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ダンポポの種

備忘録です

サビがいいな

2008年02月29日 23時56分51秒 | 日記・雑記
2月も終わるし、テンプレートを〝いつものやつ〟に戻しました。
昨日までのテンプレートは、冬バージョンでした。

  ◇      ◇      ◇

さて…、
またもや「music」カテゴリーに〝鉄ねた〟を放り込もうとしております。

musicカテゴリーと銘打ちながら、一度もmusicを扱っていません。
はたして、いつまでこの〝路線〟を続けるつもりなのか…?!

↑カテゴリー名を変えなさいよ。今まで投稿、全部、電車じゃないか!



さあ! 例によって、you tubeで見つけたものです。↓↓

103系電車(常磐線)が駅を通過していく場面です。

15両編成の快速電車が目の前を通過していきます。
電車のモーター音が、波状攻撃のごとくたたみかけてくる様は、圧巻です。


(※動画は削除されました)


かっこいいでしょう?

これをカッコイイと思う感覚…、一般にはやはり、伝わらないのか…?


突き抜けろーっ!


↑サビがいいなって、どういうことやねん!



おまけ付き2月

2008年02月28日 17時22分08秒 | 日記・雑記
今年はうるう年なので、あす2月29日がありますね。おまけ…?

休日が1日増えるのならともかく、
気忙しい月末に仕事日が1日増えるだけやん、
という方も多いのでしょう。労働強化だと。

私は、通常の業務量が毎月ほぼ一定、という環境で生活しています。
ありがたいことだと思っています。
月末が28日までだろうと31日までだろうと、
その月にこなすべき業務量は、だいたい同じです。
もちろん、突発の緊急業務が割り込んだ場合は別ですが。

なので私は、2月29日があると、その日にも仕事を〝分散〟させることができるので、穏やかな気分で業務に臨め、都合が良いです。28日までしか無いと、普段の月には30日とか31日までかけてやっている業務を、ぎゅうっと詰めて済ませないといけないので…、大変なのです。

てなわけで、私は、仕事の面から言うと、平年よりもうるう年のほうがありがたい、と受け止めている立場です。

みなさんは、どうなのでしょうか?



小テストの時間

2008年02月24日 12時35分39秒 | 備忘録
西宮で過ごした小学生時代の思い出。

 ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

4年5組の教室では、T先生(担任)の方針だったのか、授業中にしばしば「小テスト」が行われた。

例えば、算数の時間では、ひとつの単元が終わると必ず小テストがあった。
半ペラの白紙が一枚ずつ配られ(これが解答用紙)、そこへ、教科書に載っている練習問題の解答を書いて提出するだけという、簡単な仕様のテストだった。(→教科書と筆記具以外は机の中に片付けた状態で行う。当たり前だが、教科書のページに答えを書き記しておくカンペ作戦は御法度である)

児童全員に半ペラ白紙が行き届いたのを確認すると、T先生は、
「それでは、教科書の○ページを開いてください。そこに、練習問題が五つ書いてありますね。今から、それを全部解いてみてください」
とおっしゃって、小テストが始まるのだった。
要するに、今までの授業中に先生が説明してくださった問題ばかりである。
けれども、私は内容をすっかり忘れてしまっていて、なかなか解けない。「復習」の習慣が身に付いていなかった頃で、私のテスト結果は危うい低空飛行を続けた。
 
T先生は、恐い先生だったけれど、小テストの点数が悪いことについては怒ることはなかった。
しかし、ほどなく、うちの母がこのテストの存在を知るところとなり、こっちに叱られた。

「教科書の練習問題をそのまま解いて、答えを書くんやろ? それは先生が授業で説明された問題やろ? だったら、百点満点が取れて当たり前と違うの? 復習をして行きなさい!」

私の辞書に「復習」という文字が書き足された瞬間だった。
以後、私は、小テストの前日にはその単元の問題をひと通り解いてみて、本番に備えることにした。
効果は絶大で、ほどなく低空域から上昇し、満点を取れるようになった。嬉しかった。

「おおっ! おまえ、がんばるのぉ~」

採点後の解答用紙を返却しながら、先生はおどけた口調でおっしゃった。そして笑った。
恐いはずのT先生が、笑った。



うちのクラスだけ…

2008年02月23日 22時07分34秒 | 備忘録
西宮で過ごした小学生時代の思い出。

 ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

T小学校に転校して、一年が経過した。
めでたく、私は4年生に進級した。
前年度の3年5組メンバーがそのまま4年5組に進級する形となり、クラスメートには変動がなかった。

4月始業式の日、4年5組の教室には、前年度から慣れ親しんだ〝いつもの顔ぶれ〟がそろっていた。

ただし、担任の先生だけが、交替されることになった。

ほかのクラス(4年1組~4年4組)は、前年度(3年生の時)の担任がそのまま持ち上がったのに、どういうわけか、4年5組だけ担任が交替になった。
クラスメート(児童)の構成は変わらないのに、担任の先生だけが交替される、というのは珍しいことのように思う。先生が産休に入られる場合などは有り得ることだろうが、このときはそういう事情はなく、どうして4年5組だけ先生が交替するのか不可解だった。


とにかく、私のクラスだけ、担任の先生が交替された。
4年5組の新学期(4月)は、クラス全員で新しい先生を迎える、ことから始まった。

『新しい先生は、恐いのかな? 優しいのかな?』

まだ見ぬ先生を想像して、4年5組の児童たちは不安と緊張に包まれていた。
この緊張感を「クラス全員で共有しなければならない」のが、このケースの特徴だろう。
児童も先生もシャッフルされる〝クラス替え〟の場合とはまた異なる、独特な緊張感だった。

新しい先生は、T先生という男の先生だった。

私の場合は、広島時代を含めた小学校6年間で、担任が男の先生だったのはこの年だけである。

この先生は、厳しかった。
児童の感覚で表現するところの〝恐い先生〟に属することは間違いない。

「おまえは、なにをやっとるんだぁ…、バカタレェ!」

が、先生が怒ったときの口癖で、約束を守らなかったり宿題を忘れたりすると確実に注意を受けた。

「なにをやっとるんだぁ…」のあとに一瞬の〝間〟があり、「バカタレェ!」で頭を叩かれる(=落雷)システムだった。この雷は、男女かまわず落とされた。相当な迫力があって、泣き出す子もいた。
当人に非があって、怒られても仕方ない場面だと、児童本人あるいは周囲も納得できていたが、とにかく、叩かれる直前のあの〝間〟は…、恐ろしかった。



スーツを着て

2008年02月20日 22時08分02秒 | 日記・雑記
きょうは、ちょっと変わった仕事をしてきました。

うちの〝業務施設〟のことについて1時間ほど話をする、というものです。
講演と呼ぶような大袈裟なものではありません。
〝業務施設〟の歴史とか見所とかを、紹介してきました。
見所…って言っても、そんなに無いですけれどね。

「1時間ほど喋ってください」と事前に依頼されていたことなので、
こちらも準備をして行かないとマズイと思い、資料を作っていきました。
しかも、スーツを着て行ったりして。(珍しい)

話だけで1時間は、長いです。
資料というか、お助けグッズが無いと私には務まらない…。

聞いてくださったのは20人弱の方々ですが、
みなさんにその資料をお配りして、聞いてもらいました。
話が頼りないので、あとは資料を見てね、という感じ。


結局、資料を見ながらゆっくりお話しても1時間はかかりませんでしたが、
みなさんも熱心に質問をしてくださったので時間をつなぐことができ、
和やかな雰囲気のうちに(←私の勝手な感想)、持ち時間を終えることができました。

難しい質問をされたら困るのですが、
基本的に、きょうは、うちの業務施設についての話だったので、
すっとお答えできました。
事なきを得たというやつです。

ちなみに、これ、ボランティアなのです。

無償なので逆に気分的には楽だった、というのはあります。
人前で話をする勉強ですね。
良い経験をさせていただきました。



あの川の名前は…

2008年02月17日 15時39分40秒 | 備忘録
西宮で過ごした小学生時代の思い出。

 ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

3年生の三学期に、遠足で西宮神社と香枦園へ行くことになった。
三学期に行われる遠足は、ほかの学期のそれに比べると格段にスケールが小さくて、学校から歩いて行けるぐらいの近場へ出かけるのが常だった。

「こんどの遠足は、学校からみんなで歩いて行きます。西宮商店街(阪神西宮駅の周辺)を見学してから、西宮神社へ行きます。そのあと香枦園まで行って、そこで弁当を食べます…」

ある日の〝終わりの会〟で、担任の先生が、遠足の概略を説明してくださった。
T小学校から西宮神社あたりまでならば、子供の足でも十分に歩いて往復できる距離だ。

「ところで、みんな、香枦園って知っていますか? そこには川が流れています。その川の名前が、分かる人?」

遠足の説明だけかと思っていたら、いきなり社会科の問題が出された格好だ。

     ◇      ◇      ◇

香枦園がどんな所かを私は知らなかったが、阪神電車にその名前の駅があることは知っていた。
でも、そこを流れている川の名前までは分からないなぁ。

クラスメートたちも考え込んでいる様子で、教室内が急に静かになった。

阪神電車の香枦園駅は、西宮市の地図の中では〝西の端っこ〟に位置する。
私は、頭の中に地図を思い浮かべて、阪神電車と並行している阪急神戸線の路線図をダブらせてみたりした。
「阪急神戸線の〝西の端っこ〟って、どのあたり(駅)だったかな」
と、思いを巡らせたとき、パッ!とひらめいた。

次の瞬間、私は手を挙げていた。

クラスの中で、自分ひとりだけ手を挙げるという暴挙(?)であった。
ひらめきだけの〝見切り発車〟みたいな挙手ではあったけれど、これも小学3年生だからこその芸当だろう。

けれど、私の挙手に気付いた先生は、途端に気の毒そうな表情をして、おっしゃった。

「なんで、広島から転校してきた子が分かって、昔から西宮で暮らしている子たちが分からないんや…」

この場面は、相当照れくさかった。
今でもよく覚えている。
クラスのみんなを敵に回してしまった気がした。

手を挙げるんじゃなかった…とは思わなかったけれど、
逆に、先生からこう言われてしまうと、もはや私も間違った答えを言うわけにいかない-。

「それじゃあ…、答えてください」

困ったような表情のまま、先生は、私に発言を促した。

私は、もう一度地図を思い浮かべながら、言った。

「夙川です」

夙川沿いが桜の名所だという肝心な知識は、当時の私には備わっていなかったけれど、その名前だけは知っていた。鉄道ファンの駅名暗唱も、こういうときは役に立つ。



容赦ない芳香剤

2008年02月16日 22時49分56秒 | それゆけスペース
先日〝缶コーヒー・ハプニング〟に見舞われた「ミ号」の続報です。

心配されていた「車内のニオイ」については、
見事に、芳香剤の勝利!です。強いぞっ!芳香剤!

こぼれたコーヒーの残り香に対して、
スコアで言えば「9対1」ぐらいで芳香剤の圧勝、という感じです。


たね明かしをすると、
実は、クルマ用ではなく、住居用(部屋用)の芳香剤を使っているもので。
やはり、パワーが違いますね。
それも、ナントカ・ソープっていう「せっけん」の香りです。

きょうも、ミ号に乗って思ったのですが、
コーヒーの残り香はほぼ消されているものの、
こんどは芳香剤の香りが強すぎて…、
運転しながら、トイレに居るような気分になるっていうか…。

これはこれで、また改善が必要かな、と思ったりしています。



ハンバーガーを食べ過ぎて

2008年02月15日 20時35分41秒 | 備忘録
西宮で過ごした小学生時代の思い出。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

3年生のとき、ある日曜日に、家族と神戸へ出かけた。
昼に「○クドナルド」でハンバーガーを食べた。
おいしかったので、持ち帰り用も何個か買ってもらい、その晩も、家でハンバーガーを食べた。
たくさん食べて、お腹いっぱいになった。

翌朝、月曜日--。
いつものように目覚めて、
「さあ、学校へ行かなくては…」
と思ってみるものの、気分が非常に悪かった。胸がムカムカする。
原因は、ハンバーガーの食べ過ぎ!? と思われた。

気分が悪いけれど、体温を計ってみると、熱があるわけではなかった。
なので、普段通りに登校した。

昼になって、給食の時間。
その場で初めて気がついた。
この日の献立は、ハンバーグだった。

「えええっ…、もう、ハンバーグいらんわ」

それでも、『給食は残さずに食べましょう』という日頃の〝教え〟を守り、私は食べきった。

食後の昼休みは、普段のように走り回る気分になれず、教室で静かに過ごした。

そして午後の授業(5時間目)が始まった。
授業中、私は終始、吐き気との戦いだった。かなり危ない状態だった。
「早く授業が終わらないか…」
そればかりを考えていた。

と…、そのとき、ひとりの女子が、ダッ!と席を立って、教室に隣接したベランダ(テラス)に走り出て、手洗い場のところでうずくまった。
『授業の最中に突然何事か…!?』
クラスメートたちはざわついた。
先生も驚いたような表情で視線を送っておられたが、様子は見に行かない。

ほどなく、その子は教室内に戻ってきて、言った。

「先生すみません。〝もどし〟ました」

「気分が悪かったの? 保健室に行かなくて大丈夫?」

「もう大丈夫です」

「でもね…、シンドイなぁと思ったら、早めに先生に言いなさいよ! 何してるのっ!」

誰でも、その日の体調により、急に気分が悪くなることだって、無いとは言えない。それは仕方がないのだから、そうなったときは切羽詰まってしまう前に早く先生に言いなさいと、この状況下で、なおも〝指導〟が行われたのである。
その子にしてみれば、我慢しきれずに吐いたあげく怒られたわけだから「泣きっ面に蜂」だけど、授業の真っ最中に手洗い場へダッシュで駆け込むのも確かに考えものだ。大事にいたるまでに早く意思表示をせよ、ということを先生は教えたかったのだと思う。

もちろん、その日の私は、そんなところまで考えは及ばない。ただひたすら、吐き気をこらえるのみだった。

それこそ、
「授業中だけど、我慢できなくなったら便所へ走るか…」
とも考えていたのだが、思わぬ形で先手を打たれ、その切り札を流されてしまった状況だ。

早めに意思表示せよと、先生がおっしゃったばかりだけれど、
「ぼく〝も〟、気分が悪いです…」
とは今さら名乗り出がたい空気に、教室は包まれてしまっている。
もはや吐くわけにいかない、絶体絶命のピンチである。

結局、私は最後まで頑張って、苦難のひとときを耐え抜いた。

ハンバーガーに限らず、何事も欲張ってはいけないことを学んだ一件、という位置づけで、今でも記憶に残っている。



先日行ってきた

2008年02月13日 20時39分00秒 | 日記・雑記
本当に、この冬は寒いです。
今朝も京都市内では雪が積もったそうで。
S華町では、屋根の上にぱらぱらっと粉を撒いたような、
超微量の雪が見られた程度でした。
うちの近所については、きょうのやつは「積雪」にカウントしません。

    ◇      ◇      ◇

さて、「ここはどこ」です。
今回のやつは、走る列車内から写した画像です。

ここは、どこでしょう?

駅ではないので、大雑把にでも場所が分かってもらえたら…と思います。

(これだけで分かるかー!!)


◎ヒント

「列車は、目の前に見えている高架道路の下をくぐろうとしているところだ」

「しかし、これまた、きれいな高架道路ですね」

「そう、まだ新しい道路だな」

「まるで、〝完成したばかり〟みたいですよ」

「画像では見えにくいけれどな、実は…、まだクルマは走っていないんだ。
 ドキッ!ちょっと言い過ぎたか?!
 これは、答えを言ってしまったようなものかなっ…!」

「ええーっ! ということは、今、この〝現時点では〟開通していない?!」

「ま、まあ、そういうこと…。(こら!強調しすぎだろ!)」

「つまり…、手がかりは、〝もうすぐ開通する高速道路〟ですか?!」

「こらーっ! 誰がそこまで言ったか! 
 高速道路って言うな! 高架道路と言ったんだ!
 もういい…、道路はやめて、周囲の景色を見るんだ」

「景色…、ああ、なんだか、山みたいなのが見えていますね。
 こりゃ、随分と山奥ですね。
 はっきり言って〝たぬき〟が出てきそうじゃ…」

「たぬきって言うなーっ!」

「いいじゃないですか、たぬきぐらい」

「それがキーワードなんだよ! もういいぜ」

「どうもありがとうございました」



宙を舞う缶コーヒー

2008年02月12日 19時24分05秒 | それゆけスペース
きょうは、「ミ号」の車内で缶コーヒーを〝ひっくり返す〟という
悲惨な出来事がありました。
うううっ…、情けない。

状況は、こうです。

ある交差点で、私は「右折」しようとしていました。
右折レーンから交差点に入って停止し、対向の直進車が途切れるのを待っていました。

すると、心優しい対向車がいて、パッシングによって私に進路を譲ってくれたのです。

私は、すぐさまチェンジレバーを入れ直して発進し、
右手でハンドルを回しながら、同時に、左手で対向車に「お礼の挙手」をしました。

チェンジレバーを握っていた左手を、スッ…と挙げて「お礼」をしようとした、
まさに、そのとき!


チェンジレバーの真上付近にある「カップホルダー」に〝バンッ〟と左手が当たり、
ホルダーにのせていた缶コーヒーが、衝撃で宙に舞い上がりました。

『なぬーっ!!』

と思ったけれど、時すでにおそし。

宙を舞った缶コーヒーは、助手席の座面に落下し、さらに〝バウンド〟して、中身をまき散らしながら助手席側のドアに当たって跳ね返り、からんころ~んと、助手席とドアとの間に落っこちました。

『ぬおぉぉーっ!!』

悲惨です。


ひとまず交差点を抜け出て、安全な場所で停車して状況確認。

まだ、ふた口ぐらいしか飲んでいなかった缶コーヒーの中身は、空っぽ!
全部こぼれた、ということですね。

調べたところ、フロアマットの〝下〟に敷かれているマット(車両本体の床)が、こぼれたコーヒーを吸収したようです。
フロアマット自体は奇跡的に無傷だったので、パッと見には問題なしでした。

ふき取れる箇所は、全部拭き取りました。
助手席の座面にもこぼれたのですが、これも跡形なく拭えました。

問題は、ニオイですね。
コーヒーの甘いニオイが、車内を包んでいます。
しばらく取れそうにないか。

帰りにホームセンターに立ち寄って、芳香剤を買っておきました。
さて、芳香剤が勝つか、コーヒーの残り香が勝つか…。



相合傘の落書き

2008年02月06日 22時01分01秒 | 備忘録
西宮で過ごした小学生時代の思い出については、
「鉄道」との絡みがないエピソードも、いくつかある。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

昭和56年(1981年)3月末、わが家は、広島県から兵庫県西宮市へ引越しした。
ちょうど私が小学3年生に進級する春のことだった。

せっかくの春休みは、引越しの片付けに追われるうちに慌しく過ぎ去り、4月の新学期を迎えると、私は地元のT小学校へ通うことになった。
T小学校は、各学年とも1組から5組まであって、私は3年5組に入ることになった。担任は、学年主任を務める女の先生だった。恐い先生という印象ではなかったけれど、締めるところはきっちり締める、しっかりした先生だった。


T小に通い始めた私が、まず閉口させられたものがあった。

それは、「相合傘の落書き」の流行だった。

3年5組の教室にも、新学期最初からこの習慣は入り込んでいて、いつも冷やかし合いが絶えなかった。休み時間に男子と女子が〝一対一〟でちょっとお喋りしただけで、間違いなくそのふたりはターゲットにされた。

『あのふたりは、アツイ…

と、周囲は言い、黒板に相合傘の落書きをして冷やかすのだった。

何と言うか…、研ぎ澄まされた敏感さだった。

ひょっとすると、これは、西宮に限らず関西の小学校では当たり前の習慣なのかもしれないが、2年生まで在籍した広島の小学校ではそういう空気は全く無かったので、最初、私は大いに戸惑った。

転校生ということで、新学期当初の私は〝お客さん扱い〟によってターゲットからそもそも外されていたようだが、日が経って、お互いの気心が知れるにつれて、容赦なく落書き合戦に組み込まれるようになった。見方を変えれば、クラスの一員として受け入れてもらえた証しでもあっただろう。
その後、学年が上がるにつれて、この習慣は自然消滅していった。そういう〝遊び〟をしなくなった。「オトナになった」とでも言えば良いのだろうか。3年生~4年生の時期に遭遇した習慣だった。

転校生の立場からすると面食らう習慣だったけれども、クラスメートの名前と性格を覚えるのには役立った気がする。



ミ号の点検

2008年02月05日 18時52分29秒 | それゆけスペース
きょうは「ミ号」の12ヶ月点検だったので、三菱の販売店まで行ってきました。
納車は昨年3月だったのですが、クルマ自体の登録月は2月なのです。
乗り始めてから実質11ヶ月での〝1年点検〟ということになります。
走行は「145億mm」ってところです。(←計算合ってるか?)

毎日のように動かしているので、ミ号は快調です。
冷え込みの厳しい朝晩も、エンジンは一発始動!
別に不具合は感じていないので、点検に際して私からの申告事項は無し。

「あっ…、ワイパーのゴムだけ、取り替えてもらえますか?」

私からお願いしたのは、それだけです。


実際、点検結果も「異常なし」でした。
まだ1年ですから。

点検を終えてピットから出てきたミ号は、なんと、ぴかぴか!!
洗車もしてくれたみたいです。申し訳ないな。
最近、雨とか雪の日が多いので、結構〝泥んこ〟になっていました。
車内のフロアマットもスッキリした印象で、掃除機までかけてくれたようです。

できれば、ミ号の就役1周年を記念して「遠出」をしてみたいです。



ダイ改

2008年02月04日 22時49分12秒 | 鉄 道
近鉄電車のHPに、「春のダイヤ改正」についての情報が出ました。
改正日は3月17日(月)とのこと。

すでに、『近鉄時刻表2008年号』が2月中旬に発売予定-という予告も出ています。
例年は、ダイヤ改正の直前ぎりぎりにこういう情報が出てくるのですが、
今年の近鉄電車はなんだか準備が早いです。



近鉄電車ホームページ
↑「お知らせ」の欄から、「ダイヤ改正についてのお知らせ」を選んでね。



夕方~夜にかけての時間帯に、奈良線の特急列車が何本か増発されるようです。
通勤(帰宅)客の特急利用を見込んだな…。

京都線についての情報が書かれていないところを見ると、
こちらは「変動なし」ということか。

京都23時26分発の急行(奈良ゆき)があるのですが、
この電車は、大久保でも新田辺でも、各停に接続しないのです。
新祝園で各停に接続するようです。
これ、なんとかならんものかな…と思います。
各停に接続しないので、私の場合は結局、あとの急行(京都発23時41分)で帰ってくるのと同じ結果になるというわけで。

以前は、この急行に接続する新田辺始発の各停が走っていたのですが、
いつの頃にか消えてしまった…。
2両編成でもいいから、復活させてほしいです。

ただ、私は毎日乗るわけではないですが。(そりゃだめだ)



一瞬の銀世界?

2008年02月03日 19時18分56秒 | 日記・雑記


今朝は、うちの近所も薄っすらと雪化粧していました。
きのうの晩は「雨」だったので、夜中のうちに雪に変わったのでしょう。
朝から昼前にかけては再び雨になったので雪もとけ、
お昼ごろには「いつもの風景」に戻っていました。

思い返せば、昨年(一年前)の冬は暖かくて、
うちの近所では、きょうみたいな雪化粧も見られなかったものです。

この冬は、〝冬らしい〟寒さだと感じます。

画像は特にありませんが、
きょうは〝積雪記念〟の投稿ということで…。



旧スナックカー (昭和42年)

2008年02月01日 17時08分15秒 | 近鉄特急
『旧スナックカー』

車両系式:12000系
登場初年:昭和42年(1967年)
全廃車年:平成12年(2000年)
製造両数:20両(2連×10本)


 昭和39年に東海道新幹線が開業したことで、大阪~名古屋間の旅客流動にも大きな変化が生じました。この区間で圧倒的なシェアを握ってきた近鉄の「名阪特急」は、新幹線にごっそりと客を奪われてしまったそうです。これ以降、昭和40年代全体を通して、名阪特急が〝冬の時代〟を送ったことは、近鉄特急の歴史の中で必ず語られる部分です。

 名阪特急の凋落傾向に歯止めをかけようと、近鉄は、昭和42年(1967年)に12000系『スナックカー』を登場させました。スピードでは到底敵わない新幹線に、充実した車内設備で対抗しようという戦略から生まれた特急車両です。

 12000系は新製車両で、2両編成×10編成(計20両)が造られました。
 主な用途を名阪特急に絞り、「新幹線に対抗する」というポリシーを持って生まれた系式なので、それまでの近鉄特急の車両と比べて〝一歩進んだ〟内容になったのが特徴です。
 客室座席は回転クロスシートで、リクライニング式が採用されました。当時、新幹線の普通車は転換クロスシートでしたから、リクライニング・シートの採用は思い切った決断だったのかもしれません。さらに、客室の一角には「スナックコーナー」と呼ばれる小さなビュフェ(軽食コーナー)が設置されました。車体外観では、先頭車の正面デザインが従来のエースカー形から一新され、貫通幌(ホロ)にカバーが付けられたことでスッキリとした顔立ちになったことが特徴です。二階建て構造は採用されず、すべて普通床の車両で構成されました。
 客室設備を充実させることによって、新幹線に流れた利用客を少しでも取り返したい、という近鉄の願いが込められた12000系車両でしたが、何よりもスピードがもてはやされた時代だったか、結局、新幹線に流れてしまった乗客を呼び戻すのは難しかったようです。

 2両編成を1単位としたのは、利用状況に応じた増結を想定したものだったのでしょうが、結果的には2両編成のまま(増結なし)で運行されることが多かったようです。私が子供の頃に見た「電車の本」に載っていた近鉄特急(名阪特急)の写真も、2両編成の短い列車(つまり12000系)ばかりだったと記憶しています。
 
 12000系の特徴だった「スナックコーナー」(ビュフェ)は、個性的なメニューも相俟って乗客に親しまれたようですが、採算面では難があったのか長続きせず、その後に営業休止となって、後年の車体更新工事の際にはスナックコーナーそのものが撤去されるという寂しい結末となりました。

 「スナックコーナー」を装備したのは12000系が最初でしたが、続いて登場した12200系や18400系(後述)にも同様の軽食コーナーが装備されました。これらの系式は、スナックコーナーにちなんで『スナックカー』という愛称名で呼ばれました。系式ごとに区別する意味では、12000系のことは『旧スナックカー』と呼ぶのが一般的です。

 必死の対抗策もむなしく、東海道新幹線の前になす術が無くなった名阪特急でしたが、昭和50年代に入ってから国鉄の運賃・料金値上げが繰り返されたことで、状況が変わってゆきました。どんどん拡大する「国鉄と近鉄の〝金額差〟」を背景に、安くて快適な近鉄特急が乗客に見直され、以後、名阪特急の利用状況は〝奇跡の回復〟を果たすことになります。
 名阪特急の「苦難の時期」を耐えて走り続けた12000系は、その復活を見届けて名阪ノンストップ運用から離脱、後年は伊勢方面への運用にも活躍の場を広げ、平成12年(2000年)までに全車両が引退しました。