせん)に着くところ。
 道路と駅前広場と線路敷との〝仕切り〟が無いように見えますね。この光景、思わず1枚写してしまった。
 画面中央に小さく写っていますが、蒸気機関車が保存してありました。野ざらしで、けっこう退色しているようでしたけれども。
 ここが宮城県最後の駅です。そして、古川からここまでがずうっと大崎市でした。大崎市、ホンマに広いわ





↑山あいを駆け抜けています。
 先ほどまで車窓の大部分を占めていた「水田の風景」が、ちょっと控えめになりましたね 



↑堺田(さかいだ)にて。 宮城県に別れを告げて、この駅から山形県に入りました。
 「山形日和。」というステッカーが貼ってありますね。



↑県境を越えた列車は、こんどは下り勾配を駆けおりていきます。





↑最上(もがみ)にて。 山形県最上町(もがみまち)という町。周囲を山々に囲まれたのどかな土地みたいです。
 ここで、対向の小牛田ゆき列車と行き違い。



↑車窓風景に田んぼが復活!したけれど、行く手には また山が迫ってきました。
 地図を見ると、最上町から先へ、もうひとつ山を越えたら新庄にたどり着くようです。
 田んぼが多いとはいうものの、決して広大な平坦地というわけではないのです。陸羽東線の車窓は、けっこう山がちな印象です。



↑鵜杉(うすぎ)にて。なんか、変わった駅名だなぁと思いました。
 




↑南新庄にて。次が、終着の新庄です。





↑山形新幹線の車両を横目に見ながら、新庄駅のホームに滑り込んでいきます。



↑11時10分、終点の新庄に到着。
 小牛田から2時間ちょっとの長旅でした。
 キハ111形+112形、お疲れさまー。乗客は少なめだったけれど、快適な列車旅でした。



陸羽西線 (りくうさいせん)


↑新庄で乗り換えて、途中下車など休憩は一切無しで()、陸羽西線に進みます。
 陸羽西線は、新庄から余目までを結ぶ43.0kmの線です。陸羽東線よりはうんと距離が短いです。
 最上川(もがみがわ)に沿って走り、日本海側の庄内平野へ至る路線です。
 『おしん』の少女時代の物語の舞台が、この地域でしたね。



↑新庄にて。
 山形新幹線E3系電車。 いつのまにか、山形新幹線(車体)はこんな色に変わったんやね。
 この画像、同じ車両がふたつ並んでいるように見えますが、よく見たらテールライト(赤灯)のポジションが違うでしょう?
 左の車両がE3系2000番台、右の車両がE3系1000番台、です。(細かいわ
 


↑新庄にて。
 左が、今から私が乗り継ぐ陸羽西線の列車。 右は、奥羽本線(横手・大曲方面)の秋田ゆき普通電車701系。
 新庄駅は、各方面からの線路が集まる交通の要衝です。





↑新庄での乗り継ぎ時間は5分。 新庄11時15分発、陸羽西線回り酒田ゆき。
 これもキハ111形+キハ112形の2両編成でした。 ただし、車体塗装はノーマル。





↑ホームをうろうろして写真撮っていたので、列車に乗り込んだらロングシートしか空いていなかった
 まあ、いいや



↑定刻に新庄を発車して、陸羽西線の旅がスタート。
 しばらく奥羽本線のレールと横並びで進んで、おもむろに左へ首を振りました。ぐいぐい、左へカーブしていきます。
 奥羽本線、ばいばいき~ん



↑ここでも、窓の外には田んぼが広がります。
 田んぼの1枚1枚も、京都南部のそれよりは はるかに広い(大きい)ように見えます。間違いなく、田んぼがデカい。









↑羽前前波。
 駅名標越しに見える風景も、田んぼです。









↑写すタイミングが遅れましたけれども、前方に鉄橋が見えてきたので、撮ってみました。
 青い鉄橋、みえますか。



↑その鉄橋を渡っています。 これが、最上川。
 いよいよ、最上川が姿を見せてくれました





↑古口(ふるくち)にて。
 名所案内に「最上峡」の文字が見えます。舟下り観光はこの駅で下車するのが便利ということかな。



↑古口では、まとまった下車がありました。
 地元の方たちとともに、旅行カバンらしき大きな荷物を手にした方々も何人か降りていきました。
 だからと言って、即、舟下りの観光客だと決めつけるわけにもいかないけれど…



↑車窓に、最上川が見えています。
 周囲の山々が次第に川沿いに迫ってきました。





↑最上川の流れは、いたって穏やかです。(穏やかに見えます)



↑こういう風景も〝峡谷〟のうちに入るのかもしれないけれど、断崖・激流みたいな 急峻な印象はまったくありません。
 しばらく、ぼんやり眺めていたいような、そんな車窓風景です



↑…と思ったら、トンネルに入ってしまったり
 「つれないなぁ」







↑遠目ですが、川面に何か浮かんでいますね
 あれが、舟下りか。きっと、そうやわ。



↑やがて、車窓から山々が遠ざかっていきました。
 最上川も、向こうのほうへ離れていきました。
 山あいの区間を抜けて、庄内平野へ出てきたのです。





↑今朝はイマイチな天気でしたが、だんだん回復しているようで、時折、日差しも出てきました。



↑南野(みなみの)にて。 次が、余目です。





↑電化の羽越本線のレールが見えてきました。
 陸羽西線は、そこへぐぐーっと寄せていく感じで接近し、余目に到着しました。



↑余目に到着。 ちょうどお昼、12時02分に到着。確か、定刻着だったと思います。
 ここで下車したのは、私と、ほかに1人だけでした。
 列車は羽越本線直通の酒田ゆきです。ほとんどの乗客は酒田まで乗っていくみたいやね。



↑余目にて。
 隣りに見えている列車は、ここで行き違う、陸羽西線上り・新庄ゆき。



↑乗ってきた列車が、酒田へ向けて出ていきます。 一応、見送る私。
 陸羽西線も無事に乗ることができました。ありがとう~


(つづく)



◎おまけ◎ 余目駅のようす










↑ホームの柱に、「おくりびと ロケ地」というプレートが付いていますね。
 映画『おくりびと』のなかで、広末涼子さんが出てくるシーンのひとつが、この駅のホームで撮影されたそう。



ろでん の日

2016年06月10日 22時22分40秒 | 鉄 道


朝から青空が広がって、よく晴れて、気温も上がり、暑い一日でした。
京都南部も、夏本番がやってきたかのような暑さでした


きょう6月10日は、「路面電車の日」ということであります。(私も、あまりよく知らなかった記念日です

6を〝ろ〟と読み、10は英語で〝テン〟。
すなわち、6と10で「ろ・でん」と読む …と。
「ろでん」とは、めんでんしゃ のことですよ、と。

ということで、6月10日は「路面電車の日」に決められているそうです。
うちのヴォ号も、きょうエンジンをかけてカーナビが起動したとき、『きょうは路面電車の日です』ってメッセージが流れたで。

「6月10日で、ろでん…。さり気ない 語呂合わせだな
「結構強引だろ



↑このあいだ、5月31日に広島を訪れたときに撮影しました。
 広電西広島にて、路面電車350形(351号)。