ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

「東亜日報」が選んだ<2020年を照らす韓国の100人>は?

2010-06-17 23:36:48 | 韓国の文化・芸能・スポーツ関係の情報
 「東亜日報」は今年創刊90周年ということで、この5月「2020年を照らす大韓民国100人(2020년을 빛낼 대한민국 100인)」という特集企画を打ち出しました。

 創刊100周年となる10年後の2020年には、韓国各界でどんな人々が活躍しているか、ということで、次の5分野で合計99人を選定しています。(最後の1人は読者自身の分、ということです。)

・「自由な創造人」(20人)・・・・・文学・スポーツ・芸術分野
・「夢みる開拓者」(25人)・・・・・科学技術分野
・「行動する知性人」(20人)・・・社会科学分野
・「挑戦する経済人」(25人)・・・経済分野
・「未来を拓く指導者」(9人)・・・政治分野


 「東亜日報」の記事によると、三星電子のイ・ジェヨン副社長や、フィギュアの女王キム・ヨナ選手のようにすでによく知られた人物が多く選定されたが、人々の関心外で黙々とがんばっている世界水準の科学者等も含まれているとのことです。
 その顔ぶれは「東亜日報」のサイトに出ています。そして、選ばれた99人に対して、「東亜日報」ではインタビュー記事の連載を始めています。

 名前を見ると、私ヌルボは、学者関係は全然わからず。政治・経済関係は少ししかわからず。
 ・・・ということで、「自由な創造人」(文学・スポーツ・芸術分野)の20人を紹介しましょう。(カナダラ順)
※詳細はリンク先を参照されたし。一部韓国サイト。

キム・ヨナ(金姸兒.김연아)・・・・・・・フィギュアスケート選手(20・女)
  20人中で知名度は当然1番でしょう。あるサイトにあった<キムヨナの12変化(へんげ)>、オモシロイ!

キム・ユンジン(金允珍.김윤진)・・・映画俳優(37・女)
  アメリカ在住の韓国人俳優。

キム・ヒョンス(金鉉洙.김현수)・・・斗山ベアーズ外野手(22・男)
  2年連続最多安打王の<打撃機械>。

ノ・ヒギョン(노희경)・・・・・・・・・・・・ドラマ作家(44・女)

パク・ミンギュ(朴玟奎.박밍규)・・・・小説家(42・男)
  今年の李箱文学賞受賞作家。3月8日の記事で紹介しました。

パク・ソンフン(박성훈)・・・・・・・・・・ロッテホテル・ピエールガニーエル調理長(20・男)

パク・ジニョン(朴鎭英?.박진영)・・・歌手兼プロデューサー(38・男)

ポン・ジュノ(奉俊昊.봉준호)・・・・・映画監督
  5月4日の記事「ユリイカ」の<ポンジュノ特集>に少しふれました。

ソ・ドホ(徐都濩.서도호)・・・・・・・・・設置美術家(48・男)

シン・ギョンスク(申京淑.신경숙)・・・小説家(47・女)
  本ブログの昨年8月11日、すなわち最初の記事で「オンマをお願い」の感想を記しました。

シン・ジエ(申智愛.신지애)・・・・・・・プロゴルファー(22・女)
  日本での知名度は2番目、かな? 昨年アメリカ女子プロゴルフツアー賞金女王。
昨年12月10日の記事「え? 申智愛よりも横峯さくらが稼いでいる!」でふれました。

シム・スンヒョン(沈承.심승현)・・・漫画家(39・男)
  「パペポポ」シリーズは癒し系の漫画で、継続的な人気を保っています。

ヤン・ソンウォン(梁 盛苑.양성원)・・・チェリスト(43・男)

イ・チョンヨン(李菁龍.이청용)・・・・イギリス・ボルトンワンダラースFC所属サッカー選手(22・男)

チャン・ハンナ(장한나)・・・・・・・・・・チェリスト兼指揮者(28・女)

チョン・ヨンドゥ(정연두)・・・・・・・・現代美術作家(41・男)

チョン・ウクチュン(정욱준)・・・・・・ファッション・デザイナー(43・男)
  いろんな韓流スターのファッションも手がけています。

チョ・ソンジン(조성진)・・・・ソウル芸術高1年のピアニスト(16・男)
  2008年中2の時モスクワ国際青少年ショパンピアノコンクールで優勝。

チェ・ウンソク(최은석)・・・・ディストリクト代表理事(37・男)
  デジログ、3D等々、よくわからんです・・・。

ホン・ミョンボ(洪明甫.홍명보)・・・オリンピック・サッカー代表チーム監督(41・男)
  日本での知名度第3位? いや、シン・ジエより上ですか。しかし、ヌルボは顔知らないんです。(パク・チソンの顔は最近覚えましたが・・・。)

