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ダンポポの種

備忘録です

こんなところにも影響が

2011年03月22日 21時09分43秒 | 日記・雑記
きのう、書店に立ち寄りまして、いつも買っている月刊誌『鉄道ジャーナル』(鉄ジャ)を買おうと思ったのですが、

なっ、なんと!


鉄ジャ…、売ってない!

そんな


店の書棚には、いたる所に、おことわりの貼り紙がしてありました。
どうやら、東京方面から荷物を運んでくるトラック便の回数が、普段よりも減ってしまっているようです。
鉄道趣味系の雑誌に限らず、月刊誌の入荷が全体的に数日遅れているらしい。

貼り紙によれば、これは、大震災による影響らしい。
被災地への物資輸送が優先だし、そちらにトラックを回さなきゃいけないとか、トラック業界の取りきめがあるのかもしれません。(←私の推測です)
ガソリン・軽油などの燃料不足でトラックが稼働しにくい、という事情もあるのかもしれません。(←私の推測です)

なお、鉄道ジャーナルのホームページを見ると、
震災の影響、計画停電の影響等により印刷工程に支障が生じたため、予定した19日の発売が不可能となりました。
今月号に限り発売日が 3月23日(水)に変更となります。

と書いてありました。
「鉄ジャ」は、トラック輸送の都合だけじゃなくて、そもそも、印刷の作業自体が遅れてしまったんやね。

まあ、趣味の雑誌ですから(私にとっては)、今回みたいな非常時には〝不急の品〟として扱ってもらって私は一向に構わないですけどな。
発売されるまで、じっと待ってま~す。

とりあえず、あす23日、もう一度書店を覗いてみますわ。



そんなこっちゃ

2011年03月20日 20時43分26秒 | 日記・雑記


きょうは、午後から雨が降り出しました。
寒さはそれほどでもないですが、天気が悪いのでイマイチ、パッとしませんな。

◆            ◆            ◆

きょうは、日没後に、通常業務1件を済ませてきました。

きょうの業務先(訪問先)は、うちから少し離れていて、いつもは原付バイク(業務号)で行くところなんです。
でも、きょうは午後から雨降りだったから、
「こりゃあ、原付では行けそうにないなぁ。傘をさして、歩いて行くしかないか」
と、覚悟を決めていたのです。
歩いて行くと、片道15分ぐらい掛かるからなー。(←それぐらい、黙って歩けよ

ところが、実際に業務へ出動する頃になったら、雨がピタッと止んだのです…!(奇跡だ)
業務へ出かける際、玄関先でもう一度、夜空を見上げてみました。
雨が止んだとはいえ、晴れているわけではなく、空一面が雲に覆われていることに変わりはありませんでしたけどな。

「要するに、今から業務へ行って帰ってくる間、雨が止んでいてくれるかどうか、なんだけど…」っていう心境。

しばらく雨が止んでいてくれるなら、原付で出かけても良いと思うのですが、ちょっと冒険かなぁ。
私は、こういう〝冒険〟に滅法弱いし。曇り空を気にしつつも傘を持たずに出かけてみて、出先で雨に降られたケースは、過去に何度もあります。

原付で行くのか-、
歩いて行くのか-、
時間ギリギリまで思案が続き、ついに決断のとき。

きょうは安全策を取り、原付はやめておいて、雨が止んだ夜道を歩いて業務に行ってきました。


さて、その先に待っていた驚きの結末とは…!? (←大袈裟や)


答えは…、
業務から帰ってくるまで、雨は降らへんかった!

↑まあ、そんなこっちゃ。

なんやー、原付で出かけても大丈夫だったやん。

で、帰ってきたあと、今になって、また雨が降り出しております。

↑重ね重ね、まあ、そんなこっちゃわさ。



静かなデビュー

2011年03月19日 21時08分03秒 | 鉄 道
今からちょうど1週間前の3月12日(土)に、JR線のダイヤ改正が行われました。いわゆる〝春の改正〟ですね。

今回のダイヤ改正は、もともとから、主として西日本地方のJR線(JR九州・JR四国・JR西日本の各路線)のダイヤを改める内容で計画されていたもので、
その〝目玉〟は、『九州新幹線の全線開通』というめでたい話題でありました。
<みずほ>・<さくら>の指定席が前売りで完売になったとか、幸先の良いニュースも流れて、ダイヤ改正日に向けて大いに盛り上がっていたんだけどなぁ。
ダイヤ改正が翌日にせまった3月11日に大地震が発生…、という巡り合わせになってしまいました。

3月12日に、ダイヤ改正自体は予定通りに行われ、九州新幹線も全線開通しました。
沿線の駅などで予定されていた記念セレモニーが軒並み中止になったようですが、列車は時刻表通りに運行を始めています。
この1週間、ニュース番組で九州新幹線の話題が取り上げられることは無かったと言って良い状況ですが、もちろんこれは仕方がありません。
テレビを見ながら新幹線開通の話題をゆっくり語り合えるような〝ふつうの日々〟が、戻ってきますように…。


◎うちの近所のダイヤ改正ネタ
学研都市線、昼間は「快速・塚口ゆき」を運行へ

京田辺駅にて

↑京田辺駅の発車案内板。
 今回のダイヤ改正から、学研都市線の昼間の快速電車(京橋方面ゆき)は、従来の「宝塚ゆき」から「塚口ゆき」に変わりました。
 行き先が変わっただけで、運転本数とかは変わっていません。
 なお、これは昼間だけのことで、朝方と夕方以降の列車は従来通り宝塚(或いは新三田・篠山口)まで直通運転されます。



↑京田辺に到着する、快速・塚口ゆき。



↑こちらは対向列車の木津ゆき。京田辺にて。
 ダイヤ改正を機に、京田辺駅ではホームの使い方が変わり、木津方面(同志社前・木津ゆき)は「3番のりば」に発着するようになりました。



↑これも京田辺。
 「3番のりば」ホームの京橋寄りの端っこで、木津のほうを向いて撮影したもの。
 塚口ゆきと木津ゆきが、こんなふうにすれ違うようになりました。

※改正前まで、京田辺では、島式ホームの「1番のりば・2番のりば」ですれ違うのが基本形になっていました。
 ↓こんな感じです。(再掲画像)



松井山手駅にて

↑松井山手にて。
 ホームの発車案内板にも「東西線経由・塚口」の文字。
 この駅の時刻表で言うと、9時半ごろ~15時半ごろの時間帯に当駅を発車する快速電車が、すべて「塚口ゆき」になりました。
 それ以外の時間帯は、今まで通り、宝塚ゆきや新三田、篠山口ゆきが走ります。



↑松井山手にて。何度も撮影チャレンジしてみたけど、うまく写せなんだ…。
 車両側面の行き先表示は、「尼崎・塚口」と、ふたつの駅名で案内されています。(それを写し取りたかったのだが


◎おまけ


↑おまけ画像です。学研都市線の車内で撮影。
 吊り広告で「特急こうのとり」の宣伝がなされています。byJR西日本の自社宣伝です。
 JR西日本は、ちゃんと、こういう広告も用意していたんやね。
 新型車両を入れて、列車名も一新して、宣伝広告も作って…、準備万端だったんだろうに。 
 九州新幹線の全線開通と同様、「特急こうのとり」も静かなデビューになりました。



センバツ開催へ

2011年03月18日 23時57分39秒 | 日記・雑記
きょうは、彼岸の入り。
ここにきて気温が低めで推移していますが、ぼつぼつ、本格的な春の到来に期待したいところです。
うちの近所の小学校は、きょうが卒業式だったそうです。
もう、そんな時期です。

春のセンバツ高校野球が「開催される」ことに決まったそうですね。
当初の予定通り、今月23日に開幕へ-。
もっとも、こういう状況なので、観客席(アルプス席)での鳴りモノ応援(ブラスバンドなど)は禁止されるそうです。阪神大震災の年もそうだったっけな…。
また、場内では募金活動が行われるそうです。募金は、入場料収入の一部とともに義援金として被災地に送られるとのこと。

ブラスバンド無しだから、静かな野球大会になりそうかな。
でも、こうして開催が決まったのなら、私もしっかり応援しようと思います。
京都成章(京都)とか、天理(奈良)とか、このあたりが〝うちの近所〟のチームってことになりますな。
また、対戦組み合わせもしっかり調べて、気持ちを高めて応援に臨みたいと思います。

いっぺん甲子園へ行けたらいいと思うんだけど…、それが、なかなか…。
毎年そう思っていながら、気付いたら、あっという間に決勝戦まで進んでしまっているんです。



地震終息を願う

2011年03月16日 13時09分48秒 | 日記・雑記
東北・関東の大地震・大津波

連日、新聞・テレビは震災関連のニュースで持ちきりです。

このような形で、多くの人々の命が失われてしまったことを大変悲しく思います。合掌。

行方が分からない方々も、いまだに多数いらっしゃいます。ニュース報道を聞いていても、その人数のケタが違うので、茫然とさせられるのみです。

不便な避難生活を余儀なくされている被災者の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

そして、行方が分からなくなっている方々の無事が一刻も早く確認されますように願っております。

◆            ◆            ◆

きのうも、きょうも、東日本地方の各地で、大きな地震が連発しています。
震源地エリアが一定してなくて、あちこちで地震が発生している感じです。
非常に不気味であり、気持ちがまったく休まりません。
地震活動が早く終息するよう祈るのみであります。



大地震と大津波

2011年03月11日 21時36分40秒 | 日記・雑記
大きな地震と、大津波。
にわかに大変なことになってしまいました。
被災地の皆様にはお見舞い申し上げます。
どうか、これ以上の余震や津波など、被害が拡大しませんように。

テレビ放送も、このニュース一色です。
繰り返し流れる映像は、スマトラ地震のときに見た映像の再現みたいだ…。
大津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられました。
次から次へと、容赦なく、どこまでも押し寄せてくる、津波の恐ろしさです。

M8.8だったという〝本震〟の影響は、遠く、ここ京都へも及んでいたそうで、京都市でも震度2を観測したとラジオで言っていました。
その時間帯、私は京都ヘッドに居て、会議に出席していたのですが、揺れには全然気付かなかったですがな…。
今のところ、京都南部での生活には特に影響はありません。



まだ寒いなぁ

2011年03月10日 23時58分22秒 | 日記・雑記
3月に入ってから連日の〝鉄ネタ投稿〟でありました。
JRのダイヤ改正直前ということで、重点的に鉄ネタを扱ってみました。
あさって3月12日(土)が改正日です。

◆          ◆          ◆

しかし、寒いですね。
2月の最後(月末)あたりでは暖かい日もあったのですが、3月になってから気温が再び低迷気味です。
きょうは、うちの近所でも雪が舞いました。
「雪が舞ってるやん。ウソやろ…」って。
いつものことですが、体調管理に気をつけたいものです。

きょうは、他所の緊急業務支援(サポート業務)に出向いてきました。
最近、うちでも緊業が続いていますが、他所も結構多いな…。



北近畿16号

2011年03月09日 22時51分08秒 | 旅のあと
3月5日(土)の記録、その3。 (このテーマ最終回です)


福知山をあとにして、特急「北近畿16号」で新大阪へ向かいました。


↑福知山駅のホームで撮影した、この日の「北近畿16号」です。
 この期に及んで私がスタンバイしていなかったもので、列車の入線シーン(先頭車メインの構図)を撮り損ねてしまった…
 編成は、さっきの「たんば&まいづる」と同じような〝4+3〟の7両編成でした。
 「7両とは…、たくさん連結して走るんだな」という印象を受けましたが、車両運用の都合もあるのかも知れません。



↑今度はふつうの「指定席」に乗ってみました。
 乗るだけなら自由席でも構わないのですが、指定席券だったら券面に「北近畿16号」の列車名が印字されるので…。(←そのためにわざわざ指定席を!?)
 車内検札はあったけれど回収はされなかったので、この特急券は手元に残りました。思い出きっぷ、一丁あがり!(?)



↑福知山駅で乗車してすぐに撮影。(列車はまだ停車中。窓の向こうに見えている列車は、発車直前の「たんば8号」京都ゆきです)
 指定席券に従って「自席」にたどり着き、腰を下ろしてみると、その至近に、シートが向かい合わせのまま無人になっている一画を発見。
 『この際だし…』と、どさくさに紛れて撮影してみました。(←うっ…、わけが分からん
 福知山駅で下車していったグループ客が利用していた一画だろう…と推察されます。
 個人的な感想ですが、リクライニングさせなくても座っていられたのが、このタイプの座席の特徴だったかな…と思います。
 (もちろん、リクライニングさせるに越したことはないけど…。新型系列でよくある、着席時はリクライニングさせることを前提にした造りとは違うよね)



↑これも、福知山駅にて発車前に撮影。
 窓越しに、となりに見えているのは、対向列車の特急「はしだて号」(天橋立ゆき)。



↑夕暮れせまる福知山線を突っ走っていきます。
 私は線路沿いの撮影ポイントとか詳しく知りませんが、車窓を眺めていると、随所に〝カメラのみなさん〟が待ち構えておられました。




↑良い天気に恵まれて、楽しい電車旅でありました。
 だんだん日が暮れてきました。



↑写しとれなかった…。読めますか? 篠山口(ささやまぐち)です。
 福知山を出発した「北近畿16号」は柏原(かいばら)に停車したあと、その次の停車が篠山口です。
 福知山から篠山口までは単線ですが、ここから尼崎方面へは複線化が完了しています。
 レールも頑丈になっているのか、篠山口を出ると揺れも少なくなり、乗り心地が良くなったように感じました。



カーブ区間でチラッと見えた先頭車両。
 私が乗っていたのが2号車で、チラッと見えている先頭車は7号車。



↑すっかり勢いの衰えた〝きょう最後の夕陽〟が、ぽわ~~んと車内に差し込んでいます。
 私の席はこの位置でしたが、結局、福知山からずうっと、私よりも〝前〟の座席には誰も座ることがありませんでした。
 私よりも後ろの列にはグループ客なども乗っておられましたが、ゆったりノンビリ♪の雰囲気が漂っていて、ギッシリ満席の窮屈な印象ではなかったです。
 だって、7両編成だものな…。かなりの輸送力やで。





↑三田にて。(停車中です)
 車窓にはいつも見慣れた通勤電車も映るようになりました。



↑空がだんだん明るさを失っていくなか、車窓はだんだん都会的な光景に包まれていきます。
 宝塚到着の手前で撮影。



↑宝塚にて。(停車中です)
 ちょうど駅名標の近くで私の号車(2号車)が止まったので、きれいに撮れました。



↑宝塚を発車してすぐの踏切を通過中に。
 もう薄暗いし、揺れる車内だし…、ダメもとで撮ってみたのですが、一応阪急の駅だと分かるようには写せたかな?
 えっ、やっぱり、この画像じゃダメですか。なんで?
 ああっ…、なるほど! 窓に、自分が映り込んでしまっとるわ



↑福知山線を走破し終えて、尼崎に到着。(北近畿号は尼崎に止まります)
 隣りの線路には、学研都市線直通の電車がいました。



↑最後の停車駅・大阪を発車し、新大阪までのラスト一駅区間へ踏み出したところ。
 空はすっかり暗くなりました。
 新大阪に到着した後は、新快速に乗り換えて京都へ帰ってきました。



↑最後にもう一度、座席を真横から


以上で、
183系電車特急「たんば」・「北近畿」に乗ってきました! の記事は終わりです。



福知山駅にて

2011年03月08日 19時28分48秒 | 旅のあと
3月5日(土)の記録、その2。

「たんば3号」で福知山に到着したあと、約1時間だけ、福知山駅に滞在してきました。


以下、福知山駅とその周辺で撮影した画像です。

↓駅の北側で撮影

↑福知山駅前の様子。北口側の駅前広場です。



↑高架化工事に合わせて駅前スペースも整備されたのだろうな…っていう雰囲気が漂ってきます。



↑駅前に建っているJR西日本福知山支社のビル。(国鉄時代には福知山鉄道管理局と呼ばれていたもの)
 近畿北部エリアの路線網を管轄しています。


↓駅の南側で撮影

↑南口側の駅前には、蒸気機関車が〝保存(展示)〟されていました。駅前へ出れば、すぐに目に止まります。



↑ちゃんと、転車台に載せてもらった状態で保存されています。
 蒸気機関車と合わせて、転車台も保存していこう!ということやね。



↑C11の40号機です。
 こうして展示保存されるぐらいだから、当然、ご当地(福知山)と〝ご縁〟がある蒸気機関車なわけです。
 現役時代は福知山で活躍した蒸気機関車だったそう。




↑蒸気機関車だけでなく、懐かしモノの〝鉄道アイテム〟が配置されています。
 駅前広場なのですが、ちゃんと「福知山駅南口公園」という名前も付けられている一画です。
 画像は、レールを支柱に利用した大屋根です。高架駅になる以前に、福知山駅のホームで実際に使われていた屋根だそうです。




↑駅建物の中へ戻って、これは、改札口の前あたりで写した一枚。
 常設展示であろう〝福知山城天守閣鯱瓦〟のそばで、新型特急(287系)のPRをしまくりの図です。
 足元に置かれたハリボテみたいなやつは、めっちゃ狭いけれど、キッズ・スペースになっています。(小さいボールがたくさん撒いてある)
 最初、私は気付かなかったのだけれど、『新型特急だよ♪ みんな乗ってね♪』というメッセージが添えられているのを見て、一歩下がってハリボテを眺め直してみました。
 ああ、なるほど…! こいつは287系を模して作られているわけか。気付いてしまえば、面白いアイデアだなと感心しました。
 ノボリには列車名が列記してありますね。「こうのとり・きのさき・はしだて・まいづる」の4種類です。ダイヤ改正を機に、これら以外の列車名は全部無くなります。

↓参考。287系はこんな顔つきです。



↓ホームで撮影



↑みどり色のやつ…。初めて見ました。




↑時計の文字盤には、福知山市のイメージキャラクターのイラストも。(ドッコちゃん)



↑ホームの発車案内板。
 特急たんば特急北近畿の文字が光ります。
 「たんば8号」京都ゆきは、当駅始発で、私が乗ってきた「たんば3号」の編成が折り返し運用されます。
 城崎温泉からの「北近畿16号」は、16時40分に到着し、「たんば」への乗り換え客を引き渡したあと、新大阪へ向けて発車するという段取り。



↑当駅始発ということで、「たんば8号」は早めにホームへ進入してきました。
 これが京都寄りの先頭車両ですが、綾部で「まいづる号」と連結されるので、正面に扉があり、貫通型仕様になっています。
 ヘッドマークの周囲、グレーに塗られた部分が扉になっていて、センターの〝切れ目〟を境にして左右にカパッと開く仕組みになっています。

↓連結された状態。 (再掲。先週に京都駅で撮影。左が「たんば号」で右が「まいづる号」)




↑私が乗ってきた1号車(グリーン)。
 さっきは先頭車でしたが、こんどは最後尾となって京都へ向かいます。
 「たんば/京 都(ゆき)」の行き先表示が、私には意外と新鮮でした。当の〝京都駅〟のホームではなかなか見られない表示…?




↑夕陽をいっぱい浴びて発車を待つ「たんば8号」。
 京都ゆきでは最後尾となる1号車ですが、ここには「まいづる号」などを連結することは無いので、正面に扉は付いておらず、貫通型になっていません。


(つづく)



たんば3号

2011年03月07日 12時46分09秒 | 旅のあと
おととい、3月5日(土)の記録です。

山陰本線・福知山線の183系電車特急-「たんば」・「北近畿」に乗ってきました。
京都から「たんば3号」で福知山へ行き、福知山からは「北近畿16号」で新大阪へ舞い戻り、ラストは新大阪から〝継割〟新幹線…ではなくて、新快速で京都へ帰ってきました。



↑京都駅ホームにて。
 3月5日(土)、14時25分発の「たんば3号・まいづる5号」(二列車併結)に乗りました。(←こんな時刻から出かけて行ったんかい!)
 当ブログ3月3日の記事にも「たんば・まいづる」の画像を貼っておりますが、それが先週の日曜日に撮影した、同時刻の列車です。
 先週はホームから撮影しただけで、今回は実際に乗ってみた。



↑テールライト点灯で発車を待つ、編成の最後尾。
 前寄り4両が「たんば3号」、後ろ寄り3両が「まいづる5号」。
 なので、最後尾には「まいづる」のヘッドマークが輝きます。
 この車両、先週写したやつとは顔つきがちょっと違うな…。顔つきにバリエーションがあるんやね。



↑ホームを前方へ移動しました。編成の一番前、「たんば3号」の1号車(グリーン車)です。
 山陰線の183系には、1両を半分に仕切った〝半室グリーン〟の車両もありますが、この編成では1両まるまるの「全室グリーン」になっています。
 この「全室グリーン」タイプの車両(編成)も、こんどのダイヤ改正を機にお役御免となるらしい。



↑…というわけで、たんば号のグリーン席で「さよなら乗車」してみました (←ホンマに乗ってきたんかいな…)







↑車内のようす。重厚感ありすぎの座席です。
 ダイヤ改正前の最後の週末だったけど、グリーン席の乗客は数名だけで、9割方が空席でした。(客は、私を含めてみんなテツ系だったと思う)
 これじゃあ、〝半室グリーン〟が主流になるのも当然かな。
 ダイヤ改正後も残される車両、並びに新型287系ともに、今後の山陰線特急は半室グリーンで揃えられるようです。
 それはともかく、やっぱり快適な座席でした。背もたれを倒したらとても楽チンで、道中、ふつうに〝昼寝〟してしまった区間も…
 



