ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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「登壇」って何なの? 韓国の小説界が抱える問題

2009-10-19 17:55:13 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 10月6日の記事「韓国で人気の小説 韓国の作品は約2割」の末尾で、「なぜ韓国の小説があまり読まれないか、その背景について考えてみます」と記しました。
 今回は、その点の考察です。

 私ヌルボが韓国の小説家や詩人の紹介文を見る度に気になっていた言葉<登壇(등단)>です。

 たとえば、「1970年、朴婉緒(パク・ワンソ)は40歳で「女性東亜」の女流長編小説公募に「裸木」が当選して登壇した」とか、「黄皙暎(ファン・ソギョン)は1970年「朝鮮日報」新春文芸に「塔」が当選して登壇した」のように用いられます。

 つまり、<登壇>とは文壇に登る、という意味なんですね。

 かつては日本でも<文壇>というものがあって、<文壇作家>という人たちがいて、<文士劇>などというオアソビ(?)なんかもやっていましたが、現在では、多様な年齢層の、多様な経歴を持つ作家が、多様なジャンルの作品を世に送り出しています。そして数多くの文学賞が彼らのデビューに大きな役割を果たしています。

 ところが、どうも韓国ではそのデビューのワクが限定されているようなんですね。伝統ある新聞等が主催する新春文芸賞に入選すること(=登壇)がまず作家としてのステイタス確立の第一歩というわけです。
 しかし近年、この韓国の文学世界、出版界の<しきたり>が曲がり角を迎えているというのが共通認識になってきています。
 とくに1990年代以降の、激しい社会の変化に対応しきれていない、ということです。

 たとえば、韓国のベストセラー中で多数を占める韓国以外(日本を含む)の小説は、奥田和朗や東野圭吾のような軽く読めるエンタメが主流です。純文学でも、村上春樹に代表されるように、都会を舞台にした、1人または少人数で暮らしている青年を主な登場人物とした、軽い感覚の小説がよく読まれています。江國香織しかり、吉本ばななもしかり・・・。

 東アジアに広く見られる村上春樹現象について、藤井省三先生は「村上春樹の中の中国」(朝日選書)で<経済成長踊り場法則>を提示しています。中国語圏では彼の作品は台湾→香港→中国の順に約十年の時間差で紹介され、ヒットしていったが、これは各国の経済発展が急成長を経て踊り場状態に達した段階に相応している、というもの。
 また村上春樹は消費神話の背後にある都市生活の孤独と無力感を小市民の目線で描くことに長けているが、そのような情緒は政治の季節の後に体験する疲弊と挫折に誘発されやすい。つまり<ポスト民主化運動の法則>という法則も読み取れる、ということです。
※この点については、毎日新聞の書評欄を参考にしました。

 つまり、韓国でも1990年代に入って経済成長は踊り場を迎え、政治的にも文民政権の成立で80年代の民主化運動の季節は過去のものになったわけですが、そのような新しい時代にマッチした小説がまさに村上春樹だったのですね。

 一方、韓国の小説はというと、80年代までは小説も詩も政治・社会を題材とした作品が主流でした。90年代以降になると、たとえば申京淑(シン・キョンスク)のような個人の内面を緻密に描く作家が<登壇>し、よく読まれるようになりました。
 今でも今年大ベストセラーになった申京淑の「オンマをお願い」のように読まれてはいるのですが、ある韓国の文学評論家によれば、世界的にみた場合の韓国文学の弱点として、多くの小説が「主人公≒作者となっている」点をあげています。そういえば申京淑も朴婉緒も、孔枝泳(コン・ジヨン)も呉貞姫(オ・ジョンヒ)も、みんなそうですね。
 それぞれに感動的で、おそらく過去の歴史を共有している多くの韓国人(とくに女性)は共感するところが多いと思われます。

 しかし、90年代以降の、とくに都市青年層の嗜好に合いそうなエンタテインメントとしての小説となると、韓国作家は非常に層が薄いとしかいえず、またその理由として先にあげた<登壇>の問題があるというわけです。

 今、韓国の出版界で求められているのは、一言で言えば「文壇外の大衆作家」ということになります。
 上記の<登壇>の問題や「軽い感じの小説は外国作品ばかり」という問題は、先月ソウル行きの機内で読んだ9月17日付の「東亜日報」<記者の目>のパク・ソニ記者の記事に記されていました。その後さらにいくつかの韓国のサイトを見て、かねてヌルボが感じていたことがわりとフツーの認識なんだな、と確認した次第です。

 なお、その「東亜日報」<記者の目>のパク・ソニ記者の記事中で、最近注目の次世代大衆作家として、SF小説「タワー」のペ・ミョンフン(배명훈)、今年の第1回マルチ文学大賞の大賞受賞作「絶望のグー」のキム・イファン(김이환)、コメディとロマンスを混合させた時代物「新文物検疫所」のカン・ジヨン(강지영)をあげ、また彼らが<登壇>ではなく、ウェブサイトで注目を集めた作家である点にも着目しています。
 パク記者は最後に、「大衆文学はまだ国内文学批評の対象から疎外されていて、作家群の形成も初期段階だが、最近の趨勢をみると外国文学の国内出版界蚕食状態をかえる大型作家がでないともかぎらないようだ。韓国のベルナールヴェルベールや奥田英朗を期待してみる価値はあるのではないか」と結んでいます。

 思うに、新しい文学賞として今年上記のマルチ文学大賞が創設されたり、2008年創作と批評社が昨年青少年文学賞を設け、受賞作が昨年の「ワンドゥギ」、今年の「ウィザード・ベーカリー」と連続してヒットしているのも現在の出版界の状況のなにがしかを反映しているようですね。

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