 20人の顔写真は下の通り。私ヌルボの場合、名前を知っていた人は①⑤⑧⑩⑪⑫⑳の7人、その中で、顔だけでわかる人は①⑤⑩⑪の4人でした。

   
最上段左→右に①~⑤、2段目⑥~⑩、3段目⑪~⑮、4段目⑯~⑳
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[10] 京城の街、和信百貨店など

2010-06-17 16:18:34 | 韓国ドラマ
 第9話あたりから、京城の中心街のようすがしばしば映し出されます。

 路地の民家の塀には「明治牛乳」、「毎日新聞」、「仁丹」、「三ツ星タイヤ」など日本語の広告が貼られています。
 「内鮮一體の完成(←旭日)」という横断幕の字は右→左の横書きです。
 なかなか細かいところまでよく再現したもんだなーと感心しました。「飲料界のスタア ニッホンヒール ★」のように濁点がついていないミスも見つけてしまいましたが・・・。

 第10話、米屋を買ったテサンは自転車で営業しています。明治町(現・明洞)、本町(現・忠武路) 黄金町(現・乙支路)を走り回っています。(今の韓国人にとって自転車はふつうに乗れる乗り物ではないのですが・・・。)
 テサンは、上記の町名をメイジチョウ、ホンマチ、ファングムジョウと言ってますが、ファングムジョウは違うでしょう。
 なお、鍾路通りは4月16日の記事でふれたように、テサンはチョントン(鍾通.종통)と言ってました。

 京城市街の場面で、市電が走っていたり、和信百貨店の堂々たる建物まであるのには、最初観た時は驚きました。夜の場面では、そのずっと向こうに赤いネオンも見られます。
 その後、5月の佐賀旅行の折に長沢雅春先生から富川(プチョン)に常置してあるセットだということをうかがい、ネット検索したらたしかにいろんな情報がみつかりました。

 <富川ファンタスティックスタジオ>という名称で、このドラマでも少しだけ名前が出てきた京城の顔役・金斗漢(キム・ドゥハン)を主人公とした2002~03年の任期ドラマ「野人時代」のセットとして作られ、以後いくつものドラマや映画でも用いられ、一般にも開放されているんですね。

 たとえば、コネストのサイトには、いろんな写真のほかスタジオ全体の見取り図も載ってます。スタジオへのアクセスや、入場料(大人3000ウォン)等々、詳しく説明されています。

 <がんもどき韓国旅行>というサイトでは、なんと裏方向から撮った写真(!)も載っています。夢「ぶちこわしです」というキャプションがついています。

 和信百貨店は、朝鮮人実業家の朴興植が鍾路十字路、現在の鍾路タワーの場所に1931年開店しました。日本人が多く居住する街としてどんどん発展していった明治町(現・明洞)や本町通り(現・忠武路)には対して、三越をはじめとする当時の5大百貨店中唯一の朝鮮人経営のこの百貨店が朝鮮人の街・鍾路通りにあったのはうなずけます。

 申明直「幻想と絶望 漫文漫画で読み解く日本統治時代の京城」(東洋経済)という本によると、この百貨店は鍾路通りの代表的な商業施設で、1930年代には昇降機(エレベーター)や屋上の食堂ができて都の名物になったが、鍾路通りのそれ以外の商店は以前として貧弱だったそうです。
 なお、さるサイトによると、和信のショップガール(女店員)は、美人が少ないと評判だった(!)そうで、これは朴興植が「美人だと、すぐに結婚相手が現れて仕事が長続きがしない」と判断したからだ、とのことです。

    
    
 【昔の和信百貨店(上)と<富川ファンタスティックスタジオ>の和信百貨店(下)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本・韓国で新刊の「伊藤博文」に注目

2010-06-17 12:50:08 | 韓国・朝鮮に関係のある本
 4月25日発行の瀧井一博「伊藤博文」(中公新書)を読みました。
 1841年に生まれてから周知のように1909年安重根に暗殺されるまでの生涯を興味深い挿話等も交えつつ、「隠された思想・国家構想を明らかにする」というふれこみの本なのです。当然ながら私ヌルボの知らなかったことは一杯あって勉強になりましたが、それよりも瀧井一博先生、伊藤博文に対してかなり高い評価をしていて、おどろくほどです。

 全7章のうち最後が「韓国統監の“ヤヌス”の顔」と題された章ですが、この部分だけでも、日本人である私ヌルボも吃驚!ですから、韓国人の皆さんが読んだら目が三角になるかも・・・

①一番のオドロキは伊藤の抱いていた韓国の統治構想について。
 「特筆すべきは、伊藤が併合後も、議会を開設し、韓国人による責任内閣の構築を構想していたことである。国家としての韓国を解消させたとしても、そこには独立の植民地議会を設け、最大限の自治を保証するという考えを抱いていたのである。 ・・・・筆者には、右の抗争のなかには韓国民の文明度が高まり、自治能力が備わって議会政治が根づいた暁には、韓国再独立の道が開かれ真の日韓同盟が築かれるとの伊藤の夢が託されているように思えてならない。」