↑京都駅構内にも、新型287系の姿が見られました。乗務員さんの練習かな(?)
 発車前に、横着して車内から撮影したもの。



↑保津川の車窓風景。



↑トンネルを走行中。



↑園部を過ぎると単線になります。





↑綾部で、後ろ寄りの「まいづる」編成を分離し、4両編成の「たんば」はラストスパート。
 最後は高架区間に駆け上がり、車窓には整えられた町並みが広がってきて、終点・福知山に到着です。



↑福知山へ到着直後に、大急ぎでホームの前寄りへ走っていき、写してみた。
 『最後に「たんば」のヘッドマーク(サイン)を一枚撮っておくぞー!』 …って、もう回送になってるやんけー!
 確かに福知山終着の列車ではあるけれども、ヘッドマークは恐ろしいほど手際よく収納されてしまうんだな。旅の余韻に浸るっていうのは無しなのか…。
 (或いは、ホームに入線する前から、すでに回送にまわしてあったのかも知れません…)



↑隣りに止まっているのは、「文殊」じゃあ~りませんか。(文殊2号、新大阪ゆき)
 新大阪~天橋立間(福知山線・宮福線経由)に1日1往復だけ設定されている、レアな一品です。
 もっとも、運転区間が重なる「タンゴエクスプローラー」とともに、こんどのダイヤ改正で名称消滅する運命です。




↑福知山駅ホームにて。みなさん、撮影組です。



↑私が乗ってきた「たんば3号」と同じホームの向かい側に、新大阪から福知山線経由でやってきた「北近畿11号」が到着。





↑ヘッドマークまわり、疲労の色が隠せない感じではあります。



↑福知山終着だった「たんば3号」からの乗り継ぎ客も受けて、「北近畿11号」は城崎温泉を目指して行きます。
 福知山線の電化以来、長く親しまれてきた「特急・北近畿」の愛称も、こんどのダイヤ改正で変更されます。
 運行区間はそのままですが、新型287系電車の投入にも合わせて、「こうのとり」という列車名になります。


(つづく)



雷鳥、お見送り

2011年03月06日 21時22分02秒 | 鉄 道
きょうは京都ヘッド行きでした。日曜日に京都ヘッド、こういうスケジュールは先月もあったな…。

京都ヘッドでの用件は夕方までに済みまして、
「ほな帰ろか…」と思ったのですが、
ちょいと時計に目をやって、思案して、
それから少し時間をつぶして、
JR京都駅へ立ち寄ってみました。


雷鳥を見送ってきました。

関西で見られる特急列車として、国鉄時代から通じて最もポピュラーな存在だった「雷鳥」が、こんどのダイヤ改正で姿を消します。
近年、新型車両の投入に合わせて「雷鳥」→「サンダーバード」への名前変更が進められてきました。
いよいよ、こんどのダイヤ改正で〝サンダーバード化〟が完了するのです。



京都ヘッドからの帰り道で思い付いて、急遽〝見送り〟に行ったので、きょうの画像は「携帯」で撮影です。
(きょうはデジカメを持っていなかったので…

いつも当たり前のように走っていた「雷鳥」が無くなってしまうとは…、鉄道ファンにとっても一大事!?
きょうが定期運行最後の日曜日だし、ホームもカメラだらけで賑やかでした

 
↑特急「雷鳥33号」金沢ゆき。最後まで残った「雷鳥」です。
 金沢~大阪間を1日1往復するだけになった雷鳥ですが、サンダーバードと〝通し〟でカウントされている号数の大きさ(33号)に、全盛期の残り香を感じるようでもあります。
 「エル特急」と呼ばれたのも今は昔で、現在は〝L〟が付かない「特急」です。(ヘッドマークにはLって書いてある? うっそぉー!)(←ヘッドマークはそのまま使い続けたんやな)



↑国鉄時代からずうっと続いているカラーで走り続けた485系です。
 この角度から眺める横顔も、いいね。



↑京都停車の短いひとときが過ぎ、列車が動きだすと、坊やが列車に向かって手を振り始めました。
 その様子がほほえましかったので、ついもう一枚写してしまいました。(カメラ構えておられるのがお父さんですね)


私が初めて「雷鳥」に乗ったのは、予備校生活の最後を飾った、あのときか…。
入試が済んで、大学へ進む直前の3月のことでした。「よびこ会(仮称)」(ブログ内呼称。予備校時代の仲間たち)のメンバーとともに、富山の山さん家へ遊びに行ったのでした。
あの頃は若かったなぁー。京都~富山間、行きも帰りも「雷鳥」に乗りました。サンダーバードはまだ存在していなかった頃だし。
(↑あの頃若かった…のくだり、この記事では要らんだろ)(←まあ、よろしいがな)

最近では、二年前の2009年1月に福井を訪ねた際に(100%テツ活動)、復路の武生→京都間で「雷鳥」を利用しました。
その後、2009年12月には業務仲間のみんなと芦原温泉へ1泊旅行の機会がありましたが、このときは往復ともサンダーバードでした。


〔参考〕サンダーバード号(再掲画像)

↑芦原温泉駅にて。1泊旅行のとき撮影。
 今、この画像しか無いですわ。よりによって、こっち側の顔やし。
 わし、サンダーバードの写真はあまり写していないんだな…。またの機会に写しておきます。


◎おまけ画像

↑「雷鳥」がやって来るまでの待ち時間に写してみた、新快速電車。(長浜ゆきです)
 ヘッドライトの光が〝炸裂〟やな。「雷鳥」の画像もそうだけど、ピッカーッと光りまくりやん。



正式名、分かっちゃいるけど…?

2011年03月04日 18時49分41秒 | 鉄 道

↑近鉄線と阪神線の結節点である、大阪難波駅の駅名標です。
 一般には、単に〝難波〟と呼べば通じる駅名ですが、一応、正式な名称は、ここに書いてある通り「大阪難波」です。
 表記の仕方として、「大阪」の文字を小さめサイズで書く流儀になっていますが、この「大阪」という文字も駅名に含まれているのです。
 もとは「近鉄難波」が正式名でしたが、阪神との直通運転開始に合わせて「大阪難波」に改称されたという経緯があります。

この駅名については、日常、近鉄電車の旅客案内(車内やホームでの案内放送など)では、ほぼ間違いなく「大阪難波」と呼称されています。
近鉄の乗務員や駅員の間では「正式な〝大阪難波〟という名で呼ぼう!」という徹底が図られているように見受けられます。

〔参考〕近鉄駅のホームにある案内板 (新大宮駅にて撮影)

↑阪神線直通を機に、ホーム案内板の書き換えも行われたわけですが、新しい案内板ではこのように「大阪難波」とフルネーム表記が徹底されています。


一方、阪神電車は-、

っていう書き方をすると、先の展開がバレてしまいそうですが…。

そうなんです。
阪神電車の旅客案内では、これを「大阪難波」とは呼ばずに、単に「難波」と呼んでいるらしい…ことに、私もこのたび気が付いたのです。
このあいだ、山陽電車の八家駅まで行ったときに、阪神の乗務員のアナウンスとか駅の表示類を見て気が付きました。


〔参考〕武庫川駅の駅名板(改札口の前)


       ↓ 赤丸部分を大きく写してみると…。


↑大阪難波ではなく、単に「難波」と書いてあるだけです。武庫川駅に限らず、阪神線のほかの駅でも同様の表記みたいです。
 その代わりに『大阪(梅田)』っていう書き方がされています。
 阪神線で〝大阪〟と言えば、ターミナルの「梅田」を指す言葉なんですね。


↓尼崎駅
 


↑尼崎駅でも、大阪難波という表記は見当たりません。「難波」と書いてあるだけです。
 「難波」には〝大阪〟を冠しない一方で、「大阪(梅田)」という表記の仕方も、これはこれで徹底されています。
 余談ですが…、「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン方面」っていう案内も、なんかすごいな!


ドーム前駅

↑やっぱり、ここでも「難波」の文字だけ…。


私は近鉄沿線に住んでおりますが、
だからと言って、別に、
「阪神にも、ちゃんと〝大阪難波〟と呼んでもらわないと、困るじゃないか!」
みたいなことを言う気は、さらさらありません。
きょうのブログ記事は、そういう趣旨の投稿ではありませんので…。

自社路線が「梅田」と「難波」の両方に乗り入れている私鉄は、阪神電車だけだものな。
そこには、阪神にしか分からない苦労があるのかもしれません。
「堅いこと言わないで、大阪梅田と同じように、大阪難波って呼んだらええだけやん…」
と、私なんかは軽く言ってしまいそうになりますが、そこには阪神電車として譲ることができない〝熱い思い〟があるんでしょうね。
近鉄サイドは「大阪難波」と駅名改称したけれど、それでも阪神サイドは、難波には〝大阪〟を付けづらい!っていう。
『大阪と言うたら、梅田なんや!』ってか!?

近鉄電車と阪神電車。
1両あたりの車両の長さも、1両あたりのドアの数も…、はたまた、<快速急行>って表示するときの色づかいも…、お互いに異なっているのです。
そうした多くの相違点があることは承知の上で、近鉄-阪神の直通運転は行われています。
お互いに個性を尊重し合って、何がなんでも流儀を統一しよう!という気負いは感じられません。
近鉄は「大阪難波」というふうに駅名を決めたけれど、阪神にはそういうふうに呼びづらい事情があるんですね。
この両者の関係からして、不統一も、それはそれでアリなんだろうと思います。

…って、そんな、たいそうなコトを書くつもりはまったく無かったのですが。
旅客案内の際に、「大阪難波」という正式名でのアナウンスが徹底している近鉄電車に対し、〝大阪〟を外して単に「難波」と案内する流儀がこれまた徹底している阪神電車。
両者の対比が面白く感じられたので、ご紹介いたしました。


おまけ画像




↑阪神電車の武庫川駅にて。
 鉄橋の上にある駅として有名です。武庫川にかかる鉄橋の上に、ホームがあります。
 線路の下には、川が丸見えです。



見納めです

2011年03月03日 20時57分22秒 | 鉄 道
きょうは、寒さ復活!の一日になりました。
外へ出ると空気が冷たい…。冬に逆戻りした感じです。

◆            ◆            ◆

さて-、きのう投稿した「タンゴディスカバリー号」の記事の続きです。
このあいだの日曜日に、山陰本線(嵯峨野線)の特急列車を写してきたので、画像貼っておきます。

↓2月27日(日)の午後撮影。


↑嵯峨嵐山にて。普通電車を待たせて、特急「きのさき3号」が通過。
 特急列車は京都駅を発車してからここまでの区間を10分足らずで駆け抜けてきます。



↑二条にて。
 京都ゆきの電車内(客室の一番うしろ)から、乗務員室の窓越しにホームの様子を写してみたもの。
 駅の北方にある急カーブは絶好の撮影ポイントみたいです。みんな大集合してますね。
 私はこの日、京都~嵯峨嵐山間を往復しただけですが、二条に限らず、各駅ともホーム先端部はこんな雰囲気でした。


↓以下、同日に京都駅で撮影。


↑特急列車「まいづる号&たんば号」(二列車併結。183系電車)が京都駅へ到着するところ。



↑ホームに列車が停車すると、「待ってました!」と、みんなで一斉に写しまくりーっ!



↑特急「たんば号」の先頭車。「たんば号」は、京都~福知山間を結ぶ特急列車です。
 ダイヤ改正後は列車名が、同一ルートを走る「きのさき号」に統合され、「たんば」の名は消滅します。
 そんなわけで、みんな、183系電車と「たんば」のヘッドマーク(サイン)とを写しておきたい!っていうことなんです。
 しかし…、改正後は、京都発→福知山ゆきの「きのさき号」っていうのも出来るんでしょう? 城崎温泉まで行かないのに「きのさき号」なのか…。



↑「たんば号」の先頭車両(グリーン車)。この編成は「半室グリーン」ではなくて、1両まるまるグリーン車です。



↑国鉄の時代から頑張ってきた車両です。
 昭和47年製か。同い年やん…。





↑「たんば号」と「まいづる号」の連結部分。
 これ、昔は北陸線の「スーパー雷鳥」で使われていた車両やんな(?)



↑「まいづる号」は東舞鶴ゆき。とても分かりやすいです。



↑ダイヤ改正で「たんば号」の名は消滅しますが、「まいづる号」の名はそのまま残ります。
 ただし、車両運用が変わるので、この車両(183系)が「まいづる号」に使われるのはダイヤ改正まで。



↑「まいづる」のヘッドマーク(サイン)を掲げる183系。まもなく見納めです。



↑「たんば号」は4両編成で福知山ゆき、「まいづる号」は3両編成で東舞鶴ゆき。
 京都から綾部までは二列車併結の7両編成で走ります。
 「たんば」も「まいづる」も、始発から終着まで、すべての運行区間が京都府内で完結してしまう…って、なんかすごいね。