②反日義兵闘争に対して、伊藤もその掃討のために日本軍の増派を要請しているが、実際の軍隊の行動には自重を求めている

③伊藤が文民でありながらも統監となり、韓国駐留の軍隊の司令官に対する指揮命令権を得た理由は・・・。
 「彼にとっては、それは手段ではなく、軍の統制権の奪取と運用こそ目的だったと考えることはできないだろうか。」

④1906年に新渡戸稲造は訪韓して韓国への日本人移民の促進を訴えようと伊藤の前に通される。ところが伊藤は移民には反対だと述べる。そして「朝鮮人だけでこの国を開くことが、果してできませうか」という新渡戸の反論に対し、伊藤は次のように返したといいます。
 「君朝鮮人はえらいよ、この国の歴史を見ても、その進歩したことは、日本より遥以上であつた時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営出来ない理由はない。才能においては決してお互に劣ることはないのだ。然るに今日の有様になつたのは、人民が悪いのぢやなくて、政治が悪かつたのだ。国さへ治まれば、人民は量に於ても質に於ても不足はない。」

⑤伊藤は韓国で教育にあたる日本人教師に韓国人の民族性を尊重することを説いている。すなわち、普通教育の教師として渡韓した新任日本人に対して、韓国語の習得を求めるほか、韓国の伝統宗教についても「猥りに是非善悪の批評等をなしてはならぬ」と語っている。

⑥伊藤は教育については実学を旨として科学を称揚し、そこから政談を排斥することを信条としていた。したがって韓国の過熱化したナショナリズムの感情は理解できず、結局それが命取りになった。

 そーなのか~、なるほどな~、と思っていたら、韓国でも新視点から書かれた이종각(イ・チョンガク)「이토히로부미-원흉과 원훈의 두 얼굴(伊藤博文-元凶と元勲の二つの顔)」という本が5月3日刊行されました。

    

 「東亜日報」の書評では、およそ次のようにこの本を紹介しています。

 伊藤は太子太師として、高宗の息子英親王の師となって親王の礼遇を受け、外国人として唯一韓国皇族となった。当時はもちろん今までよく知られていなかったことである。
 この本の冒頭で著者は記している。
 「歴史の不都合な真実(역사의 불편한 진실)と向き合う決心をしてこなかったのではないか? 認めようと認めまいと、伊藤は大物政治家であることは明らかで、韓国合邦の設計者である。」

 この本は、韓日強制合邦の主役に対する冷静な評価のための本だ。持ち上げたりも、けなしたりもしない。
 勇敢な試みであることははっきりしている。国内読者にとって甚だしくは「悪漢伊藤」というイメージに穴をあけることは負担だっただろう。
 (著者は「東亜日報」記者出身で、日本の中央大学兼任講師。)

 発売後日は浅いですが、読んだ人の感想を探して、少し見てみました。<지구마을 불꽃사파리>というブログです。

 この読者は★5つという高評価。「感情的に流れやすい素材をあるがままに客観的に扱っている」点を長所としてあげています。
 「るろうに剣心」や新撰組、坂本竜馬と司馬遼太郎の小説等に代表される人物と作品を通して、幕末の状況については多く知っていても、それ以後にどのように日本の政治状況が流れていったかについては無関心だったが、このような本を通して整理できる機会を得たのが収穫でした。
 伊藤に対する「親王」の待遇や、彼が死んだとの知らせを聞いた時とても残念がったという高宗のエピソードには、口中に苦みが走るのを禁じ得ませんでした。
 しかし客観的な視点からは、人物自体をみると十分に魅力を感じるに足る人物との印象を受けました。
 ただ、彼の人物・能力・業績は尊敬に値するとは感じながらも、彼の朝鮮に対する認識にはそんなに納得できるものではありませんでした。


 ・・・ということで、結論として、伊藤と当時の日本と韓国について新しい事実を知るとともに、いろいろ考える機会を提供してくれた、と結んでいます。
 他のいくつかのブログでもおおよそほぼ同様の感想でした。

 またこの記事に対するコメント中に次のような記述がありました。
 伊藤が死んで、これ以上ライバルがいなくなった山県有朋がほぼ10年間独裁を行ったという話を読んで、事実日本が本当にやりたい放題になった理由中には、伊藤がそのように死んだことが含まれているのではないか、と考えるようにもなった。

 日韓併合100年、日本でも韓国でも、時代遅れの愛国心をよび起している部分もあるようですが、このように冷静に過去を見つめ直す動きも出てきているのはよいことだと思います。

※伊藤の死後、彼を祀った博文寺(박문사)が現在の奨忠壇公園の場所に建てられた、ということは何かの本で読んだ記憶がありますが、安重根の息子安俊生(안중생.アン・ジュンセン)が伊藤博文の息子と会って謝罪しているということは知りませんでした。
 この件については、関連記事が「ハンギョレ」にありました。
 →(日本語訳)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする